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私が見ている世界は、私が見ている世界に過ぎない。


親からもらったメガネ、学校からもらったメガネ、社会からもらったメガネ、、
私たちは知らないうちに「固定観念」という名のたくさんのメガネをかけている。

そしてこのメガネは厄介なことに、かけているということにすら気づきにくい。分厚ーいメガネをかけながら「裸眼ですよ?」みたいな顔してる大人が溢れてる。

たぶん、一つもメガネをかけていない人なんていないし、完全に裸眼になることなんて、無理でしょう。
このメガネたち、良く言えば今まで生きてきた人生の証みたいなものだしね。

でもメガネをかけていることと、かけていることに気づかないのは、全く違う。気づかないのはちょっと怖い。レンズを通して歪めた世界が全てだと思い込み、他の人が見ている世界を受け入れられなくなってしまう。自分で勝手に正解を作り出すことで、不正解を大量生産してしまう、というか。
こうやって受け入れられないものを増やしていくことで行き着く先は
怒りや、恐れ、軽蔑、羞恥心、嫌悪、緊張、、
自分を破壊していくネガティブな感情たち。みんなが本当は解放されたい感情たち。


でもね私、メガネ、無理に外そうとしなくていいと思うの。「自分もみんなもメガネをかけている」。このことを思うだけで、すごく心が楽になる。私とあの子は、違うレンズを通して世界を見てる。正解とか不正解なんてなくて、そこにあるのは違いだけ。
そしてね、だんだんと気になってくるの。私のメガネは、どうやって作られたんだろう?いつ?誰が?どうして?
こうやって考えていると、知らずのうちに重たいメガネをたくさんかけてネガティブな感情に支配されてた自分に気づいて、かわいく思えてくる。頑張ったね、って抱きしめてあげたくなる。
このメガネ、外した方が楽かもな。そう思う日が来たら、外したらいいと思うんだ。その頃にはきっともう外す準備ができてるの。

私の見ている世界は、本当に私の見ている世界に過ぎない。
ってことは…
世界ってどこまでカラフルなの!

ちゃお!

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