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人生、どのようなことがあろうとも、光りの射す方へ行こうとすべし。 光は救い。 光が人間を生かそうとする。 光が人間を導こうとする。 だから光の指し示す方へ向かうこと。 人間なのだから、良い時も悪い時も訪れる。 絶望の淵に立たされるやも知れぬ。 何かが起きた時、狼狽せず、動揺せず、迷わずに、心を凪の状態に落ち着かせ、じっと光が射すのを待つのだ。 慌ててはならぬ。 諦めてもならぬ。 光は常にそこにある。 光は真善美。 内面から光を求めることが出来たならば、
社長さんよう。 売上を増やそうとする前に、することは無いのか? 「え?会社の目的は売上の拡大なんだから、それを考えるのが社長の仕事でしょ?何言ってんの?大丈夫か?」 「売上よりも、大事なのは利益じゃないですか?もう右肩上がりの成長主義の時代じゃないですよ。売上そこそこでも、ちゃんと利益が残せるかどうかが経営の腕の見せ所でしょうに。」 「売上も大事だけど、それは結果の話。もっと大事なのは、顧客の創造。かのドラッカーも言っています。私は社長として、いかにお客さんを増やすか
「有難味」。 苦労があるから平時の有難味が分かる。 失敗するから達成の有難みを感じれる。 親の有難味、自然の有難味、健康であることの有難味…。 万象の存在を心から有難く感じれるようになった時、即ち悟り。 従って悟りには、好もうが好まざろうが苦労や失敗が必要となる。 これに向き合わず、逃げて躱すことばかりを考えている者には、何も訪れぬ。 何も起こらないということは、生きたまま死んでいることと同じ。 「ええ?毎日、楽に楽しく生きることが人生の目的なんじゃないの?そ
「本当の仕事」とは何か? 「それは、生活のために決まっているじゃないですか!?生きるのが精一杯な世の中で、生活のため以外の仕事って何かあるんですか?」 「あると思う。自分が好きな事、得意なことをしてお給料をもらうことができたら最高だと思う。」 「それって、相当なプロじゃないと無理なんじゃね?アマレベルじゃ、いくら好きなことしたって、お金はもらえんって!っていうか、アマはお金をもらっちゃいけないと思う。仕事は真剣勝負だと思う。」 「私は、やりがいのある仕事が本当の仕事だ
この世に存在するヒトは“人”ではない。 間がある者、即ち「人間」。 人間すべてやり直し人生を生きている。 従って、己も、親も子も、先生も、上司も、先輩も、教授も社長も役人も国家元首も、皆、未熟な存在。 この大前提を履き違えていると、人間の生き様は好転していかない。 どのような意識で何を考え実践したか、その感性がものを云う。 これ、真理に照らし、己の感性がどの程度、完成化しているか。 即ち、超大大宇宙の意識にどれ程近づけたかが唯一見られている。 己が、どれだけ良
人間赤子は善で産まれてくる。 それはもう純真無垢な存在。 長いあの世での反省で得た課題を、今世で何とか今世でやり遂げる覚悟を持ち、これから生きるぞ!と云う強い生命力に満ち溢れている。 生命としての身体や器官は未熟であったとしても、生きることに対する意識ははっきりしている。 赤子は、純真無垢が故に、その寝顔すら、周囲に幸せを呼ぶ。 誰もがそのような存在としての今世での始まりがある。 しかし人間は、歳を重ねる度に、目は塞ぎ、眉間に皺が寄り、背中が丸まり、重い荷物を背負
人間は、魂のレベルが同じ親に生まれている。 これ真実なり。 従って、親も子も、共に切磋琢磨しながら、人間性を高め、更に魂のレベルを上げていく役割がある。 つまり、親と子に上も下もないということだ。 ここに天からの至れり尽くせりの配慮がある。 そもそも、この世に生まれ出れることすら奇跡。 なぜならば、自ら志願をし、超大宇宙の、兆、京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数の魂から選ばれ、産まれている。 この世に生まれ出た瞬間から
