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明日もパンを作ろう

夜明けにはまだ早い、朝の5時。

目覚まし時計の音を聞きながら、彼女は目が覚めた。

じんわりと明るくなってきた空にはいつもの星が輝いている。

手早く着替えを済ませ、下の工房へと向かう。


「さて、今日も美味しいパンを作りますかね」


ここはとある山の麓にある村の小さいパン屋。

彼女はそんな小さなパン屋の店主にして、唯一の従業員だ。今日も少ない原材料をやりくりしながら、村人のためにパンを焼いている。


今日作るパンは既に決まっているので、手早く準備を済ませてしまう。

第一陣の焼成に入る段階で、ふと明日以降のラインナップをどうするか考え始めた。


「今のところ小麦粉やイースト、乳製品とか、基本の材料は確保できているけど、それ以外の食材が中々確保できないんだよなぁ~。ケチって食パンやバターロールみたいなプレーンなパンだけになるのも味気ないし。」

以前はフルーツや野菜を使って彩り豊かなパンを作っているのだが、ここ最近は基本的な食材で作るプレーンなパンばかりで少し張り合いがなくなっている。メロンパンやクロワッサンなど、手間がかかるパンも作ってはいるが、やはり彩りが寂しくなるので、現状には少々不満がある。

今日はあんこが入ってきたからあんぱんでも作るかな。そんなことを考えていると。


チン!


第一陣が焼き上がったみたいだ。


「ま、悩んでも仕方がないか・・・とっとと開店準備をしないとね。」


7時なったら客が来てしまう。今日は仕込み済みのパンをでかすことに集中しないといけない。


こうして星の輝きを必死に掻き消す太陽の下、田舎の小さなパン屋は開店する。




この村には、現在コンビニ、レストラン共に存在しない。商店はあるにはあるが、品揃えは高が知れている。故に、パンを食べたくなったら、基本的にはパン屋に行くしかないのだ。

よって、パン屋には今日も多くの人が集まっている。


今日のラインナップは、本当にオーソドックスに食パン、バターロール、クロワッサン、メロンパン、フランスパン、ブリオッシュ、そして頑張ってあんぱんだ。


「えー!今日はあんぱん1個しかないんだ。」

「あるだけでいいでしょ!文句言わない」


早速作ったあんぱんに小さな男の子が食いついた。もっとも一番最初ではなかったので、1個しか残っていなかったのだが。

この子は元々甘いパンが好きだった。

もっと材料が沢山あったときは、ブルーベリーパンやチョコパン、イチゴのジャムぱんのような、甘いパンが好きだったのだが、最近ではオーソドックスなパンしか作れていないので、残念そうな顔をすることが多い。

そういう意味では今日のあんぱんは久々の好物登場というわけだ。


「ねーねーお姉さん!今日はもうあんぱんないの~」

「ごめんねぇ~頑張って用意したんだけど、もう無くなったんだね。メロンパンやクロワッサンはまだ残っているよ」

「えーもう飽きちゃったよ。あんパンかジャムぱんが食べたいよ~」

「こら!あんまり無茶言ってお姉さんを困らせないの。

すみませんね。この子ったら最近ワガママばかり言って。」

「いえいえ、こちらこそ皆様のご期待に添えるラインナップでやっていきたいのですが、中々どうにも・・・・」

「仕方ありませんよ。今のご時世、パンが食べれているだけで贅沢なのですから」


実際その通りだった。パン屋ということで、なんとかパンを作るのに必要な最低限の材料は融通してもらえているが、それ以外の材料、特に青果については、中々厳しい。


「せめて果物が入ってくればなぁ」


そうパン屋ががつぶやくと・・・・


「そういうことならうちにいらっしゃい。」


先ほどから話を聞いていたりんご農家のおばあちゃんが話に入ってきた。


「ちょうど今日、りんごの収穫があるんでね。手伝ってくれたら、規格外は全部やろう」


「ありがとうおばあちゃん。

でも大丈夫ですか?今回外に出す分。」


この村にはりんご畑と長芋畑があり、特にりんごは村の貴重な収入源になっている。他の物資を仕入れる都合上、収入源のりんごはあまり町内には流通させない方針だが、それでも規格外は出るので、収穫の日にはお手伝いの報酬として、村人に提供している。で、今日はこのお婆さんのりんご農園が収穫日というわけだ。



