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縁があって持っているだけですから、イベントではみなさんに座ってもらいたい

アウディ・スポーツクワトロ AUDI Sport Quattro 1983年型

 最近の日本では、クルマ関連のイベントが人気を集めている。
 毎年、4月の連休から始まって11月の連休までの毎週末、日本全国のどこかでクルマ関連のイベントが行われ、それぞれ来場者で賑わっている。
 イベントといっても、内容は様々である。歴史も長くマニアックなものから、家族連れがピクニック気分で気軽に楽しめるものまで幅広い。

 インターネットが発達し、検索すればどんなクルマの画像やスペックでも片手で入手できるようになった時代だからこそ、人々は実際のクルマに対面できるイベントに集まるようになったのだと思う。
 雑誌メディアの衰退やディーラーのショールームに人が集まらなくなったのは半ば必然の結果なのかもしれない。
 千葉 章さん(65歳)は、4月の東京・お台場での「オートスポーツフェスタ」にアウディ・スポーツクワトロを出展していた。
 スポーツクワトロはとても珍しい。アウディがグループB規格の世界ラリー選手権でチャンピオンシップを獲得するために1983年から87年に掛けて製造した。規定を満たすために200台が生産されると発表されたが、実際には214台が造られ、164台が顧客に販売されたことをアウディは認めている。


 それまで、ジープに端を発するオフロードタイプの4輪駆動車は一般的だったが、乗用車タイプの4輪駆動車はパートタイム方式でのスバル・レオーネが唯一の存在だった。パートタイム方式よりも本格的で、高性能に対処できるフルタイム方式の4輪駆動車として1980年にセンセーショナルにデビューしたのが2ドアハッチバックボディを持つ「アウディ・クワトロ」だった。ご承知のように、「クワトロ」というのは今日まで続くアウディの4輪駆動方式の呼び名である。
 アウディ・クワトロも世界中のラリー競技で大活躍したが、さらなる競争力を確保するために開発されたのがスポーツクワトロだった。
 2.1リッターエンジンは気筒当たり4バルブ化され、最高出力が306馬力にまで高められた。サスペンションをはじめとする各部も強化された。ケブラーやカーボン、アルミなどを積極的に採用し、軽量化を施してある。

   そして、スポーツクワトロで驚かされるのは、ホイールベースを元となったクワトロのそれよりも32センチメートルも短くしたことだろう。32センチといったら、もはや別のクルマである。ラリーフィールドで機敏にコーナリングし、ドライバーが意のままにクルマの姿勢をコントロールできるようにするためだ。
 スポーツクワトロは競技に勝つためだけに企画され、製造されたクルマだけが持つロマンチシズムの香りを漂わせている。最近のように、自動車メーカーのモータースポーツ活動までもマーケティングが入り込んで来るようになったのとは大違いだ。純粋に勝つことだけを追い求めている。だから、このクルマは今でもカリスマティックな人気を保ち続けているのだ。


「イベントに参加すると、”日本にもあったのですか!? スゴいですね”と話し掛けられることが多いですね」
 わかりやすく”ビッグクワトロ”と呼ばれるクワトロの生産台数は少なくなく、日本にも何台も存在している。イベントにも仲間同士で参加することが多く、4月のお台場には4台のビッグクワトロが千葉さんのスポーツクワトロに並んで展示された。
「イベントでは、誰かとこのクルマの話をするのが楽しいです。4月のお台場でも、”このクルマを見るのが目当てで来ました”と言われ、とてもうれしかったです」
 スポーツクワトロが製造された時にはまだ生まれていなかったような若者が何人もクルマからずっと離れなかったりして千葉さんを喜ばせた。
 千葉さんは、スポーツクワトロを9年前に手に入れた。元の持ち主が海外から輸入したがほとんど乗られることがなくガレージに眠っていたから、走行距離はわずか6000kmだった。
「私はこのクルマが日本に来た時から知っていました」
 ”代わりに乗りますか?”と持ち主から託されたのだ。
 スポーツクワトロに憧れ続け、何が何でも手に入れたいと資金を工面して手に入れたというわけではなかった。
「こんなスゴいクルマに乗れるようになった縁に感謝しています」


 千葉さんは昨年、40年以上勤めた会社を定年退職した。一度60歳で定年を迎えたが、会社から請われてその後も5年間勤めたのは特別だったが、ごく一般的なサラリーマンである。
 高校を卒業して最初に勤めたのはマツダのディーラーで、メカニックとして5年ほど働いた。休日には、マツダのレーシングチームのメカニックとして富士や鈴鹿に出掛けていた。マツダ・ファミリアロータリークーペが、日産スカイラインGT-Rのツーリングカーレースでの50連勝を阻止した伝説的なレースもメカニックとして勝利に貢献した。
「別のチームから頼まれて、最後はF3やF2のレースも手伝っていました」
 マツダのディーラーで働くのは気に入っていたが、若い頃の千葉さんには夢があった。
「外国で暮らしてみたかったのです」
 カナダへの移住を計画したが、許可が降りずに断念。許可が降りるまでのつもりで入った会社に、結局、その後も定年まで勤めることになった。


