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AIやGoogle翻訳が発達しても英語を学ぶのは必要か?

翻訳の精度は年々上がってきておりgoogle翻訳とdeepLで大体の英語はきれいに翻訳できるようになってきた。

なんなら最近はビデオで喋ってることを音声認識で読み取って多言語に翻訳してくれる。音声認識の技術が上がったことと言語のサンプルがどんどんたまってるので可能になった技術である。
非常に近い将来にリアルタイムで翻訳できる技術が普及するだろう。ドラえもんの「翻訳コンニャク」はもうそこまで来ている。

こんな時代を生きている我々は外国語を覚える必要があるのか?

僕の結論から言うと旅行だけなら全く必要なくなるが、生活するとなると必ず必要になるかなというのが今の感想です。

これは技術が進んでどれだけリアルタイムに翻訳できても必要だと思っている。

言語は文化

言語というのはその土地の文化を表している。
例えば日本語には日本の文化が濃縮されている。魚の名前が異様に多いのは島国で魚にたくさん接してきた背景がある。なんなら同じ魚で時期によって名前が変わったりする。多分海のない国にはそんな言葉はないし必要ない。

その国の言葉を知ることはその国の文化を学ぶほかならない。日本が昔から仏教などと密接に関わっていてその死生観もある程度共通認識としてある一方、英語圏ではキリスト教などの考え方が密接に関わっている。

はたして技術でリアルタイム翻訳が可能になったとしてそれで大丈夫になるだろうか?その言葉の背景にある意味を汲み取るのはかなり難しいように思う。

英語圏で誰かがくしゃみをしたら「Bless you」という。知らない人にもいう。
正式に言うと「May God bless you 」つまり「神のご加護を」というねぎらいの言葉である。しかも神とか言ってるのできっとキリスト教とかからの考え方でしょう。昔は「くしゃみをすると口から魂が抜けてしまう」という言い伝えがあり、人間の体から魂が抜けると悪霊に狙われるという考え方があったらしい。

こんなの文化は日本語にない。「お大事に」とでも言えなくはないが、知らない人にも言う文化はない。いきなり言われたら怖いかもしれない。
そういう日本には無いがその国では当たり前みたいな事が言語を学ぶ時に入ってくる。

言語は人格

英語を話してる時の自分は少し人格が違う気がする。普段の表現はもちろん、立ち振る舞いが明らかに日本語の時と違う。

もちろんこれはまだ英語がネイティブレベルではないせいかもしれない。少し英語を考える時間にやっぱり脳みそが持っていかれるせいでもある。

それでもやっぱり少し性格が変わる気がする。
英語のときのほうがストレートだし回りくどくない。日本語の「最後まで言わなくても空気を読んでください」的な言い方はしなくなる。

この新たな人格を共存させるのは新しい自分への発見でもある。自分にも知らない一面があるんだということを再発見できる。

周りの日本人をみててもやっぱり少し性格が違うように感じる。ただそれは英語が100%ではないことからくる違いの可能性もある。
ぜひ帰国子女とかでどっちも完璧に喋れる人にも感覚を聞いてみたい。

自分の考え方や性格を拡張するためにも多言語を自分にインストールするのはいいのかもしれない。

というわけで

言語は信頼を得るための道具でもある。いちいち翻訳機を使って話す相手より、そのまま話せる相手の方が信頼できると思います。
翻訳機で発生する翻訳待ちのラグがどうも会話のリズムを崩す。
まぁこれもいずれ将来的には技術が解消するかもしれませんけどね。

それまではコツコツと勉強することにします。
僕も早く翻訳コンニャクが出てきて欲しいです。

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