「昨日見たけど、多分40~50個は規格外あるね」

「じゃあ。そのりんごあればりんごパン作れるの?」

おばあちゃんの一言に男の子が目を輝かせた


「そうだね。りんごを使ったパンは色々あるから、試しに何個か作ってみるよ。

好評なら明日沢山用意するね。

・・・明日になったらね。」





そんなこんなで午前中の販売がひと段落した。

この村でパンを買う人は基本午前中に来るので、午後に来る人はほとんどいない。

よって、午後は基本フリーになるので、その日の気分で、店を開けたままにするか、閉めて出かけるかを決めている。

昼に農家のおばあちゃんを手伝うことになっているので、それまでは男の子が言っていたりんごを使ったパンの試作をすることにした。幸い以前別の農家から分けてもらったりんごが2個ほどあるので、これで何を作るか検討しよう。

そう思って準備を始めたところ。


「おーい。今日は納豆パン作ってないのかね?」

近所にいる農家のおじいちゃんがやってきた。長芋を中心に色々作っており、たまにパン屋も融通してもらっている。


「うーん。困りましたね~。あんこはこないだ入ってきたんですが、納豆は久しく見てないです」


納豆が最後に入ってきたのは2ヶ月前だった。その時はネギやチーズを駆使して納豆トーストを作っていたのだが、村の仕入れ担当曰く、入荷未定とのこと。


「じゃあ梅干しパンは」

「ないです。作った事ないですね」

「じゃあ塩辛パン」

「しりとりしてます?」


パン屋は長芋農家のおじいちゃんに限らず、村人とはそれなりに長い付き合いになる。

彼女には彼が何を求めているか、このやりとりで何となくわかった。

「ご飯に飽きたからパンにしたいのはわかるんですが、試作したことがないパンを作るとなると、結構材料が必要になりますよ。一層のこといつものパンで我慢して、それからいつもの白米+梅干しや白米+塩辛にしたほうが、美味しくない創作パンを食べるよりいいと思いますよ。」

「いやだ。あんな洋物かぶれなパンなど食いたくない!

そもそもこの店には日本人のためのパンが無さすぎる!」

「そもそもパンって西洋から入ってきたものですよ。日本を感じたいなら結局白米を食べるのが無難ってことになっちゃいますよ?」

「いーや、日本でも日本食としてのパンは作れるはずだ!

実際この本にも日本人の心に溢れるパンを作ってる男の話がのっておる」

そう言っておじいちゃんは某格闘パン漫画を取り出して見せた

「なんでよりにもよってそんなファンタジーを参考にしてるんですか?」

「とにかくなんでもいい!わしにもあう和食パンを作ってくれ!」

「うーん。そう言われても原材料がなぁ・・・・あっ!」

「?」

「おじいちゃんの畑でこないだ長芋の収穫があったばかりですよね?」

「それはそうだが、どうした?」

「醤油はこないだまとめ買いしたものがあるんですよ。それとおじいちゃんが作った長芋を組み合わせれば、とろろパンにできます。納豆っぽくていいと思いますよ~」

醤油などの調味料系は、納豆や梅干しと違い、割と多く作られていたので、この村にもなんとか入ってくる。だからこそ、こう言ったことができるわけだ。

「とろろか。当たり前すぎて忘れておったな。じゃあ一つそれでたのむ。」

「いいですよ~。おじいちゃんのおかげで新しいパンのレシピが増えそうです。

正直私もどんなパンを作ろうか悩んでたところだったんですよ。」

自分一人でレシピを考えるのには限界がある。朝の男の子もそうだが、こう言った素朴な意見や要望はパン屋にとってはありがたい。

「成る程。古い考えに凝り固まっていてはいけないのかもな・・・・。

わしも長芋の新品種のこと検討してみようかな。」

おじいちゃんの孫は長芋を含む、野菜の新品種開発に乗り出そうとして、その件でおじいちゃんと一時期険悪になっていた。

「新しい体験をするのも、気分転換になっていいですよ。せっかくだしいつものパンにも触れてみたらどうです?」

「ふむ。それもありかもな。じゃあ餅パンをもらおうかのう」

「結局和テイストから逃れられないですね。」

こうしておじいちゃんの連想ゲームに付き合いつつ、新たなレシピのヒントを得ることができたので、今日も充実した1日になるな。そうパン屋は感じた。




長芋農家のおじいちゃんが。帰った後、今度こそレシピ開発を行う

りんご農家のおばあちゃんの手伝いをするので、今日の午後はあまり時間を使えないかもしれない。

以前作ったことのあるフルーツパンの応用で済みそうなりんごパンと違い、長芋パンは1回も作ったことがないので、先にこっちの方を色々検討してみたくなった。


皮をむきむき


包丁トントン


すり鉢ゴロゴロ


バリエーションとしては、トーストにとろろを乗っける、パン生地に長芋の細切れととろろを混ぜたものを練り込むの2パターンを試すことにした。種類を増やすとなれば、やはりある程度の量は必要になる。

