泣くわたし
前回の記事『”泣いてもええやん!”な曲』で予告しました『泣くわたし』ですが、あれから3週間が経とうというのにタイトル以降の入力が一向に進みません。あれもこれもと思うことが湧いてきて、どこから手をつけていいのかまったくお手上げ状態なのです。
もうこうなったら、思いつくまま気の向くまま入力してみよう! と都合のいい言い訳を見つけたところで、Here we go !
思いつくまま気の向くままいってみます。
***
内弁慶を少しもじって、内泣きっ子なる造語を思いついた。
子どものころのわたしがまさにその内泣きっ子で、なんでそんなに泣いていたのか意味不明なほど、わたしは家でよく泣いた。
誇張でも大袈裟でもなく、姉の泣いたところを見たことがなく、妹には時どきいじわるをして泣かせてしまって、ごめんやったね。
三姉妹の真ん中、次女、わたし。
涙を誘うストーリーに大泣きするのはわたしだけ。もちろん姉は泣いていないし、妹はちょっとぐすっとするだけで。
嗚咽するまで泣きに泣くのはわたし一人。
だんだん泣くのが恥ずかしくなって、
「泣くことは幼きこと」と思いながらも、
内泣きっ子、すぐには治らず……。
相変わらず、よく泣いていたころ、
泣き虫が大活躍する本に出会った。
いとこのミキちゃんの家で読んだことは覚えている。
子ども向け雑誌のなかの話だったことも覚えている。
でも悲しいかな。
覚えている情報はたったその二つ。
このとき、わたしは9歳くらいで、
”本は友だち”と実感した最初の一歩。
主人公が昔の人でも大人でもなく、
自分と同じ年恰好だったことも、
余計に親近感を持ったのだろうと、
”本は友だち”の一歩にかけて確信。
子どもに確信だなんて、
あまり似合わないけど。
***
”本は友だち”だからといって、いつも優しいとはかぎらず、友だちのはずの一冊から辛辣な言葉を受けることもあります。
そういえば……と、思い当たる短編の文庫本を本棚から取り出して、ぱらぱら読んでみましたが見当違いでした。
その一方、見つからなかったことに一安心しているわたしもいます。
いつもみたいな本文からの引用ではなく、ズキンときた言葉をそのままズバリ表すことができるからです。
では、このたび2回目の、Here we go !
***
「あんたの涙は安っぽいんだよ」
文中でのセリフなのに、自分が言われたみたいになった一言。
主人公は、会社勤めを経てバーの経営者となった経歴の持ち主で、ある日、急ぎの用で乗り込んだタクシーの運転手が上京したばかりで道に不慣れだったことから、思わぬ時間をタクシーの移動に費やしてしまう。
主人公も運転手と同じ方面の出身だったことが端を発して、走り去る窓の景色を眺めながら昔を回顧し、頭の中をよぎった一言。
元彼だったか、今の人だったかに、
そんなことを言われてしまった主人公。
元彼だとか、相方に、
「あんた」と呼ばれたこともないのに、
「あんた」も含めて自分の事のように思ったわたしの中には、泣くことに対する引け目がまだ根強く残っているのかな?
だから「安っぽい涙」が心に深く刺さったのではないかなぁ、と。
そして、ここにきてもう1つ。
主人公に向けられた言葉は、
「あんたの涙は安っぽいんだよ」
ではなく、
「あんたの涙は安っぽいからな」
だったような気も……。
そして、この違いはわたしにとってかなり大きく、「安っぽいんだよ」の方が「安っぽいからな」よりも若干やわらかい感じがするのはなぜだろう。
理由はわからない。
わからないうえに、どっちだったのかムズムズ気になりだしたので、今後、判明したら忘れずここに追記しようと決めた。
いつになるかはわからないけど、
それもまた楽し。先送りの楽しみよ。
***
あれもこれもと迷ったうえでの、まとまりのない終わりとなってしまいましたが、『泣くわたし』として書きたかったことは書けたように思います。
あれもこれもと派生していった幾つかのことは次にあらためたいと、次回は書きたいことが定まってタイトル未定の状況です。
と、ここで最後にもう1つ。
「あんたの涙は安っぽい」についての本文を探していたときに目についた一冊です。
お読みくださり、ありがとうございました。
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