ドリフト仕様への改造はやめて、完璧にレストアされた初代トヨタ・カローラ
このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に2018年に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です。文・金子浩久 text/KANEKO Hirohisa 写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL) Special thanks for TopGear Hong Kong http://www.topgearhk.com
今回の撮影ほど多くの人から話し掛けられたことはなかった。1967年型の初代のトヨタ・カローラを撮影していると、通行人や散歩中の人、近くの古刹のガイドたちがこちらに寄って来ては足を止め、僕やカメラマンに話し掛けたり、独り言のように喋っていく。
喋る内容は、ほぼ決まっていた。
「懐かしいなぁ」
「スゴくきれいですね」
「私も、これに乗っていたんですよ」
「親父が免許を取って初めて買ったクルマでした」
みんな表情が和らいでいる。乗っていた経験の有無にかかわらず、遠い昔に自分に縁のあったクルマ、それも新車のようにきれいなクルマに再会できた思いがけない幸運を心から喜んでいる。
カローラという名前のクルマをトヨタは今でも生産しているけれども、意味合いがまったく違う。
初代カローラは日本のモータリゼーションを推進した記念碑的なクルマだったからだ。戦前のアメリカ人にとってのフォードT型や戦後の西ドイツ人にとってのフォルクスワーゲン・ビートルなどと変わらない意味合いを持っている。
実際に、カローラは初代の発売開始から長い間、日本国内で販売台数トップの座を維持し続けて来た。現在よりもクルマのモデル数の少ない時代だったとはいえ、驚くべきことだ。それだけではなく、現在では世界16か国で生産され、2013年には生産累計4000万台を達成した。
カローラは初代から世界中に輸出されてきたが、50代以上の日本人にとっては馴染み深いクルマだ。上級のコロナやクラウンは特別で、輸入車などは雲の上の存在だったが、初めて“自分たちのクルマ”と呼べるものがカローラだったのだ。日本人と日本のモータリゼーションの黎明期を支えたのがカローラなのだ。だから、多くの人が懐かしさから足を止めてしまったのである。
この初代カローラは、オーナーさんが1997年に中古車で購入し、多大なエネルギーを費やしてレストアを完成させたものだ。その甲斐あって、2019年1月に東京お台場で開催されたクラシックカーイベント「JCCA ニューイヤーミーティング」のコンクールデレガンスで入賞したほどだ。選考理由は、「新車当時のコンディションが完璧に再現されている」というもの。
とても52年前に製造されたとは思えないほどカローラはきれいだ。特徴的なフロントグリルやヘッドライトベゼルなどはバンパーやホイールカバーなどと一緒に、晴れた日の陽光を反射してそのクロームメッキを輝かせて眩しい。
少しクリーム色がかった白いボディカラーには錆びなどはもちろんのこと、褪せや傷などもひとつもない。土や汚れの溜まりやすいホイールハウスやバンパーの内側なども昨日工場から納車されたかのように汚れが1カ所もない。極上のコンディションは、とても言葉で描写し切れない。
素晴らしさに感嘆させられるばかりだったが、カローラを入手した経緯にも驚かされた。
「これを買う前は、86(カローラ・レビン)やKP61(スターレット)、ローレルなどでドリフトやっていました」
若い頃はドリフト族だったというのだ。深夜の公道やサーキットなどで、仲間とドリフト走行を楽しんでいた。ビックリである。
完璧なまでにレストアされた初代カローラと、ドリフトしやすく改造されたクルマが一致しない。同じ人物の嗜好としては正反対ではないか!
「カローラも、ドリフトをやるつもりで買ったんですよ」
ええっ!?