おじいちゃんが更に規格外の長芋を持ってきてくれることになったので、それも頼りにする。

いずれにしても長期戦になるけど、試作を重ねればいい感じになるだろう。


まだ少しだけ時間が残っていたので、アップルパンの試作を作ってみる。

アレンジするだけなので、やることはあまりないのだが、どれが男の子の好みに合うのか、配合はどうするのか、それを模索する必要がある。今手持ちにあるりんごだけでは厳しいので、そういう意味でもおばあちゃんのりんごは頼りになる。

長芋、りんごの味付けが新たか終わったところで、時計をみてみると、もう12時になっていた。

「そろそろおばあちゃんの農園に行ったほうが良いかな。」

仕込みは終わったので、帰ってきてから試作を作ることは十分できる。

そんなことを考えながら昼食を軽く済ませたあと、おばあちゃんの農園へと向った。

午後の日差しは力強く照っている。それだけの日照量なのに、星の瞬きはかき消すことがてきない。明日にはその輝きが逆転するかもしれない。それでもパン屋も、他の村人たちも、いつもの生活をやめる気はない。

「すみません。色々やってたは遅くなってしまいました。」

別に細かい時間は約束していなかったが、パン屋は元々都会いたので、その時の癖で時間をきっちり守りたいと思ってしまう。

「なーに問題ないよ。今日中に収穫できればいいのだし。」

「ありがとうございます。ついつい昔の癖で・・・」

「昔ついた癖はなかなか治らんよ。

さぁ早速収穫を開始するかのう」

たわいもない話をしながら、畑の方へと向かう

「わぁ~真っ赤に色づいて美味しそう。」

「今年はなかなか出来がよくてね。昨日味を確認したけど、蜜もたっぷりで甘さもバッチリだったよ」

「それならきっと美味しいりんごパンも作れると思います。これは気合い入れて収穫手伝わないとなぁ」

そう言いながら二人は真っ赤に輝く果実を採り始めた。

この村ではりんごに限らず、農作物の品種は農家ごとに違っており、その希少性がゆえに、割と高値で取引されることが多い。ゆえに村の財政はそこまで困窮しているわけではない。ただ、どんなにお金があっても、物資が入ってこないことには、意味がない。
珍しいものは高値で取引されるので、中々仕入れられないのだ。納豆もあんこも、ここのりんご並みに高値で取引されている。今はなんとかなっているが調味料の値段高騰も囁かれている。それでも、村人たちはこの地にとどまり続ける。

それが彼らにとっての望みだから。

おばあちゃんと二人三脚で、コンテナ11個分は収穫できた。その中から、虫食いや破損等、規格外を探すと、総じてコンテナ1個分はある。

せっかくなので、規格外品を1個味見してみた

「いつもすごいですよね~おばあちゃんのりんご。

シャキシャキとした歯ごたえとたっぷりの蜜。

これなら男の子が好きなパンを作れそうね。」

これならレサーブを使ったパンだろうとジャムを使ったパンだろうと思いの儘に作ることができそうだ。

「本当はもっと酸味があった方がさっぱりするかもと思ったんだけどねぇ。結局は私の好みじゃよ。」

ちなみにこの村でのりんごは、農家によって味が微妙に異なっているので、農協による規格統一ということされていない。ゆえに、それがこの村のりんごの売りになっていた。もっとも、現在はりんごというだけで高く売れるのだが。

「そのコンテナを積んだら、もう戻ってもいいよ。」

コンテナを10個軽トラに積み込んだ後、りんご農家のおばあさんは言った

「え?帰った後の荷下ろしは大丈夫ですか?」

「後は帰ってきた家のものに手伝わせるから大丈夫さ。それにお嬢ちゃんは早く店に帰って、パンの試作を作りたいでしょ。」

「あはは。お気遣いありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて。」


おばあさんのご好意に甘えて、このまま店に戻ることにした。

歩いて帰るには量が多すぎたので、台車を貸してもらうことになった。返却は明日以降の仕入れの時でいいと言われた。

日差しは少しづつ弱くなり、星の光はより一層強く感じる。この光がいつ全てを焼き尽くしてしまうのか。それは誰にも分からない。だから思い悩んでも仕方がない。少なくとも、今はまだ太陽が主役なのだから。



