過去の汚泥を吐き出す
こんにちは。かにみそちゃんです。前回の投稿から大きく間が空いてしまいましたね。死。
と、言いますのも…うつ状態が悪化しておりました。正直、今もなかなか苦しい状態が続いています。
今日も今日とてサウナのような室内温度。空が真っ白な雲に覆われている中、それより湿度の高い記事をお届けしたいと思います。
あ、最初に言っておきますと、徹頭徹尾オナニー文章です。
プロフィールをご覧になったことがある方は分かるかと思いますが、私は2年ほど前から現在に渡り、うつ病を抱えて生きております。勤めていた会社も、休職の末辞めてしまいました。
休職に至る前は、精神科に通いながら改善を目指していこうと考えておりました。しかし、私の能力不足がゆえに部署異動を命じられ、異動先の環境に対応することができず、精神がどんどん摩耗していってしまったのかもしれません。気づいた時には、会社のトイレで泣きながら自傷行為をしておりました。ここまでは、まだ「ばれなければ大丈夫。」と思っていたのです。
しかし、私が一人で書庫の整理を行っていた時のこと。弱い地震が発生したことで、同じ部屋にあった壁掛け時計が落下し、表面のガラスが音を立てて割れてしまいました。今思えば、経年劣化により、壁掛け部分が折れてしまっただけでしょう。ですが私はこの時、頭が真っ白になってしまいました。自分のミスで、備品を壊してしまったと思ったからです。
「だめだ。私は何をやっても人に迷惑しかかけない、もう死ぬしかない。」
ふらふらと割れた時計に近づき、割れたガラスを拾い上げ、何度も手首を切りました。血が床に付かないように、ペーパータオルを床に敷いて。それでも動揺が収まらなかったので、手に持っていたガラス首に当て、横にスッと引きました。
この時ほど、生存本能を邪魔に思ったことはありません。
……深く切ることができませんでした。それに更に落ち込んでしまった私は、次は首を刺そうと構えました。
冷静に考えれば、バカげたことです。他人様への迷惑を考えるのであれば、会社内で事を起こすというのは、一番やってはいけないことですから。
「何やってるの!」
同僚が声を掛けてくれなければ、おそらく私はここにいなかったのかもしれません。彼は上長への事情説明を促し、その場を立ち去りました。私は、見られたからには従わなければと思い、よろよろと上司のもとに向かいました。
上長は、冷静に話を聞いていました。もともと精神科に通院中ということは伝えていましたので、もしかしたら予測していたのかもしれません。
話している最中に、はたと我に返った私は、とんでもないことをしてしまった、と思いました。このことがうわさで広まれば、私はいよいよ職場にいられなくなる。
ですが、こうも思ったのです。
「あ、会社に行くことがなくなれば、私をこの世に縛るものは何もなくなる。安心して死ねる。」
勿論、冷静に考えれば、(借家住まいでしたので)大家さんや、当時同棲中の恋人、数少ない友人たちに迷惑がかかることは分かり切っています。
ですが、うつの傾向が表れだしてから、生産性や周囲とのコミュニケーションの頻度が目に見えて減りました。すぐに疲れてしまうので、恋人との時間もなぜだか楽しくありません。ストレスからか、髪の毛を抜いてしまい、頭髪が薄くなりました。勉強も、気が散ってしまいできません。(これは、元からかも…)
社会的な存在意義、恋人としての存在意義、自己肯定感。全てが、私の求める私ではありませんでした。
”無くなってしまうのならば、はじめから無いほうが良い。そうすれば、悲しむ人はいないのだから。”
これ以上、悲しみたくありませんでした。悲しませたくありませんでした。私を「無かったことに」すれば、周囲が享受できる幸せの総量は多くなる。
当時の私は、この思考を”正常”だと思っていたのです。
上長の、「一旦、休んでみるか?」の言葉に対して、首を縦に振りました。私の口の端が吊り上がるのを、いったい誰が見ていたというのでしょう。
仕事が終わり、帰宅。私はすぐさま鎮痛薬1シートと、お酒を服用しました。しばらくすると、ぼんやりとなってきましたので、洗面器にぬるま湯を張り、カミソリで腕を切る。湯の中に腕をつけ、ぼーっとしていました。
洗面器の水が真っ赤に染まったあたりで、ふと、こう思いました。
「あー、恋人(同棲中)に、さよなら言わないと。このままじゃ、不義理だよなあ。」
スマホを取り出し、LINEを送信しました。「今までありがとうね。」の一言だけ。それでも、何も言わないよりは幾分もましです。
もうしばらくすると、眠くなってきました。鎮痛薬の効果でしょう。二度と目覚めることがないように祈って、目を閉じました。
…
…
遠くで、玄関の扉が開く音がしました。恋人が帰ってきてしまったのです。そのまま風呂場から両脇を抱えられ、布団の上に放り出されました。
一言、
「病院、行く?」
と聞かれたので、
「ううん。」
と答えました。いまだに、親や恋人に迷惑を掛けたくないという思いを持っていました。
「なんで、こんなことしたの?」
泣きそうな声で、尋ねられます。私はそれを、不思議な気持ちで聞いていました。
「私が居ないほうが、私も周りも幸せになれるんだよ。」
心からの答えです。ずっと前から思っていたことですから。
すると相手から、こう答えが返ってきました。
「俺の幸せを、勝手に決めないでよ。」
「おまえは、周りの幸せ、幸せって言うけど、おまえが居るほうが、周りは幸せなんだよ。」
薬のせいか、失血のせいかは分かりませんが、頭がぼんやりとしていましたので、
「わかった。」
と、答えるのが、当時の精一杯でした。
その後、布団には大きな血のシミが残りました。洗っても洗っても、もう取れないほどの。
しばらくの私は、ひどい貧血でまともに動けませんでした。ただ歩いているだけでも、何度も目の前が明滅する感覚がありましたし、常に強い倦怠感にさいなまれていました。
それでも、当時の恋人は私を見放したりしませんでした。もちろん、それが正しい道かは分かりませんが、少なくとも私としては嬉しい物でした。
私は何度も、「私と別れて、新しい相手を見つけてください。」と言い放ちました。今思えば、この言葉は非常に打算的です。こんな言葉は言わずに、嫌われるような行動をすれば良かったのです。(なんだか、過去の自分に嫌気がさしてきました。)
相手は何度も、「何度も言うけど、俺の幸せの尺度は俺で決めるから。」と答えるのです。もしこれが心からの言葉でなかったとしても、当時の私はこの言葉に、どこか安心感を抱いていました。ひどい矛盾です。
そうして、ずるずると生き続け今に至ります。
結局職場に復帰すること叶わず、辞めてしまいました。現在はフリーライター(無職)として、10連ガチャ程度のお金を細々と稼いています。
この記事をここまで読んでくださった方には非常に申し訳ないのですが、私はこれを通して、皆さんに何かを伝えたい訳ではありません。ですが、一つの事実としてこれだけを記しておきます。
職に就いていた時より、自傷行為の回数が減り、髪の毛が少し増えた。
こんな、どうしようもないほど、人生の軸がないくずでも、思想が変わらなくても。
環境が少し改善されるだけで、目に見えた変化があったということです。
ではまた。
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