 会社での役割はマツダに勤めていた時のようなメカニックではなかったが、クルマには関係していた。会社の業務に用いるための改造を設計し、クルマに施工するのが主な業務だった。具体的な仕事内容を明かさないというのが千葉さんとの約束なので隔靴掻痒なのをご容赦いただきたい。
 話をスポーツクワトロに戻せば、昨年から発生するようになったエンジンの熱対策が目下の悩みだ。エンジンルーム内の熱でブレーキのマスターシリンダーが熱せられ、ブレーキが効かなくなってしまう。
「エンジンルーム内の熱が、うまく外に抜けないのが原因だと思っています」
 スポーツクワトロのラジエーターは普通のクルマのようにフロントグリルの直後にあるのではなく、エンジンルーム内の奥に位置しているのも原因と考えられる。フロントグリル直後に設置されているのはインタークーラーだ。
 取材当日も雲ひとつない好天で、気温は25度を越えていた。榛名山の中腹まで登ってきたので、案の定、症状が現れてきた。
 マスターシリンダーを熱から遮断するように、千葉さんはアルミの板を自分で加工して囲ったが、それだけでは防ぎようがないようだ。
「水を掛けて冷やせば、治るんですよ」
 持参した水だけでは足りないので、ちょうど停車した眼の前にあった伊香保温泉郷の公衆トイレで空のペットボトルに水を満たして往復し、マスターシリンダーに掛け続けた。
 しばらくして、スポーツクワトロは調子を取り戻した。


 榛名山頂上にある榛名湖にいたる山岳道路は適度なコーナーとアップダウンが連続して、スポーツクワトロにはぴったりだ。新緑の木洩れ陽の中を走るのは、とても気持ち良い。
「やっぱり、いいですね。運転していて、楽しくなってきます。どうぞ、カネコさん。運転してみて下さい」
 とても貴重なクルマなのに!?
「全然構いませんよ。イベントでは、知らない人にいくらでもシートに座ってもらっていますから。ハハハハハハッ」
 千葉さんは、まったく意に介していない。


 掛け心地のいいシートに腰掛けてエンジンを掛ける。視界がとても良いのは優れたラリーカーの素質のひとつだ。クラッチをミートして走り出す。アクセルペダルを踏み込んでいくと、ターボが穏やかに効いてくる。この時代のターボにしては珍しく、ドカンと急に効き出してはこない。2速、3速とシフトアップしていくと、スピードが上がっていく。乗り心地もソフトだ。ダンパーが新しかったら、もっと姿勢はフラットに保たれたことだろう。
 広い駐車場でUターンすると、ハンドルがとても良く切れて、クルリと回った。最小回転半径がとても小さい。
   ホイールベースを短くした効能が現れている。これはラリーでの戦闘力は高そうだ。アスファルトの上を少し走らさせてもらっただけで、その片鱗を垣間見ることができた。
「こういうところだと機敏に向きを変えますが、対照的に雨の高速道路ではクワトロのおかげでとても安定しているんですよ」


 スポーツクワトロは榛名山の麓にある実家に置いてあって、東京では家族とミニバンを使っている。東京でも日常的に乗りたいが、今のところイベントなどに乗って行くのに限られている。子供たちが小さかった頃には飼っていた犬も乗せて旅行に行ったりもした。
「手元に置いておいて、コツコツとレストアしたいですね」
 もともと家を修理したりするのが好きなのだ。
「何かを修理したり、いじったりするのが好きなんですよ。クルマも一緒ですね」
 生産台数が少なかったからなのか、パーツがなかったり、取り寄せても細部が合わなかったりすることが少なくない。
「だったら自分で作っちゃえって作ったのがヘッドライトの光軸調整の金具です」
 妻に頼んで退職金から200万円を分けてもらい、スポーツクワトロの修理代金にした。


 仕事からは完全に引退したつもりだったが、最近になって、近所のガソリンスタンドで週に2日アルバイトしている。通勤しなくなったために太り始めたことと、犬が死んだことで軽い鬱病に罹ってしまったことへの対策だ。
「体調は元に戻りました。ガソリンスタンドで働くと身体を動かすし、大きな声を出すのが私の心身に良かったみたいです」
 ブレーキのマスターシリンダーが熱せられる問題は、ヘッドライトのウオッシャーをなんとか改造して手動で水噴射装置を作って組み込めたらいいと目論んでいる。
「外観はオリジナルを維持したいですね。変えてしまったら、イベントで見てくれる人たちをガッカリさせてしまいますからね」
 珍しいクルマを持っている人の中には、それを自慢して尊大な態度がうかがえる人もいる。無理もないことだけれども、
千葉さんはどこか遠慮勝ちだ。
「たまたま縁があって、そして運が良くて、このクルマを持つことになっただけですよ。私なんか普通のサラリーマンでしたから。だから、イベントではみなさんに見てもらいたいし、座ってもらいたい」
 このクルマは自分ひとりのものではないと言わんばかりである。今年は、少なくとも9月の榛名山と10月の熱海のイベントに参加する予定だ。貴重なクルマのオーナーの中には、千葉さんのような人もいるのである。

文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho
Special thanks for TopGear Hong Kong http://www.topgearhk.com

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)


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