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「必要とされる」ということ。

昨日は、長男の18回目のbirthday。

高1から不登校になり、
通信制への編入を経て、

自分の夢を追い求めつつ、
週5でアルバイトをする生活。


自身の職業柄

「どうすれば、若手人材の離職率に歯止めをかけるか?」

ばかり傾注しているので、

毎日、6時起きしながら、バイトに通う長男に


「なんで、バイト続いてんの?」


と、やや、乱暴ながら聴いてみる。


「うーん、、、。仕事があるから」

なんちゅう、抽象的な答えだ。

「なぜ、山に登るのか?そこに山があるから」

に匹敵する、抽象度の高い答えだ。

高校に通ってるときは、

あれだけ、朝起こしても、

くすぐっても、頬っぺた引っぱたいても、

耳元で、大音量のQUEENの

「WE WII ROCK YOU」を聴かせても

微動だにしなかったヤツが、

今は、自力で起き、バイトに出かけていく。


「そこに仕事があるから」。

「ふーーん。

じゃあ、どういうときに辞めたい、と思うと思う?

仮に、”こんなバイト辞めてやる!”って思うとしたら、

どんな時だと思う?」


こんな風に問うてみた。


しばらく考えたのち、ヤツはこう答えた。


長男「必要とされなくなった時かな」

 

母「必要とされなくなった時って、例えば、どういうとき?」

 

長男「そんなん、わかるじゃん、なんとなく。相手の行動とか、顔つきでさ」

つまりこうだ。

 

「キミ、使えないからさー、もう必要ないんだよねー」

などと、直接言葉で伝えなかったとしても、

「わかるじゃん、なんとなく」なのだ。

無意識に、

「コイツ、使えねーなー。 

ま、いっか。使えねーバイトにストレス感じるより、

新しく採用したほうがいいわ」


って、言葉にしなくても、

今、その表情や態度に、

表れていて、しかも、相手には「バレバレ」だということ。
 

――辞めたくなる時、それは必要とされなくなる時――

 

こう感じる、個性(思考の特徴)は、

ある意味、奇特だと思うのだ。

「どういうときに辞めたくなる?」

の答えが、


「時給が安い時」

「ボーナス、出なかった時」

「給与以上の仕事を求められた時」

「有給がとれなかった時」
 
 

まぁ、正しいんだけど、

「条件付き」のバイトだよね。

条件が悪ければ
もっとよい条件が見つかれば、

続ける意味を見出せなくなる。


でも、
「必要とされているから、働く」

と、感じる層が、ある一定数存在している事実を、

雇い主は、知っててほしい、、、と思う。

「キミ、頑張ってるよね、めちゃめちゃ、助かってるよ」 

「キミがお店に立つと、お客さん、ニコニコしてるもんね。
ホントに、君がいてくれるとありがたいよ」

 

こんな言葉がけひとつで、

「必要とされている」と実感でき、 

「もっとこの職場のために、がんばろう」

と思える原動力になることを、多くの事業主は知っていてほしい。

 

そういう意味において、

家庭で、同様の言葉がけをすることは、

本人の「生きる原動力」にさえ、なり得る。

 

職場における

「ありがとね、今日も頑張ってくれて」

のねぎらいの言葉は、

家庭における 

「ありがとね、この家に生まれてきてくれて」の言葉に匹敵する。
 

 

18回目の生まれた日、

心からの「産まれてくれてありがとう」の気持ちを贈った。
 

そこが、全ての人が、誇りを持って生きる、根源だと思うから。
 

これをお読みの親御さん、

「産まれてくれてありがとう」

を、伝えてほしい、心から。
 

これをお読みの事業主さん、

「ここで働いてくれてありがとう」

を、ぜひ、照れずに伝えてほしい、

たった一言のその言葉があるか、ないかで、

「この会社のために頑張ろう」

になるか、
 
「やってらんねー」になるかは

実に紙一重です。

 

人は、誰でも

「必要とされたい」と思う。

でも、自分から

「必要としてるよ」

を伝える機会が、あまりに少ない。

 

ほしい言葉を待つのではなく、
 

自ら発信できる一人でありたいな、と思う。
 

鶏が先か卵が先か?を論ずるヒマがあったら、

先に、「ねぎらい」の言葉を、
 

大量に生み出せる、自分でありたい、うん。

少しだけ、頑張るのが疲れたあなたに。 「ねぎらいの物語」を贈ります。