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優しさとは何なのか - 漫画【鉄風】感想文(後編)

女子総合格闘技漫画「鉄風」を最終巻まで読み終えました。
以下の記事は3巻までの感想です。
今回は4〜8巻の最終巻まで読んだ感想を書きます。正直、今まであまり感じたことのない感情になりました。これはすごい漫画かもしれません。

※以後ネタバレあり

総合格闘技を始めたばかりの夏央は、早くもプロ大会の新人枠トーナメントに出場することになり、5巻からはその試合の模様が一試合一試合描かれます。前回の感想で、「夏央はかなりねじ曲がった性格をしている」と書きましたが、正直このトーナメントに参加している格闘家たちは、みんなどこか捻じ曲がってます。そのねじ曲がり方がそれぞれ違い、しかもそんな人間たちが殴り合うというのだから、夏央の試合以外もなかなかに濃ゆかったです。

3巻までは、夏央の性格がねじ曲がっていることだけは明らかに分かったけど、なぜ彼女がそんな性格になったのかということはまだ明かされていなかった。

そして最終巻まで読み、彼女がなぜ「充実している人間が嫌い」なのか、私たち凡人が普段感じている「充実している人間が嫌い」とは、かなり違うのではないか、ということが分かってきます。

彼女は元々、「充実している人間」だったのです。

子供の頃から人より運動神経がよく、なにかスポーツをやると、彼女より長くそれをやっている人たちを短期間で軽々と追い越してしまう。
まわりに「そんな技できてすごいね!」と言われても、純粋に「なんでできないの?」と返してしまうような子供でした。

そんな彼女は小学生の頃、格闘技好きの兄と共に空手を習い始めるのですが、やはり兄を追い越してしまう。その時点で、一般的な「兄は妹より強いもの」という関係性が彼らの間で崩れ始めます。

そして極め付けに、兄をいじめていた男子学生たちを妹の夏央ひとりでボコボコにして兄を助けるという”事件”が起きるのです。

彼女はその時、兄をいじめる奴をやっつけ、「兄を助けることができた」という純粋な気持ちで、兄に対して
「もう安心だよ。これからは私がお兄ちゃんを守ってあげるからね。」
と言い、
それを聞いた兄は、
夏央が想像していた反応とは裏腹に、怒りに震えながら、
「お前みたいな充実した人間は大っ嫌いだ!!」
と叫びます。

兄からすると、いじめられていること自体も情けないのに、本来自分が守るはずの妹に守られてしまったことへの屈辱と、妹より才能のない自分への嫌悪感で押しつぶされる気持ちだったのだろうと想像できます。

しかし、当時の夏央にその感情を想像することは難しかった。
夏央は、喜んでくれると思った兄に、なぜか「大嫌いだ」と叫ばれ、大きなショックを受けます。
その出来事は、兄にとっても夏央にとっても、事実以上の"事件"でした。

その後も彼女は、どんなスポーツをやっても、大した努力をせずとも人を追い抜いてしまうので、周りに疎まれることが多くなっていきます。その度に彼女は絶望していくのです。

そんな経験を繰り返すうちに、彼女の中で
「才能があって充実した人間=嫌われる」
という方程式が確立されていきます。

だから夏央は、彼女の前に突如現れた「充実した人間」馬渡ゆず子に、苛立ちを感じずにはいられなかった。

夏央は念願である馬渡ゆず子との試合中、今まで溜めに溜めてきた彼女への想いを、"心の中で"吐き出していきます。

純粋に総合格闘技を楽しむだけのゆず子に、(心の中で)こう言います。

「馬渡さん、それはダメよ!」

ただゆず子が妬ましく気に入らないというだけなら、この注意喚起のような言葉使いには違和感がある。夏央はゆず子に、昔の自分を重ね合わせている節がある。「あなたそのままいったら、私みたいにダメになるよ」と言っているようにもとれる。
しかし、それはもちろん夏央の親切心などではありません。
そして、彼女は最後のゆず子との試合で、こう吐露しています。

「私はあなたみたいになりたかった」

夏央は今まで他人からの妬みや批判による攻撃がなければ、いや、その攻撃に夏央自身が気付かなければ、傷つかなければ、ゆず子のように今もただ純粋に格闘技をたのしむ人間になれていたかもしれない。必要以上に傷つくこともなかったかもしれない。

ゆず子に「それはダメよ!」と言いつつ、その言葉にはゆず子に対する妬みや羨望も入り混じっているのです。複雑な感情ですが、とても人間らしい。私は、夏央は性格がねじ曲がりすぎて自分とは全く違う生き物のように感じていましたが、最終巻にして初めて「人間らしさ」を感じ、少し安心したのです。

しかし夏央は、先述の方程式が確立されて以降、
「一生懸命努力して、努力して、最終的に負けてしまう」
ということに喜びと安心感と充実感を感じるようになるという、これまたねじ曲がった要素を発揮してくれます。

努力せずとも勝ってしまう人間(=嫌われる)
努力しても負けてしまう人間(=好かれる)

