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闘雀/とうじゃく/人を恐れず

「全く、豆太ほどおくびょうなやつはいない。もう五つにもなったんだから、夜中にひとりでせっちん(便所)ぐらいに行けたっていい」ー 豆太と暮らすじさまの談話。
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『モチモチの木』
斎藤隆介、作
滝平二郎、絵

滝平二郎さんの温かくて美しくて、でもどこか切ない、色気のある切り絵の世界に惹きつけられる。斎藤隆介さんとの名作だらけの絵本はお気に入り。

居候先で、毎日小さな子どもたちと過ごしていると、彼女たちは瞬きする間に大きくなっていく。あぁ、幸せってこういうことなんだろうなぁ、ちゃんとした正しい人間でありたいなぁと思うんです。

おばけ
うんこ
やさい
どうぶつ
おしいれ……etc

スキ、キライ、スキ、キライ。
子どもは成長に合わせて、遊びや絵本の物語の中のなにものかに感情をあずけているみたい。

「まてまてまてー!」と追いかけられる自分、「おなかが痛いんですか?」とお医者になれるごっこ遊び。理解のできないおばけやうんこややさいやどうぶつやおしいれとも、時間をかけて仲良くなっていくために、一旦、相手に自分をあずけてる。

相手(おばけやうんこ)の気持ちを少しづつ理解していく。でも怖い。でもやっつけたい。でも怖い、でも仲良くなりたい……。そんな繰り返しの中、あきらめないで果敢に向かっていく。新しい自分の気持ちを見つけながら大きくなってる。物語の中に自分の居場所を見つけながら、相手との関係を探している。

ふむふむ、なんでそんなにがんばるのかな。

「知りたい」という好奇心。知らなきゃサバイブできないという本能。

絵本や遊びは、大きくなるための通過儀礼。「わたしはこうしたいの!」という、子どもの目標や理想をわかりやすく示してくれる。

弱虫ぐらいがちょうどいい。弱くても強くあろうとする心があっての弱さがいい。

食べ物だって経験だって、知らないものを自分の中に入れるのは怖い。だからイッサイガッサイを一旦信じて預けるしかない。子どもは毎日ぼくにそれを教えてくれます。

大人になっても弱さと強さと色気を小脇に抱え、季節や人生の移り変わりを楽しみたい(災害が起きた際、臆病な人が助かったという……その話はまた今度)。

さぁ大人たち。見えない恐れやうわさに振り回されないように、まずは一旦、相手の懐へ飛び込もう!今日もビビりながら陽気にいこう!

「自分で自分を弱虫だなんて思うな。人間、やさしささえあれば、やらなきゃなんねえことはきっとやるもんだ。それを見て、他人がびっくらするわけよ。ハハハ。」じさま談

【闘う雀 人を恐れず】何かに無我夢中になっている者は、思いがけない強さを発揮するというたとえ。かわいい雀だってやるときはやる。弱さは強さだってことだ、たぶんね。