しゃべらない生徒から教えてもらったこと

バイトで忘れられない生徒の話。

(結構大事にしてる話だから、もっときれいに文章かけるようになってから、と思ったけど、そんなことしてたらいつまでたっても書けないから、とりあえず、とっちらかってるまま。)

だいたいこういうのはめちゃくちゃ長くやらない限り、最初の生徒が一番おもいいれがあるもので、ある意味それはあってる。

場面緘黙症の女の子だった。まあ、塾長変わったりゴタゴタもあって、初めはその事を知らなかった。とにかく話しかけてもコミュニケーションが取れない。yes/noの質問ならうなずいてコミュニケーションが、とれるけど、なにが話したいかなかなかわからない。
もうとにかく、休憩時間中、些細なことから聞きまくってた。そんで、あるときもしかしたら、と思って、質問を紙に書いた。
そしたら、答えが返ってきた。
感動したよね。伝わった。やっと。
そのときは、声を出すのが恥ずかしいのかなーくらいにしか思わなかったんだけど。
でもそれって、障害と個性の境界線ってなんなのか問題なんだよねって思う。
結局最後まで話してはくれなかったけど、中学を卒業して、高校の友達にはお話できるようになったみたいで。
毎週ずーっと話しかけて、筆談したのがすこしでもその子の背中を押す力になってたらと思う。高校では成績もよくなって、勉強が、楽しくなって、ああよかった、って思ったんだよね。
自分の人生柄、それなりに勉強できる人ばかりの集団にしかいなくて、勉強できなくて成績もよくなかったこが、高校で自分に合った授業を受けて、わかる楽しさ、成績があがる楽しさを知って、勉強が好きになる瞬間なんて見ることがなかった。
目から鱗だった。


同時にね、もっとできることがあったんじゃないかって思う。
場面緘黙症って、調べたら、それなりにネットにも情報はあって、たとえば、小学校で、みんなの前では話せないけど、先生と二人のところならしゃべれた子もいたりとか、そういうこと知ってれば、話せたかもしれないし、勉強ももっと教えてあげられて、はやくに好きになれたかもしれない。

でも、そうやって症状に名前をつけると、障害だけど、私も似たようなのもってるなぁと思う。
属する集団によって、自分の見せる面を少し変える。いわるゆキャラというやつかもしれないけど。
キャラというのとはちょっと違うなって思うのはどこの自分も嘘ではないから。ただちょっと人に見せる角度が違う感じ。
集団によっては見せたくない面、角度がある。ちょうど彼女が塾で声を聞かせたくなかったみたいに。
そういう共感があったから、場面緘黙症っていうものに、あまり敷居を感じなかった。
ああなるほどなって妙に納得したんだよね。
それで、世界がまた一つ広がった気がした。知らないことを教えてくれた。

だから、私にとって、すごく忘れられない人になった。
今頃、どうしているかなぁ

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