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名無しの島 第3章 冒険者井沢悠斗

草案社を辞去した水落圭介は、東京都目黒区にある、

自宅マンションに帰った。

20平米ほどのワンルームで、事務所兼書斎兼居間でもある。

一人暮らし用の小さなキッチン、ユニットバス、

東側の壁にはクローゼットがある。

仕事用のデスクには、21インチモニターとデスクトップパソコン。

南側には小さなベランダに続く大きな窓。

その窓際にはシングルの簡素なパイプベッドが置かれている。

フローリングの床には、資料や雑誌、様々な専門書などが、

所狭しと積み上げられている。


 水落圭介は椅子に座ると、

佐藤編集長から預かった桜井章一郎のファイルを

あらためて読んでみた。マルボロの箱から1本を取り出すと、

ジッポライターで火をつける。

例の『名無しの島』は九州の鹿児島県から海を隔てて、

南西約200キロの地点にある島だった。

北北東に20キロ、幅10キロほどの小さな無人島だ。

島の周囲は断崖が多く、地元の船でも座礁を怖れて、

安易に近づかないらしいと書いてある。

島自体は鬱蒼と茂った樹木や草木で覆われており、

大型の動物は生息していないらしいこともわかった。

ただ、ひとつ気になる記述もあった。

地元の漁師やこの『名無しの島』に踏み入った者の中に、

全身灰色の怪物を目撃したという情報もあったのだ。

その怪物は体毛は無く、人間に近い姿をしているという。

 だが誰も住んではいない、完全な無人島だ。人などいるはずも無かった。

もしかしたら、第二次大戦中の兵士がまだ生きていて、

それを誤認した可能性もある。

ただ、もしそうならば、少なくとも90歳を越えていることになる。

そんな老人が、孤島で生きていけるものだろうか?

やはりそれは考えにくい。

 そして他には、『名無しの島』という名の由来は、

比較的近代になってから名づけられたことなど・・・。


水落圭介はそこで気づいた。佐藤編集長が今回の探索メンバーに、

小手川浩を加えたことを。

たしか彼は近代歴史に詳しいといっていた―――。

行方不明になった桜井章一郎は、

何を考えてこの島を取材しようとしたのか。

水落圭介は、パソコンを起動してインターネットでも検索してみた。

 驚いたことに、その『名無しの島』について、

3万件以上ものヒットがあった。

そのほとんどが、兵士の亡霊の現れる心霊スポットとして

取り上げられていた。

しかし、実際に『名無しの島』に上陸した者は、極めて少なかった。

 その原因は、地元の人でさえ恐れて、この島に近づこうとしないからだ。

島に行きたくても、連れて行ってくれる船主がいないのだ。


では、桜井章一郎はどうやってこの島に行けたのか?

勿論、実際に上陸に成功していればの話だが。

 圭介は再び、桜井章一郎のファイルに目を落とした。

数ページパラパラとめくる。


あるページで手が止まった。そのページの右端に、

桜井章一郎の自筆と思われるメモが、書かれていた。

 所沢宗一・・・とある。

メモを読むと、どうやら地元の漁師らしい。住所と電話番号も書いてある。

枕崎市の漁業組合に入っている人物らしい。

この人物が、桜井章一郎を『名無しの島』まで連れて行ったのだろうか?

