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【特別公開3】明治期以前の歩行

書籍「秀吉の六本指/龍馬の梅毒  Dr.シノダが読み解く歴史の中の医療」の出版を記念して、本書から一部のエピソードを全5回にわたって特別公開いたします。

医師であり、直木賞候補作家の篠田達明先生が語る医療史エッセイ。特別公開第3回目は「明治期以前の歩行」です。


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明治期以前の歩行

現代人は歩くとき、両足の歩調と逆方向に両手を振って歩行する。すなわち、右足前・左手前、左足前・右手前の歩行である。ところが、明治期以前、つまり、江戸時代やそれより前の時代では、大方(おおかた)の日本人はこのような歩き方をしなかった。歩くときは、右足前・右手前、左足前・左手前という現代人とは逆のやり方だった。

「そんなばかな。だいいち、それじゃあ、歩きにくくって困る」というのは現代人の感覚である。

そもそも、昔の人は、ふだん手を振って歩くことはなかった。
たとえば江戸時代、武士は左手で袖口をもち、右手は扇(白扇か鉄扇)をにぎりしめ、背筋をのばして両手を動かさないで歩いた。しかも、いつでも刀がぬけるように油断なく四方に目を配っていた。浪人の場合、右手は懐中(ふところ)におさめ、左手は大刀をにぎって歩いた。

農民は物を入れた袋を背負い、すきやくわをかついで歩いた。両手
を遊ばせておくようなもったいないことはしなかった。

商人も当然、商品をもって歩いた。手に物をもたぬときは、前掛(まえがけ)を巻きあげて、その下に両手を入れるか、前で両手をにぎり合わせて歩いた。士農工商、身分によって、着物や所作がほぼ決められていたのである。

旗本奴(はたもとやっこ)などは肩で風切り、大手を振って歩いたというが、これも現代風ではなく、右足を前に運んだとき、右手を前にする歩き方をした。いわゆる《難波(なんば)歩き》である。これは歌舞伎や、相撲取りの所作によって知ることができる。昔は万事、右手右足前、左手左足前の動作を基本としたのであり、これからいえば現代の映画やテレビの時代劇は全て落第であろう。

当時は身分の高い者ほど、いそがず、あわてず、ゆったりとした歩き方をした。にわか雨にあって、庶民があわてふためいても、武士や公卿(くぎょう)は決して走らなかった。道を走るなど、ぶざまな姿として軽蔑(けいべつ)されたのであろう。

城の殿中でも走ることは厳禁だった。大名の長袴(ながばかま)は、殿中で走れぬようにするための手段である。大名がなにか異変をおこした際、近侍(きんじ)の者が長袴のすそを踏みつけて押さえつける役目もあった。

現代とちがって昔は時間がゆっくり過ぎた。武士たちは作法にのっとり、用心深く、あたりの気配をうかがいつつ慎重に歩いた。昔の日本人が、いかに両手を振って歩かなかったかは、往時の絵巻物をみればわかる。両手を振って歩く現代風の歩き方は、幕末から明治にかけて西欧式の軍隊調練が採用されたことや、横浜に居住した外人たちの歩く姿を見て、はじめて広まった近代の歩行である。現代の研究者が歩行分析をするさい、過去の日本人の歩容についても十分考慮に入れる必要があろう。


歩行ver2

『賀茂祭の行列』(部分)にみる従者らのなんば歩行
筆者による模写


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【書籍のご紹介】

金原サムネ

・著 者:篠田 達明
・定 価 :3,080円(2,800円+税)
・A5判・244頁
・ISBN 978-4-307-00488-6
・発行日:2020年5月31日
・発行所:金原出版

・取扱い書店はこちら

【著者紹介】
篠田 達明(しのだ たつあき)
1937年,愛知県一宮市生まれ。1962年,名古屋大学医学部卒業。愛知県心身障害者コロニー中央病院長,同コロニー総長を経て,愛知県医療療育総合センター(前 愛知県心身障害者コロニー)名誉総長。
著書に第8回 歴史文学賞受賞作『にわか産婆・漱石』や105回 直木賞候補作『法王庁の避妊法』などがある。