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父は中学2年生のとき、腎臓を移植していた

昨年の夏、帝王切開で娘を産んだ。

促進剤を2日連続で打っても、子宮口は3センチから開かないまま分娩停止となり、緊急帝王切開になった。

産みの苦しみは産んだら忘れる、とよく言われるけど、帝王切開は、その「産み」、には入らないのかもしれない。そう思えるほど、術後の痛みは凄まじかった。

帝王切開の傷跡は、1年経ってだんだんと薄くなり、今はもうあまり目立たない。

だけど娘は、一緒にお風呂に入ると、毎回その傷を見つけてちょんちょんと触る。

わたしの父も、左腹に20センチくらいの傷がある。もちろん帝王切開の傷ではない。

小さいころは、その傷のことを、交通事故でできた傷、とかそんな風に聞かされていた気がする。だいぶ大人になってから、実際は腎臓移植の手術のときにできた傷だと聞いた。

父は中学2年生のとき、腎臓を移植していた。移植相手は自分の父親だった。しかし、その後すぐに祖父は亡くなってしまう。わたしは、最初その話を聞いたとき、「ふうん」くらいにしか思わなかった。

でも、わたしが親になってみると、この話の受け取り方はまるで違うものになった。そのとき、父はまだ中学2年生だったのだ。中学2年生が、どこまで理解した上で、腎臓移植を決断したのだろう。親の生死が自分にかかっていた、少年の気持ちは計り知れない。

父とは、この腎臓移植に関する話をほとんどしたことない。

小さいときに、父が傷の真相をはぐらかしていたのは、父と同じ状況になったときの想像を、わたしにさせないようにするためだったかもしれない。あるいは、話してもまだわからないと思っていたのかもしれない。

そして今もなお、この話を、家族の誰かが話題に出すことはない。タブーではないが、なんとなく触れない。

でもいつか、「この傷なあに?」と、わたしの娘が父に聞く日がくるだろう。
そしてやっぱり、父は娘に話さないと思う。

今後、もし、父に腎臓移植が必要となったとき、私はドナーになるのだろうか。わからない。わたしが手をあげても、父は拒否するかもしれない。情けないけど、自分で決断できる気がしない。





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