見出し画像

歩き続ける男

今朝、久しぶりに彼に会った。会ったといっても、私たちに会話はない。私は彼のことを知っているが、彼はおそらく私のことを知らないだろうから。

もう2年くらい、午前中に特に予定がなければ、事務所近くの山までウォーキングすることにしている。もちろん、健康のためだ。スポーツクラブはやめた。車でスポーツクラブに行って、ウォーキングマシーンで歩く矛盾をサラリーマン川柳で読んでからだ。

今朝も私が山までウォーキングしていると、彼が熱心に山の中腹の団地の住宅にポスティングをしていた。時間は、まだ9時過ぎだった。

私と彼の出会いは、20年前にさかのぼる。

ある生命保険の代理店の研修生みたいな立場で一緒だった。一緒といっても、支社全体で多くの研修生がいて、営業所が違ったので、直接話をしたことはない。ただ、私がたぶん年が近いと思っていたので、意識していた。

当時の私は20代でやっていた事業がすべて失敗し、ゼロから自分の人生を考えているときだった。しかし、それまでの人脈から、営業成績は常に支社全体でもトップクラス。新人ながら大口の契約をバンバンとっていた。

反対に、彼はいつも営業成績が支社全体でも下から数えた方が早かった。それより私の気を引いていたのは、いつも彼が歩いていることだった。たまたま自宅が私の家と近かったこともあり、彼の歩いている様子はいつも見ていた。黒い大きなカバンを手に、スーツを着たまま、常に歩いているのだ。

なぜ、自転車に乗らないのだろう?なぜ、バスに乗らないのだろう?当時の私は、いつもそんな彼を車や自転車で颯爽と追い越しながら、考えていた。

まさか自転車が買えないくらい、貧しいのか?それとも、何かの宗教上の理由で歩いて契約を取ると決めているのか?それとも、単にマニアックな趣味で、靴底の減りを楽しんでいるだけなのか?

たぶん、当時の私は彼を見下していたのだろうと思う。街中いたるところで、ボロボロの革靴で歩き続ける彼の姿を見かけていた。

その後、通常は2年間の研修期間を、私は1年足らずで、会社に無理を言って独立を認めてもらった。その後、何度も方向転換を繰り返しながら、今は全く違う仕事をしている。

しかし、そんな七変化を繰り返している間も、年に数回は歩き続ける彼を街中で見つけていた。私が全く違う仕事をしているときも、何も変わらず歩き続ける彼を見かける度に、自分の中の感情の変化を感じていた。

数年前、私のマンションのポストに彼のポスティングのチラシが入っていたことがあった。そこには、生命保険のチラシに彼の名刺もつけてあった。その名刺には、立派に代理店として独立しているだけでなく、株式会社を設立して社長の肩書とファイナンシャルプランナーの資格もあった。

彼は愚直にも歩き続けて、ここまで来たんだな、私は本当に嬉しくなって、その名刺は私のデスクの一番目の付く場所に置いた。

そんな彼も今では、ママチャリに乗っているところを見かけるようになった。今思えば、彼は自分でルールを決めていたのだと思う。その自分のルールをクリアーできてから、自転車を買ったのだろう。

現在の彼は、20年間保険を取り続けているので、おそらく安定した不自由のない生活が送れていると思う。今の私は、自分の仕事の責任の重さや継続していく難しさを考えると、彼のことを羨ましくさえ感じることがある。

年に数回、彼のことを見かける私が密かな喜びを感じていることを彼は知らない。そして、そんな私はいつも彼の背中から、大切な何かを教えられているような気になるのだ。






















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?