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ZOMBB 38発目 やわらか次郎

「感染したって?噛まれたの?」

「そうだよぉ~。感染したんだよぉ~」

次郎は新垣優美の胸の谷間に顔をうずめて、

ぐりぐりと頭を左右に動かしていた。

「ぐへへへ・・・」

彼は鼻の下を伸ばして

たわわに実った、柔らかい双丘の感触を、

この時とばかりに味わっていた。


「何してんの!この、ドスケベ!」

新垣優美は次郎の前髪を掴むと、

ひっぺがすよに彼の顔を持ち上げ、

その頬を平手でひっぱたいた。

次郎の上半身は、大きくのけぞった。

彼の口から、白いものが宙を飛んでいく。

「歯がぁ~歯が折れた~!」


次郎は四つんばいになって、自分の歯を探し始めた。

新垣優美は立ち上がって、泥を掃いながら立ち上がる。

「どうやらゾンビ・ウイルスに感染したっていうのは、

  本当みたいね。ちょっとひっぱたいたくらいで

  歯が折れるなんて」

「ちょっとじゃねーわ!相当、力入ってたぞ!」

次郎は肩越しに、新垣優美を睨んだ。

「でも、もしかして痛み感じて無いんじゃない?」

彼女にそう言われて、次郎は初めて気づいた。

そういえば歯が折れたのに、痛くもかゆくも無い・・・。

「それに・・・」

新垣優美はそう言いかけて、

ショート・パンツの尻ポケットから、

折りたたみのファンデーションの

コンパクトケースを取り出し、それを開けた。

片面は鏡になっている。


「これで、自分の顔を見なさいよ」

次郎は言われるがまま、それを受け取った。

おそるおそる鏡を覗いてみる。

鏡に映っている自分の顔を見て、あらためて驚いた。

肌の色が、青みがかった灰色に変化している。

それに、今手にしている、このコンパクトケースを持つ手も、

同じ色に変色していた。


「なんじゃこりゃあぁああああああッ!」

次郎は地面にヒザを着き、両手を見つめながらわなないた。

「何、今さら驚いてんのよ。わざとらしい。

  感染したって自分で言ってたでしょ」

「てへ」

次郎はコンパクトケースを

新垣優美に返しながら、照れたように頭を掻いた。


「あんた、何照れてんの?

  何かいいことあったみたいに。

  ゾンビになっちゃったのよ。

  ゾンビに。もっと絶望感とか感じないの?」


絶望感―――?

それって夢や希望を持ってる奴が言える言葉だろ。

大学を中退して、親に勘当されて、

いつクビになるかわからない契約社員になって、

時給860円で他人にコキ使われるオレの人生なんか、

ゾンビとたいして変わらないんだよ。

オレにはやりたいことなんてないし、

夢や希望も持ち合わせていない、

当ての無い人生なんだから・・・。


「それにしても変ね。

  両目は他のゾンビみたいに

  白濁して無いし、意識もあるし・・・」

「目は生きてる時と同じなのか?」

「ゾンビになる前から、

  死んだような目はしてたけどね。

  それは変わらないわ。それにもうひとつ・・・」

「もうひとつ何だ?」

「私を襲って来ないじゃない?」

「別の意味で襲いたいけどね」

「もう一本、歯折ってあげようか?」

新垣優美が額に青筋を立てて、次郎を睨みながら、

指の骨を鳴らした。


次郎は慌てたように、両手で口をふさぐ。

そして一歩、退いた。

「それに『やわらか次郎』になって、

  これからどうするつもり?

  人間の敵になっちゃたのよ」

新垣優美は、ため息まじりに言った。


ちょ、待て。『やわらか次郎』ってなんだよ?

さらっと言ったよな?さらっと、今。

ごく普通に、自然と、当たり前のように。


「ゾンビになっても、オレはオレさ」

次郎はそう言いながら、まだ呆然と突っ立ったままでいる、

巨人ゾンビにグロック18Cの銃口を向けて構えた。

「何言ってんのよ。

 『やわらか次郎』になっちゃったのよ。

 これからいろいろ大変じゃないの?」


やわらかくたって、いいじゃないか。

やわらかくたって・・・

人間、少しぐらいやわらかいほうが、

角が取れて丁度いいんだ・・・

いや、待て。やわらかくなるってことは、

唯一の楽しみであるサバイバルゲームが

出来なくなるかもしれないぞ。

だって今までだったら、BB弾が当たっても、

『ヒット』って言えばいいだけだったけど、

やわらかいとマジで死ぬぞ。これはマズイ。ガチで。

それに、アソコは・・・

もう一人の次郎も『やわらか次郎』になるってことだよな?