桜井章一郎がもし、『名無しの島』で、本当に失踪したのであれば、

その公算が高い。

水落圭介は自分の携帯電話に、

メモされている所沢宗一の住所と電話番号、彼の所属している

漁業組合の連絡先も登録した。


 これは思った以上に、大仕事になりそうだと圭介は感じた。

野外での取材は、多く経験している圭介だったが、

無人島での探索は初めてだ。

これは専門家の同行者も必要になる。

それもできれば実践経験豊かなベテランがいい。


そこで、圭介の脳裏に、ひとりの人物が浮かんだ。

 その人物の名は井沢悠斗。年齢は36歳。

彼はエベレスト登頂やサハラ砂漠をオフロードバイクでの走破を成し遂げ、

アマゾン川流域では2週間に渡る冒険など、

世界各国の砂漠、森林でサバイバル経験豊富な冒険家だ。

それらの冒険記の著書も多数出版されている。

屋久島を取材した時には、圭介も同行してもらった。

彼も屋久島には何度か訪れたらしく、地元のガイド以上に詳しく、

そしてそのサポートも素晴らしかったことを覚えている。

それがきっかけで、たまに一緒に酒を飲みに行くほどの仲になったのだ。

彼が今回のチームに加わってくれると、心強い。


 壁にかけられた時計を見る。午後10時。まだ起きているだろう。

水落圭介は携帯電話を手にとって、タバコを灰皿でもみ消し、

井沢悠斗に連絡をした。

何度かのコール音の後、繋がった。

「もしもし、井沢悠斗さんですか?」

「おう、水落君か、久しぶりだな」

井沢の元気な声が返ってきた。

「今、お話よろしいですか?ちょっと相談があって・・・」

「なんだ?かしこまって」

 おおらかな性格の井沢らしい、快活な声だ。

「実は草案社からある依頼を受けまして・・・」

 水落圭介は、これまでの経緯をかいつまんで話した。

「なるほどな。行方不明になった記者をね。

で、その『名無しの島』っていうのは

 オレも噂で聞いたことがある。まぁ行ったことはないけどな」

「井沢さんも、その島をご存知だったんですか」

「ああ・・・なんだか亡霊が出るとか、

一端島に入ると生きて帰れないとかの噂だな。

 だが、オレはそういうオカルト的な都市伝説を信じない性格でね。

ははは・・・」

井沢はさも、面白そうに豪快に笑った。そして、言葉をつないだ。

「圭介君は、オレに同行してくれないかって思ってるんだろ?」

井沢はさすがに察しがよかった。

「そうです。お願いできますか?」

圭介の口調に真剣さが帯びる。

「ああ、かまわんよ。ちょうどオレも暇してたところだ」

水落圭介は、安堵に胸を撫で下ろした。浮き足立っているのが、

自分でもわかる。

井沢悠斗が、今回の探索に同行してくれるなら心強い。

「じゃあ、ミスト編集部の佐藤編集長にもかけあってみます。

 その後、あらためてご連絡します」

「ギャラは出せるだけでいいよ。たかが小さな無人島だ。その行方知れずの

 記者がいたら、すぐ見つかるさ」

 井沢の言葉を聞くと、今回の仕事が簡単に片付きそうな気さえしてくる。


水落圭介は、井沢悠斗と簡単な打ち合わせをすると携帯電話を一端きった。

そしてさっそく佐藤編集長の携帯電話にかけようとした。

その瞬間、手に持った携帯電話が鳴った。

液晶画面を見ると、斐伊川紗枝からだった。

 彼女は水落圭介のカメラマン兼アシスタントを時々やってもらっている、

フリーのカメラマンだった。圭介は受信ボタンを押した。

『水落さん、水臭いじゃないですか』

 いきなり斐伊川紗枝の、若い女性らしい元気のいい声が聞こえてきた。

「何の話だ?」

圭介は面倒くさそうに訊いた。

「今日、スクープ編集部に、仕事の打ち合わせで行ったんです。

そこで、ばったりと佐藤編集長に会いまして・・・

 聞きましたよ。『名無しの島』のこと』」

電話の向こうで、斐伊川紗枝のほくそ笑んでいる様子が目に浮かんだ。


「それで?」

圭介はあくまで素っ気無く応える。

「それで、私も同行させてくれませんかって

 訊いたら、ダメだって断られちゃった」

「そりゃそうだ。ピクニックに行くんじゃないんだぞ」

圭介はため息をついた。

「でも、その島ってお化けが出る島なんでしょ?

コアなオカルトマニアには有名だとか」

「だから何だ?オレは今、忙しいんだ」

「私も行きたいんです。その『名無しの島』に・・・」

「あのな、キミの分までギャラは用意できないんだ。

 それに若い女性には、体力的にも無理だと思うぞ」

「あれ?佐藤編集長に聞きましたよ。スクープ誌の有田真由美さんも

 同行するそうじゃないですか。だったら私にだって行けるでしょ?」

佐藤編集長・・・そんなことまで彼女にしゃべったのか。

圭介は思わず舌打ちした。

「来たいんなら勝手にしろ。だがギャラは出ないぞ。勿論、経費もだ」

「いいですよ、それでも。その島に入って

 写真でも撮れば、高値で売れるかもしれないし」

斐伊川紗枝は嬉々とした声で答えた。

心にも無いことを―――金なんか目的じゃないだろう。

圭介は心の中で毒づいた。

斐伊川紗枝は都内でも有名な資産家の娘で、

高校卒業後、写真の専門学校を出て、

いきなりフリーのカメラマンと自称している放蕩娘だ。

カメラマンという仕事も、仕事半分遊び半分ということだろう。

今回の件だって、単なる好奇心がその動機に違いない。

彼女のルックスやスタイルは、アイドル並みに可愛いのだから、

撮る側ではなく、モデルにでもなればいいのに、と圭介は思っていた。

今に時代だったら、読者モデルとかなんとか、

いくらでもあるじゃないか・・・。


「それじゃ、明日また連絡します。私も準備しますので」

彼女はそう言うと、一方的に電話を切った。

水落圭介は頭をかかえた。小さな無人島とはいえ、

若い女性がピクニック気分で行かれては困る。

また余計な厄介ごとをかかえてしまった。

斐伊川紗枝に情報を漏らした佐藤編集長を少しうらんだ。

しばらくして気を取り直して、

佐藤編集長への携帯電話の短縮ボタンを押した。

冒険家の井沢悠斗が参加してくれることの連絡と、

斐伊川紗枝に今回の桜井章一郎の

探索の件を、斐伊川紗枝に漏らしたことの愚痴も言いたかった。

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