さらに驚いてしまう。
「カローラがヒストリックカーレースに出ている写真を見て、“ドリフトもイケるんじゃないか!?”と閃いたんです。この雑誌ですよ」
日本国内のヒストリックカーレースで、レース用に仕立て上げられた黒い初代カローラがコーナリングしている写真だ。
「たまたま通り掛かった中古車屋に並んでいたのを買いました。その前に乗っていたローレールが75万円で売れて、カローラも75万円。ハハハハハハッ」
同じようにドリフト用に改造するつもりだったが、すぐに止めた。
「ドリフト用に改造することが難しいとわかったのです」
フロントサスペンションのストラットの付け根の固定方式が違っていたり、リアサスペンションのリーフスプリングを取り外さないと車高が下がらず、外すとアライメントが定まらなくなるなどの難点にすぐ気付かされた。
それでも、過去の雑誌などを調べて、なんとか改造できないものか探ってみたが、改造は無理そうだった。
しかし、その過程でカローラに関して少しずつ知識を得ることで、大きな認識をかたち作っていくことになった。
「当時、トヨタの社内でどのようにしてカローラが生み出されてきたのかを知れば知るほど、改造しようという気が起きなくなってきたのです」
トヨタには、ひと足に発売していた「パブリカ」というクルマがあった。カローラよりも小さなクルマだ。
「パブリカは、あまりにシンプル過ぎる設計とデザインが原因で苦戦していました。それを反省したトヨタの開発陣は、“カローラを買ってくれる多くの顧客は、カローラが初めて所有するクルマになるはずだ。だから、もっと夢がなくてはならない”という想いで初代カローラを生み出したそうです」
僕もそのくだりは本で読んだことがある。すでにモータリゼーションが確立しているヨーロッパやアメリカならば、大衆車はシンプルであることが当たり前で、逆に、変に凝ったりする方が忌み嫌われる。
しかし、日本はちょうどこれからの時期だった。クルマというものに、またクルマを持つ生活というものに、良くも悪くも夢を抱いていた。パブリカのように割り切ったクルマを受容できるようになるには、モータリゼーションの成熟が必要だ。その後、実際にそうなったが。
「よく見ると、凝った造形があちこちに施されているんです。それらがスポーティさや、華やかさを演出しているんです」
例えば、フロントグリル。クロームメッキされたバンパーに反射した日光がフロントグリルに当たって光り輝くような形と角度に造られている。
また、ボンネット先端から左右のフロントフェンダー前方の上の部分の角には微かにエッジが付けられていて、単純な四角い形に陥らないようにしてある。
後部に眼を転じると、トランクフードの垂直面がなだらかに凹んでいる。これも、単純な平面のカタチに見えなくする造形だろう。
「こう開くから、大きなものも出し入れしやすくなっているんです」
トランクフードはバンパーの高さから開くようにできているのは、実用性にも配慮している証しだ。
「こんなこともできるんですよ」
リアドアを開け、後席の背もたれを持ち上げた。なんと、下の端が前方に迫り出してきた。こんな背もたれを見たことがない。
「車中泊が楽にできますよ」
前席に座り直して背もたれを倒すと、後席の背もたれと同じ角度でピッタリつながった。これなら寝返りしても頭をしっかりと支えてくれるから、車内での仮眠にはとても助かる。良いアイデアだ。
「内装も凝っていますよ」
このカローラは前期型で、マイナーチェンジを経た後期型とでは内装の造形が大幅に改められてしまう。日高さんにその写真を見せてもらったが、メーターユニットはパネルに埋め込まれて平板化し、他の操作スイッチなどのデザインも簡略化されてしまっている。安全性の向上やコストダウンなどがその理由らしい。
ドリフト仕様に改造しようと調べていくうちに、最初はメカニズムの改造のしにくさから改造を諦めかけたが、さらに調べていくうちに初代カローラの偉大さに気付かされた。
「ドリフトは止めて、カローラを生まれた姿に戻そうという気持ちに変わりました」
なぜならば、購入した時のカローラにはオリジナルとは違う部品がたくさん組み込まれ、コンディションもあまり良くなかったからだ。
「カローラは日本を代表する大衆車でみんな良く知っているから、キレイにしないと見てくれません」
クルマをイジることは好きだった。これまでドリフト用の改造を行ってきたので、その過程で身に付けてきたスキルも持っている。自宅ガレージで少しづつ進めてきたが、今から6年前に工場に預けて大規模なレストアを行なった。
「以前に、友人がそこでスターレットをレストアしてもらい、その仕上がりが素晴らしかったのを知っていました」
ボディの全塗装から始まり、フルレストアを行なった。
「エンジンのほか、外せるものは自宅ガレージで全部外して、ローダーに載せて工場に運びました」
完成までに2年3か月を要した大修理だった。
「手伝いにもちょくちょく通いました」
だから、カローラのどこに、何がどのように付いているか、すべてわかっている。
「付いている部品はほぼすべて新品のものに取り替えました」
つまり、本当に完璧だということだ。
50年以上前に造られたとはいえ、大量に生産されたクルマなので部品の確保で困ることはあまりない。エアフィルターや燃料ホース、ゴム製グロメットなどは今でもトヨタディーラーで購入できる。法律で義務つけられている2年に1度の検査「車検」もトヨタディーラーに依頼している。自分でも、物置きひとつ分の部品を確保してある。
「ブレーキだけは安全のためにディスクブレーキに交換しましたが、これからはこのコンディションをキープしながら、“育てて”いきたいですね」
“育てる”とは、経年変化を楽しむということだ。
「最近は各地のクラシックカーイベントに参加するのが楽しみですね。遠くでも走って行っていますよ」
そうしたイベントでも、きっとこのカローラは多くの人々を和ませているに違いない。ある年代以上の日本人とカローラとのつながりの強さは神話のように永遠だからだ。
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