ってことは、固くならないってことだ。

マジで?いや、いや、そりゃないわ~、そりゃないって。

彼女いないから今はいいかもしれないけど、

ララから『私と付き合ってぇ!』とか言われたら、

どうするんだ?

その時はしばらく

『オレはキミの身体が目的じゃないんだ。

心が欲しいんだ』とかなんとか言っちゃって、誤魔化して

プラトニックな関係でいくとして、

問題はその時が来たらどうするんだってことだ。

『次郎君、わたしぃ~

 今夜は帰りたくなぁ~い(はぁと)』

なぁんて言われた時だ。

その時はだな、あれだ、あれ、

バイアなんちゃらっていう薬を飲んで・・・

あの薬って、たしか相当高かったよな。

でもそんなチャンスめったにないんだ、思い切って・・・

っていうか、あの薬、ゾンビに効くのか?


「何ブツブツ言ってんの?

  とにかく、自衛隊の駐屯地に帰りましょ。

  坂原さんたちも心配してるわ、きっと」

「そうだ、ララ。初歩的なこと忘れてた。

  携帯で連絡すればいいじゃん」と次郎。

「それならダメよ。

  私が滑落した時に、もう試してみたから。圏外だったわ」

「なるほろね」

次郎は取り出しかけていたスマホを、胸ポケットにしまった。

新垣優美の持つコンパスを頼りに、二人は南の方角へと足を向けた。


その頃、高取山弾薬庫では、作業が粛々と行われていた。

確保したVITTOは、軽装甲機動車に繋がれて牽引された。

まだほとんど損傷も無く、動きを止めたゾンビ数体は、

念のために縄をかけられ、猿轡をかませて

73式輸送トラックに運び込まれた。

「撤収する!」

作戦を終えた皆藤准陸尉は、声高に自衛隊員たちに命じた。

その彼の背中に向かって、坂原勇が呼びかけた。

「皆藤さん」

皆藤准陸尉は振り返った。

厳しい面持ちが、たちまちほころぶ。

「モーニング・フォッグの方々の

  活躍に感謝します。

  おかげで、任務遂行を完了する

  ことができました。負傷者5名は出ましたが、

  幸いゾンビに噛まれて、感染する者はいませんでした。

  これから立川駐屯地に帰還します。

  ご一緒に帰りましょう」

「それなんですが、皆藤さん。

  山田次郎と新垣優美が行方不明になっていまして、

  オレたちは、これから彼らを

  探しに行こうと思ってるんです」

皆藤准陸尉は

モーニング・フォッグの面々を見渡した。


「なるほど、女性の方と、もう一人がいませんね」

皆藤准陸尉は、確認してうなづいた。

「二人はあっちの森の中に姿を消したんです。

  未だに姿を見せないところからみると、

  森に迷ったか、それともケガを

  しているかもしれません」

坂原勇は、次郎と新垣優美が飛び込んでいった、

森の方を指差して言った。

「できれば我々とご一緒して

  いただきたかったのですが・・・」

皆藤准陸尉の声音に、残念そうな色が浮かんでいた。


「あの二人を見つけるまで、

  駐屯地に帰るつもりはありません」

坂原勇は語気を強くして言った。

そして少しの間をおいて、言葉をつないだ。

「仲間ですから」

この言葉に、皆藤准陸尉も納得したようだ。


彼は袈裟懸けにしていたマップケースと、

胸ポケットからレンザチック・コンパスを取り出すと、

坂原勇に手渡して言った。

 「立川駐屯地を中心にした、

  半径200キロの地図とコンパスです。

  持っていってください。

  ここからだと、立川駐屯地までは

  直線で30キロくらいですが、山中を行くとなると、

  その倍以上はあると思います。

  できれば日が暮れるまでに帰還してください。

  山中での夜間の作戦行動は危険ですから。

  お気をつけて。駐屯地でお待ちしています」

「ありがとうございます」

坂原勇は礼を言って、それらを受け取った。


皆藤准陸尉はモーニング・フォッグのメンバーに向かって敬礼した。

坂原たちも思わず、同じように敬礼していた。

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