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泊まれる産業遺産 135年の記憶伝承

山陰から山陽へ結ぶ伯備線。乗客のいない静かな車両が深い夜の森を駆け抜ける。

この日、中国地方を一周し、岡山県倉敷市に到着した。暖色の灯りに導かれ、風情あふれる街並みを歩く。少しすると道沿いに巨大な煉瓦の外壁が現れる。看板には"KURASHIKI•IVY SQUARE"の文字。

倉敷アイビースクエア正門
煉瓦づくりの外壁

倉敷と紡績の歴史

倉敷は繊維産業で発展したまち。中でも明治21年(1888年)倉敷紡績が創設以来、この紡績工場は倉敷と共にある。工場としてのお役目を終えた今も近代化産業遺産として当時の姿かたちを残している。

紡績工場の模型

今日は、この倉敷の産業遺産に泊まる。

泊まれる紡績工場 |倉敷アイビースクエア

現在、この紡績工場は、宿泊施設の機能を含む複合施設に生まれ変わった。観光業が盛んになった時代、倉敷の美観地区への観光客に向け、宿泊や飲食をする場所が求められたという。

倉敷アイビースクエア

白を基調とした明るく清潔感のある内装。
それでも節々に当時の面影が残る。

倉敷アイビースクエア 通路
倉敷アイビースクエア 窓
倉敷アイビースクエア ラウンジ

遺産として残すことの価値

読者の中には、すでに倉敷という地名や紡績のまちというイメージを持つ人は少なくないだろう。〇〇のまちとして多くの人々の記憶に残ることは、当たり前のことではない。

紡績工場の綿製品を運んでいた倉敷川

残念ながら、この紡績工場が完成した時に生きていた人は、今この時代に1人として生きていない。それでも、残された建築は多くのことを語りかけてくれる。

姿を消す近代建築

先日あげたnoteで宙吊りの旅館の記事をあげた。建築家菊竹清訓の代表作である。竣工後まもなく60年、老朽化が心配される。菊竹清訓といえば彼が設計した都城市民会館の解体も記憶に新しい。

今、時代を牽引した近代建築が一斉に姿を消している。昨年春、建築家黒川紀章の中銀カプセルタワービルの解体は、多くのメディアに注目され、惜しまれながら姿を消した。

近代遺産をいかに未来へ残すか

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービルはカプセルの集合体のような建築。メタボリズム(新陳代謝する建築)と呼ばれる建築運動の象徴的な建築だった。取り外されたカプセルは一部修復・再生され、カプセル新陳代謝プロジェクトとして利活用に向けた動きを見せている。

ヴィラ・クゥクゥ

2023年春、俳優の鈴木京香が建築家・吉阪隆正の名作住宅ヴィラ・クゥクゥを買取、自ら再生するということが話題となった。

変わらないために変えること

変わらず残すためには、変える勇気が必要なのかもしれない。倉敷アイビースクエアをみてガッカリする人もいるだろう。面影は残っていても、内装は見違えるほど明るく整備されている。未来へ残すのなら、ありのままで残すべきという声も真っ当だろう。

煉瓦風に作り替えられた内装

それでも、残すことには莫大なコストがかかる。遺産を持続可能な範囲で維持していくために、何を残し、何を切り捨てるかべきか。倉敷アイビースクエアは宿泊や飲食の事業として保存していくという1つの答えを提示してくれている。

おまけ

倉敷の紡績工場をあとにして、旅はいよいよ四国編に突入する。美しい瀬戸内の海に浮かぶ島々を眺め、香川県高松市へ。

旧香川県立体育館 解体

高松市には、建築家丹下健三の旧香川県立体育館がある。つり屋根構造が特徴的なこの建築は「船の体育館」と呼ばれ、多くの人々に愛されている。2023年2月。この建築もまた老朽化で解体が決定した。

船の体育館

紙媒体やメディアとしても保存ができるが、実物ほど多くの情報を未来に残せるものはない。どれだけ多くの情報を未来に届けられるか。そのためには、何を残し、何を切り捨てるかの取捨選択が必要になる。

確かな取捨選択をするためにも、「変わらないものと変わるものを見つける旅」のなかで、その"本質"を探っていきたい。

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