「さて、りんごが沢山手に入ったし、りんごパンの試作を作るかな。

あ、アップルパイもせっかくだし作ってみよう。

あの子アップルパイも好きだったもんなぁ」


割と早く終わったのもあって、店に着いたのが15時半となった。意外とまだ時間がある

味見したことで、だいたいの方針が固まったので、ジャムぱんとりんごのリサーブ入りパン、2種類作ることにした。

長芋パン2種類、そしてアップルパイを加えると系5種類になる

午前中の仕込みを差っ引いても1時間以上はかかるだろう。

ある程度の整形が終わり、ニ次発酵をさせている段階で時間はもう16時半になっていた。

「そういえばもうみんな村に帰ってくる時間か・・・。」

この時間になると、外に出荷と仕入れを行ってきた住人が戻ってくる。遠出をするわけではないが、生活必需品の仕入れに手間どうことですら少なくないので、どうしても日の光がオレンジになる頃でないと戻ってこれないのだ。

今日も例によってというわけだ

「おーい。今日の注文の品持ってきたぞ。」

若くて威勢のいい声と共に、今日の納品分が届けられた。

小麦やイースト菌、卵や牛乳など、十分にある食材も念の為在庫を補充しておく。

下手したら明日以降入ってこないことすらありうるわけだから。

「いつもありがとうね。ところで小豆やカカオも頼んでいたけど、どんな感じ?」

「それがなぁ~てんで梨の礫だ。ちなみに梨もねぇぞ。そのおかげかうちのりんごはかなり人気だけどな。

あ、実は今回シナモンが手に入ったんだよ!珍しいだろ。」

そう言って仕入れの男は箱入りのシナモンを見せた。あずきやカカオが珍しいこのご時世に、

シナモンとは奇跡に近い。

「凄い凄い!まさかこのタイミングでシナモンが手に入るなんて。これだとアップルパイやりんごパンの風味がよくなるわ!

シナモンロールやシナモンシュガートーストが作れる。

ほんと、本当にありがとう!」

思わぬ仕入品にパン屋は色めきだった。

「お、おう。そこまで喜んでくれたら頑張って仕入れた甲斐があるよ。」

仕入れの男は顔を赤ながら言った。少しだけ一方通行だった感情が通じ合うかも、と期待してるようだが、果たしてその果実は実るのだろうか

「シナモンは掘り出し物だけど、欲をいえば小豆やカカオも欲しかったなぁ~」

「小麦粉や卵、そしてシナモンが入ってくるだけでもありがたいだろ。贅沢ゆうなよ。」

「いいじゃない、ちょっとくらいワガママいったって。

それにあんぱんやチョコパンを望む声って多いのよね~。

君だって大好きでしょ。チョコパン」

「そ、そりゃそうだけどさ。大好きだよチョコパン」

仕入れの男はまたしても顔を赤らめていった。パン屋の無邪気なセリフに感情は引っ掻き回される

「うふふ。照れてる照れてる。まぁ今日は新しいパンのアイディアが手に入ったから、

しばらくは我慢してやるわよ」

「う、上から目線だなぁ~。

あ、そういえばじいちゃんから長芋も届けてくれと言われてたんだった。」

そう言って仕入れの男は長芋が入った段ボールを持ってきた。長芋はりんごほど人気はないので、比較的村内で流通している。りんごと違って、差別化が難しい上、他の農家の長芋にシェアを奪われているのが現状だ。

味は悪くないのだが。

「ありがとう。おじいちゃんに長芋パン作るって約束したからね」

「じいちゃんそんなこと言ってたんだよな。しかしなんでまたご飯で満足できないかねぇ。

いつ食べれなくなるかわからないっていうのに。」

「まぁまぁ。そのおかげで新しいパンが開発できそうだから、結果オーライよ。

あ、そういえば後少しでパンの試作が出来上がるけど食べていく?」

「え、いいのか?」

パン屋の一言に仕入れの男は食い気味に反応した。

「あれ、でもまだ二次発酵まで終わってなかったっけ。いつもの飲み会に持っていくから、その時だね。」

この村では夜に飲み会が開催されている。やはり今のうちに楽しんでおきたいからなんだろうか。村の老若男女ほぼ全員参加している。二人もほぼ毎日出ている。

「うーん、一瞬期待したんだけどなぁ」

「試作だから色々修正が必要なんだけどね」

「しかしよくやるな。俺だったらいつものパンだけでも満足しそうだけどなぁ。

十分美味しいし」

「こうやってこだわるのが楽しいんだよ。残り少ない日常にもハリが出るし」

元々彼女は新しいものへの好奇心が強い方だった。それもあって、パン屋を始めてから、ほぼ毎日新しいパンを作っていた。最近は難しくなってきたが、それでも考えるのは日課にしている。