人間、因果応報。 起こること全て、因があり、果が起こる。 原因としての善い行いをすれば、善い結果が得られ、悪い行いは悪い結果を齎す。 これ、善因善果、悪因悪果。 現世における因のみならず、前世の行いにより、様々な結果を報いとしても受ける。 これ、好もうが好まざろうが、三世因果の真実。 収まらない因果は消えず、車輪のように回り巡る。 今起こる失敗、苦労は、その巡りに当るもの。 その事象から逃げ、隠れ、躱し、蔑ろにすれば、また同じ失敗や苦労を繰り返すのみ。 未熟
平和を乱す壊すもの。 それは“戦争”が最たるもの。 しかし、それだけではない。 戦争だけが平和を乱す原因ではない。 人間繁栄の裏には陥穽(かんせい)がある。 陥穽とは、落とし穴。人間が陥れる謀(はかりごと)。 即ち、これ繁栄に浮かれ謳歌する人類の裏側には陥穽が潜んでいるということ。 これに気付かずに“抜かり”が起こることで、平和は、いともあっさりと揺らぎ崩れていく。 便利に、楽に、効率的に、を過剰なまでに突き詰めていくと、その先には悲劇が待っている。 巷の悲
自分の生き方を見定めよ。 いつまで根無し草の如く、ふらふら、なあなあ、テキトーに生きているのだ? やりたいことがあるのだろう。 かつては夢を抱いていたではないか。 志を持っていたではないか。 なのにどうした? 今の己の姿を視てみよ。 甘さに負け、欲に塗れ、ボーっとして生きているのか死んでいるのか分からない、そんなことでは世が浮かばれぬ。 己が手に持つものの中に本当のことは書いてあるのか? 小さな部屋に閉じこもり、そこで何をしているのか? もう、今世の中で与
人間、働くことで人格・人間性を磨く。 “働く”とは、単に労働にあらず。 生活のため、生きるため、自己成長のため、富・地位・名誉・名声のため、継承、責任、使命、仕方なく、遊び・暇つぶしとして、ただなんとなく皆がしているからなど、いろいろ個々それぞれに捉え方の違いはあれど、人間“働く”ことで生かされている。 “働く”ことは、気の持ちよう心掛けによって、成果や評価、自身の人間としての成長度合いも大きく変わってくる。 “働く”ことで得られること、いや、働かなければ得られないこ
なぜ、いつもそんなに中途半端なのか? なぜ、いつも最後の最後までいい加減なのか? 己、心当たりはあるか? 「そりゃあ、ありますよ。人間ですから(笑)。いつも完璧だと、疲れ果ててしまいますって。人間、いい加減くらいが丁度いいんですよ!」 「私は完璧でありたいといつも思っています。でも、忙し過ぎて…。気持ちはあるのですが、どうにもこうにも。」 「そうですよね~。いつもいい加減、中途半端な人って周りに必ず一人はいますよね。仕事だと、みんなに迷惑様ですよ、本当に…。え?私?
「人生とは何か」ということを知りたくないか? 「はい!知りたいです。でも今は無理です。日常が忙し過ぎて、暇が出来たらそういうの学ばせてもらいます!」 「いや、私は結構です。そういうの宗教っぽくて、なんか怪しいし。私は特に何も不自由は感じていないし、幸せに生きれているので大丈夫です。」 「ちょっと、そういうの興味ある。だって、親や先生にそんなこと聞いても、ちゃんと教えてくれなさそうだし、そもそも知らなさそう。だから、人生とは何かをちゃんと教えてくれるのならば学びたい!」
誰もが幸せで在る世界を創りたくはないか?そうなるためには、何が必要か?今の世に足りないものは何か?自分自身に足りないものは何か?それはあり余る程の財か?それは豪勢な家、車、品々の類か?それは刺激的な体験か?己の幸せに何が足りない?「いやあ、愛っしょ!愛!!愛が足りない!!」「違うよ。カネだよカネ。カネがあれば、何でも買える。愛だって幸せだって買える。そうだろ?世の中カネが全てなんだよ。」…。そうか、愛か。愛とは何か?そう、カネか。カネで愛も買えるのか?己、もっと愛がほしいか?