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金子浩久書店
2016年6月19日 23:49
本人と家族は無事だったが、4台は津波にさらわれた 2011年3月11日の東日本大震災が起きた時に一番心配したのは、被災地の東北地方に住む友人たちの安否だった。 時間が経つにつれ、無事を伝える便りが一人また一人と届けられ、安心することができた。だが、最後まで様子がわからなかったのが宮城県気仙沼市に住む菅原 恭さん(38歳)だった。 気仙沼市は太平洋に面した街で、周辺の陸前高田市や大船渡市などとと