なんとも綺麗な二項対立ですが、これを間に受けて実践し、本当に嬉しそうにする人間なんて、まぁいないでしょう。

この極端な感覚が、本当の彼女の異様性のような気もします。
一瞬、夏央に感じた親近感のようなものが、ここでまた少し遠ざかってしまうのですが、そこに読者は痺れてしまうわけです。

さらに、彼女が試合中初めて感じた「ゾーン」の体験を師匠に話した時、それを経験することは他の人にもあることを知ると、
「良かった、私だけじゃないんだ」
と、顔を赤らめながら心底嬉しそうに笑います。
彼女はそれほどにまで、他人と違う自分を嫌悪してきたことが伝わってくる、少し狂気じみたシーンです。

そしてゆず子との試合の終盤、夏央は(心の中で)ゆず子に語りかけます。
「あなたと私の違いはなんだと思う?」
「あなたに欠けているものを教えてあげる」

この試合中、夏央だけでなく、ゆず子のバックグラウンドも描かれています。それがまた興味深い。

夏央とゆず子はどちらも元々「充実した人間」ではあったかもしれませんが、ゆず子は決して「努力せずとも勝ってしまう人間」ではなかった。
むしろ、総合格闘技のセンスはほとんどなく、いつも一緒に練習していたブラジル人の少女リンジーにボコボコにされる日々だった。
それでも、毎日笑顔で道場に顔を出し、彼女は心の底から総合格闘技を楽しんでいた。一見すると良いことのように思えるが、彼女は「負ける悔しさ」をほとんど感じていないようにも見えます。

負けても負けても笑顔でキラキラした眼差しで相手を見て、「もっとやろう!」という姿勢で立ち上がる。それが普通の人間には気味が悪く感じるのです。
しかし、ゆず子はそんな他人の目にも気付かず、人の何倍も練習をして徐々に強くなっていきます。おそらく彼女にとって、人の何倍もの練習すら全て「ものすごく楽しいこと」でしかないのです。
ものすごく純粋に、少し周りが引いてしまうほど格闘技を楽しんでいる。それは、夏央もゆず子も幼い頃に共通していたことです。

しかし、確かにゆず子には、何かが欠けています。夏央のような分かりやすくねじ曲がった性格ではない、もっと別の種類の「何か」がおかしいという違和感がずっとあります。
まず、悔しさや人への妬みが全くない。一見それは「ただの良い人」のようにも思えるが、実際彼女を見る人々は「気持ち悪い」と言うのです。

夏央とゆず子との違いは何か。
ゆず子に欠けているものは何なのか?

夏央はゆず子との試合の最後の打ち合いの直前、2人が向かい合い、構えに入った瞬間、両者ともおそらくゾーンに入っており、夏央はゆず子に"直接"こう語ります。

「馬渡さん 私 あなたみたいになれれば良かったと思ったの…」
「だけど そうじゃなかったの」

そして、夏央は謎の覇気のようなものをまといながら、
満面の笑顔のゆず子に"心の中で"こう叫ぶ。
「ゆず子ー
アナタには
優しさがない」

いやーーーこのセリフには食らいました…。
ゆず子は人への共感能力が極端にないのです。
それは物騒な言い方をすると、サイコパスです。
サイコパスは、一般の人間が感じる悲しさや悔しさのようなものを感じる能力が低く、理解はできるが共感ができません。ゆず子は他人の喜怒哀楽のような感情に共感しているシーンがほとんど出てきません。それが違和感の正体です。

最後、夏央はゆず子に
「あなたと私は違うのよ」
と言い、ゆず子は少し残念そうに「そっかぁ」と漏らす。

ゆず子も今まで自分と他人の違いに気づいていなかった訳ではなかったことがここで分かりますが、夏央ほどは考えこんでいるわけではない。
なんというか、ものすごく動物に近い人間が、純粋な疑問として、なぜ違うのだろう?と思うような感じです。だからこそ危険なのです。

私のような超凡人にとって、プロスポーツ選手のような人間は、ほとんどみんな「良い人」に見えるし、人より努力もして才能もある「すごい人」だと思っていますが、当人同士の間ではこんなバチバチな感情のぶつかり合いが行われているのかとも思うと、なんだかゾクゾクします。いや、この漫画が異様なだけかもれませんが…でも何か近いものはあるんじゃないかなと思います。

スポーツというのは、身体を使った戦いだからこそ、その人間の本質のようなものが分かりやすく浮き出てくるのかもしれません。それをスポーツでやるから社会的にも成立しているのであって、普通の会社でこんな感情をむき出しにしたら、生きていけません。

この漫画は、才能のある人たちの感情を、狂気と人間らしさをうまく織り交ぜながらものすごく異様に、ものすごく面白く描いています。

そして、夏央の言った「優しさ」とは何か?
それを読者に委ねてあっさり完結してしまった。
ただ打ち切りになっただけかもしれませんが、「もう少しおかわりしたい」と思わせて終わるのも、全盛期に引退するスターみたいで、そこも含めてとてもかっこいい漫画でした。


▲鉄風の話は後半


▲鉄風の話は前半


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