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Kくんのこと

白き顔埋める花は降り積もる雪になりけり君の記憶も


大学1年の5月。初めてのクラスコンパで仲良くなったKくん。眼鏡男子で色白で細くて吹奏楽部でドラムを叩いていた。私と誕生日が近かった。私がフュージョンを聴くよって言ったら、その日コンパの帰りすぐにCDを自宅アパートに取りに行ってくれて、即座に貸してくれた。T-SQUAREだった……と思う。

素朴な話ぶりの彼は山形出身だった。
誕生日が近い人達で合同お誕生会しようって言って、ある時仲の良い子達何人かとKくんのアパートに押しかけようって事になった。部屋が汚いから……って言いつつも、困ったように笑うお人好しのKくん。押しかけられても文句も言わなかった。

「ホントにきったねーなー!K!もうちょっと掃除しろよ!」

きれい好きのトランペッターOくんに言われてしまう。

「う、うん……」苦笑いするKくんの部屋をチラッと覗き見するとあちこちに「部屋をきれいに!」と自分で書いた張り紙を貼っていてものすごく笑えた。

1、2年次は一般教養で、割とクラス単位で授業を受けるので、仲のいい人たちでよくつるんでいた。私も時々仲間に入れてもらった。一緒にお茶したりおしゃべりしたり。

3年になると、基本、みんなゼミに入り、ゼミごとで動くので、部活やサークルで一緒でないと、授業で顔を合わせない限りちょっと疎遠になる。

Kくんともそうして少し疎遠になった。

その、3年の冬。

彼は亡くなった。

まだ21だった。


高速道路上だったという。
ひどい事故だったと聞いたが、相手がある事故ではなく、彼一人で運転をしていて、一人で事故ったんだとの事で、詳しい状況は知らない。

即死だったとも聞いたが、よく知らない。
詳しくなんて聞けなかった。

北千住の斎場だったか、もう忘れたけど、お葬式があった。沢山の同級生が集まって、みんな泣いていた。お顔を見せてもらったら、ひどい事故だったと聞いていたが、とてもきれいな顔をしていた。透き通るような色白の肌で眠っているみたいだった。お花をお顔の周りに置かせてもらったが、涙があとからあとから溢れ出て、ほとんどまともに見ることなんてできなかった。

彼のお父さんがご挨拶した。Kくんと同じ山形訛りの素朴な話し方だった。お父さんは、一人暮らしの彼の部屋に入ったら、部屋がものすごく散らかっていたのが悲しかった、というようなことを仰っていた。

みんなで通夜振る舞いの食事をいただきながら、Kくんの事を色々と話した。

寝る。起きる。

ごはんを食べる。

誰かと話をする。

笑う。

私は生きている。お腹も空く。
でもKくんはもういなくて、もうごはんも食べない。笑うこともない。大好きな音楽も聴けない。大好きなものの話を一緒にすることもできない。

そう思ったら、ごはんが食べられなくなった。

1日だけ(笑)

仕方ないよ。私は生きているんだ。

でもしばらくは悲しくて、事あるごとにKくんの事をふと思い出し、「えっ、今私Kくんのこと忘れてたの!?」と逆にビックリしていた。

白き顔埋める花は降り積もる雪になりけり君の記憶も

大学の短歌会に入ってまだ一年足らずの私が詠んだ拙い歌。

色んな歌人が、自分の大切な人が亡くなった時に歌を詠んできた。本当に誰かが亡くなった時に、挽歌なんて詠めるものだろうか。私はそう疑っていた。

詠めるものなんだな、と思った。

友達だけど。ただの友達なだけだったけど。


さっき、あるドラマを見ていて、ふっとこの歌が頭の中によみがえって……。忘れていた歌だったけれど。そうしたらKくんの記憶がぽろぽろこぼれて出てきて、自分でも驚いてしまった。

記憶の引き出しにはきちんと歌と誰かのことが一緒にしまわれていて、ふとしたきっかけで取り出して見ることができるんだなって思った。


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ありがとうございますサポートくださると喜んで次の作品を頑張ります!多分。