「そんなにハリが出るのかなぁ」

「きみは即物的な趣味に流される傾向があるからね。昨日も漫画ばっか見てたでしょ。しかも何周も見て飽きてきたって言ってたじゃん。」

「うっ!」

「まぁ仕方がないことなのはわかるけど、

せっかくなんだし、何か追求してみるのはどうかな?

たとえば長芋の新品種とか。」

「え、今更品種改良?」

「おじいちゃんは今の長芋の味にこだわっているけど、他との差別化できる品種を開発できたら、もっとこの村の長芋需要が増えるよ。

どう?前みたいにやってみない?」

ちなみに仕入れの男も元々は長芋の品種改良にチャレンジしていた。

でもこのご時世、追求することに価値を見いだせなくなり、

仕入れ業務ばかり行うようになってしまったのだ。

「そういえば前はもっと熱心にやってたっけな・・・。。」

「あら。いい顔してるじゃない。そうよ、その調子よ。」

パン屋にとって、男の気持ちは色んな意味でお見通しだった。年下の男の子が育む果実を腐らせるわけでも味わうわけでもなく、ほどほどに育て上げるのは、彼女にとってはパンの試作を作るより簡単な仕事だった

「じゃあ明日から早速チャレンジしてみるか。かなり時間かかる話だけどな。

新しい品種ができたら、パンの材料にしてくれるか?」

「そりゃ長芋の出来にもよるわよ。今はおじいちゃんの長芋をベースにチューニングしているからね。」

「ちぇ。仕方ねーな。絶対度肝を抜くもの作ってやるからな!」

「これも修行のうちよ」

奮起した仕入れの男に、パン屋はイタズラっぽく笑みを浮かべた



仕入れの男が帰った後も作業を続け、りんごパンと長芋パンの試作が完成した頃にはもう18時になっていた。

すっかり日も暮れ、月明かりが村の家々を照らしている。

それに迫らんとする星の輝きは堕天使をも霞ませていたが、幸い闇夜をかき消すことまではできなかった。ただそれも時間の問題だろう。

月夜に浮かび上がるトタンや茅葺の屋根を眺めながら、

パン屋は今日の飲み会の会場へと向かう。

今日はりんご農家のおばあちゃんの家が会場にだと言われていた。

基本的にスペースと労力に余裕がある家が会場になるのが暗黙の了解となっており、今日はおばあちゃんの農作業が終わったので、会場になったのだ。

「こんばんわ~。

お、やってますね~。いい感じで。」

「本当にね~。その元気の半分でも栽培や収穫に回して欲しいもんだけどね~」

「まぁ毎日仕入れしてくれるからそれでチャラにしましょうよ。

それもいつまで続くかわからないですし」

明日になれば必要物資すら手に入らなくなるかもしれない。それ以前に生活ができるかどうかもわからない

「心配しても無駄だよ。さぁ早く中においで」

「そうですね。今を楽しんでおきましょう。

ではお邪魔します~」

そう言って二人は会場へと向かった

「全く、最近仕入れ先が減ってきて世知辛いもんだよ。りんご1個だけじゃ交換できないこともザラになってきたんだぜ。」

「そもそも明日になったら何もかもなくなってるかもしれないのがなぁ~」

「それは仕方ないでしょ。村全体での蓄えはまだあるわけだし、交換できるだけ儲け物よ。

稼げるうちに稼いでおきましょうよ」

会場では割と盛り上がっている。内容はどうしてもそういう話になってしまう

「お邪魔しまーす」

「よう!パン屋のじょうちゃんか。まぁ座って座って、飲んで飲んで!」

「これこれ。若い子にお酒を勧めるのは、ほれ、なんて言ったっけ。なんとかはらはらって言うんだっけ。」

「アルコールハラスメントって言うんですよ。私は大丈夫ですから~。て言うかこのやりとりもう10回目~」

パン屋の登場で少しだけ場の空気が良くなった。
貴重な若い子なのもあるが、比較的人当たりがらいいのもあるのだろう。

「あ、今朝話にあがっていたりんごと長芋のパンの試作ができたので、是非食べて感想よろしくお願いします~。

後、アップルパイも作ったので、ついでにどうぞ~」

パン屋はそう言って試作の数々をお披露目した。

彼女はいつもこうやって飲み会の場に試作を持って行っては、そこでの意見を参考に味等の微調整を行っている。

