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「下界」で生き抜くために

Written on 2017-10-23



以前、インターン先のスタッフさんとお茶をしていた際、

「これは児童書なんだけど、天国に行っちゃったある男の子がいて、
死んじゃった人の体に自分の魂が入り込んで、
その人の人生としてもう一度別の人生やり直せるチャンスが降ってきて、
やり直してみたら全然悪くない人生で、
いつしかこの死んじゃった人に人生を返してあげたいと思うようになってきたんだけど、
結局それは自分の人生だった。
っていう話があって、いまその話を思い出した。」

と言われ、ぜひその本を貸してください!と私。

で、貸してもらったのが、森絵都さんの『カラフル』。

なんだ、これ知ってるじゃん。
児童書っていうから知らない話かと思ったのに。。
と心の中でブツブツ思いつつ、かつて中学3年のときに読んだそれを
もう一度読み直したわけです。


きっと私たちのこの世の中は喧しいほど複雑に絡み合っていて、
それゆえ見える部分と見えない部分がある。
ある人から見れば汚く見えるけど、
別の側面のある人から見れば綺麗に見えたりする。
そんな世界で生きるのは怖いけど、
それでもリタイアすることはできなくて。

そんなことを書いているうちに
「自ら人生をリタイアするのは人間だけだ」
って話をどこかで読んだのを思い出したよ。

人生なんて楽しんだもん勝ちだけれど、
言うほど簡単ではない。



私は小さい頃からずっと、「感想」を言うことや、「自分の気持ちを人に伝える」ということが出来なかった。

「姉」として、「お姉ちゃんなんだからこれくらいできて当然でしょ」
と、常に口癖のように母親に言われ続ける環境で強く生き抜いてきたことにより人一倍責任感がある一方で、
いつもいつも「正しいこと」をしなきゃという強迫観念に捉われていて。
だから、自分の意見を言ったところで
「それが正しくなかったらどうしよう」
というある種の恐怖が襲う。
気づくと、「自分の意見・考え」というものを持てなくなっていた。

高校1年の時、『深夜特急1』沢木耕太郎著を読んだ時の読書記録のひとこと感想文がある。
「読んでいてすごく楽しかったです。時々、自分が作者になって旅をしているかのような錯覚をしてしまうほどでした。続編もぜひ読みたいです。」





今でも抜けないのだが、「何を書きたいか」ではなく「何を書いたら人に褒められるか」しか頭になかった。

軽薄な問題に見えて、実は自分の中では重大問題である。



「意見・自分の考えを言う」という点に関しては最近は克服しつつあり、
現在のインターン先でだいぶ鍛えられたと自負している。
(殆どのスタッフさんは、「どう思うか」「なぜそう考えるのか」「その根本にあるのは何なのか」「自分のどんな経験がその考えに由来しているのか」ということにめちゃめちゃ煩いのである。(いい意味です。笑))

それでも、まだまだ自分を主張できるほど自信はないし、
自分を売りに出せるほど自分を愛せていないし、
真っ向から自分の意見に対しての批評が飛んで来たら、それに対処するだけの力は持ち合わせていない。

自分を鎧で固めるわけではないけど、
護身術くらいは身につけておいてもいいのかな、と思う。



たとえ「意見を主張する」ことが苦手で、
それゆえ他人に対して劣等感を持っていても、
別の側面からみれば、それは100%「弱み」にはならないかもしれないし、
そんな風に、多面的な視点と余裕を持って生き抜く
「かっこいい女」
になることが、永遠の目標なのよ。

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