「りんごパンはりんごのシャキシャキ感がある方がいいかなぁ~。ジャムのパターンもいいけど、できればりんごの感じを味わいたいねぇ」

「そう?ジャムだってなかなか風味が出てていい感じよ。まぁシャキシャキの方が私も好きだけどね。」

「りんごとパンは予想通り合うよね」

りんごのパンはやはり好評だった。

「長芋トーストは味は中々だけど、粘度が少し低いのか、食べると具が垂れてきちゃうね~」

「パンの方は味が薄めかもしれないなぁ。もう少し濃いめの方が、パンの味と調和が取れるかも」

長芋のパンはやはり改善の余地がありそうだ。

「やっぱり粘度の問題があるか~。完全にすり潰しするより具材を残すべきか、もう少し味付けを変えて粘度を上げるか、もうちょっと試行錯誤が必要だなぁ~。

ちなみにおじいちゃんはどうです?」

パン屋はそう言って長芋パンの発起人と言えるおじいちゃんにも意見を伺った。

「とろろはいいんじゃが、もう少しお米の感じが欲しいのう」

「ベースの配合も考えないとなぁ~。」

調整は必要だけど、今回のパンは何だかんだで商品として出せそうだ。

そんなことを感じさせる試食会となった。

「こんな感じで気長に研究するのが楽しいのよ。お坊ちゃん。」

「うぐっ。これくらい根気強くやる必要があるというわけか」

呻きはしたが、仕入れの男にとっても参考になる話だった。

こうして飲み会は佳境に入っていく。

「さて、明日は何をしようかねぇ。余ったりんごで久々にジャムでも作るかのう。」

「明日はもう少し遠方の仕入れ先行ってみるかな。新しいものが手に入るかもしれないし」

「ガソリンのことを考えると無茶はできないぞ。でもそうやって新規開拓すれば、場合によっては久々にあずきや納豆が手に入るかもしれないしな。」

「おぉ、そうすればまた納豆ご飯が食える!是非確保してきてくれ!」

「じいちゃん無茶言うんじゃないよ。まったく。」

納豆というワードにヒートアップするおじいちゃんとそれを宥める孫。

これもこの飲み会の風物詩だった。


「ところでじいちゃんは明日どうするつもり?」

「ん?いつも通り畑の面倒を見るぞ。そういうお前はどうするつもりなんだ。」

「いやね。長芋の新品種を久々に検討してみたいなと思ってるんだ。

後、今思いついたけど、長芋チップスを作ってみるのもどうだろう。」

「ふん。わしはそんな物食わんぞ」

「でもこないだ食べたごぼうチップスは美味いっていってたじゃん!長芋だってきっといけるよ!」

長芋農家の親子がそんな話をしてる横で、パン屋は今朝話した男の子に話しかけられていた。

「りんごパン美味しかった!明日も作ってくれるよね!」

「もちろん!これだけ好評だったし、りんごも沢山あるから明日から出してみるよ!」

「あとね~今度はシナモンシュガーロール作ってよ!この前絵本でみたんだ!」

「おっ!いいねシナモンロール。シナモンが手に入ったし、明日試作してみるね!

明日になったらね。」

こんな感じで各々が明日への予定を話し合いながら、飲み会はお開きとなった。

みんな「また明日」と言いながら。

帰り道。パン屋は明日店に並べるりんごパンと試作するシナモンシュガーロールのことを考えながら、空を見上げると、いつもの星が赤々と輝いていた。

明日になるとこの星が地球を、日本を、この村を、何より自分のパン屋を焼き尽くすかもしれない。もしかしたら無事かもしれない。それは誰にもわからない。わかる人間は既にこの地球上にはいないのだから。

この村の人口もかつての半分になっている。村の外に行った人間がどうなったかはわからない。

それでも数少ない街や村の流通網は残っている。彼らは共通してこう思っている

この先どんなことがあっても、自分たちはこの村で最後まで暮らしたい

審判の日が訪れるのがいつかわからない以上ジタバタしても仕方がない。

そう。たとえ明日がどうなろうとも


「さて。明日もパンを焼こうっと!」

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