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名無しの島 第17章 這うもの

 水落圭介はゆっくりと立ち上がった。

避難した狭い部屋を、彼はマグライトの明かりを当てて、再確認していた。

すると、最初は気づかなかったが、2メートルほどの高さに、

縦横40センチほどの通気ダクトがある。

あの狭さでは化け物も通れないだろう。それ以外には窓も無い。

地下だから、当たり前なのだが。


 しばらくして、小手川浩がさきほどの部屋から持ち出した、

建築構造図の描かれた紙を広げて、見つめている。

ややあって、彼は言った。

「青写真によれば、あの扉の向こうは10メートルほどの

 廊下です。その先に地下2階へと続く階段があって、

居住区につながってます」

 小手川浩の声音は、冷静さを取り戻したのか、もう震えてはいなかった。

「そうか・・・でも今は無理だ。

 少なくともオレはくたくただ。少し休みたい」

 圭介は言いながら、彼は腕時計を見た。午前1時に近い。

「そうね。今夜はここで休みましょう。睡眠をとらないともたないわ」

 有田真由美も賛同した。

斐伊川紗枝も眠気のせいか、まぶたが半開きだ。そして口に手をあてて、あくびをする。


「そうですね。今夜はここで睡眠をとったほうがいいみたいですね」

 小手川浩は青写真を丁寧にたたみ、別の物をリュックから取り出した。

前の部屋にあった、黒表紙のファイルだった。

「そんなものまで持ってきたのか」

 と水落圭介。

「水落さん、何言ってるんです。これはスクープですよ。

戦時中、日本がやっていた、人体実験の新たな証拠です。

しかも強化人間なんて、怪物を造ろうとしていた記録です」

 小手川浩は、熱く語った。そして言葉を続けた。

「太平洋戦争中、100部隊や1644部隊、8604部隊といった、

 細菌兵器を研究していたことまでは判明してるけど、

 この774部隊みたいに、生物兵器・・・生きた人間を

 再合成して別の全く新しい生物を造ろうとしていたんです。

 それも半ば、成功して・・・」

「成功?あんな化け物が成功だと?あんなものが命令に従うと思うか?

 あれはただの殺戮本能の塊だ。ただの化け物に過ぎん」

 水落圭介は、つい声を荒げた。


「それにだ」

圭介は天井を見上げて言った。

「オレも旧日本軍が、ナチス・ドイツと同じように、

 細菌兵器を研究していたことは知ってる。

 だが、当時、敗戦の色が濃くなった1944年頃には、

 中国や朝鮮半島にあった研究施設を、

 ことごとく破壊して逃げた。ところが、

 ここはほとんど無傷で残っている。

 これが何を意味してるかわかるか?」

 圭介の言葉に、他の3人は耳を傾けている。

「ここの研究者、軍人たちは皆、奴らに殺されたってことだよ。

 だから無傷で残っている。あの化け物もな」

 辺りを静寂が包んだ。水落圭介の意見はもっともだった。

小手川浩も異論をはさめない。

「じゃあ、あの化け物は70年以上も生きてるってこと?」

 斐伊川紗枝が、ぽつりと言った。その問いには、小手川浩が答えた。

「それ謎の答えは、このファイルに書いてます。

 『・・・強化サレタ人間ハ最小限ノ栄養ヲ元ニ、

  最大限ノ行動範囲、及ビ戦闘能力ヲ持ツニ至リ、

  ソノ使用期間(生存期間)ハ、常人ノ数倍ト見込マレテオリ・・・』

 つまり、普通の人間より何倍も生存できる生命力を

 持っているということです・・・」

「なんてこった・・・あんな化け物が、100年以上も生き続けるのか?」

 圭介は、可笑しくもないのに、口元がほころんだ。

だが、そこで疑問が頭をよぎった。


「でも、どうしてそんな凶暴な生き物が海を渡って、

本土に現れないんだ?」

 水落圭介は率直な疑問を口にした。

「それは、このファイルによると・・・」

 小手川浩は、再びファイルを読み始めた。

『・・・コノ生物兵器ヲ実戦投入スルニハ、

 空輸及ビ海上運輸ニヨル移動ガ不可欠デアリマス。

 ソノ顕著ナ原因ハ、コノ生物兵器ハ硫酸カルシウムニ

 極メテ脆ク、僅カナ、硫酸カルシウムデモ致命的ナ損傷ヲ

 被ル事ガ判明シテオリマス。現在、コノ原因ノ究明ヲ急イデオリ・・・』

水落圭介は小手川浩の説明に、途中で口をはさんだ。

「ちょっと待て。その・・・硫酸カルシウムって何だ?」

「石膏の主成分ですよ。海水にも僅かですが含まれてます。

 水と反応すると硬化する特性があって、あの強化人間の細胞は

 おそらく、その硬化反応に敏感なのではと」

 小手川浩が言った。

「なるほど・・・それで海を渡れないわけか」と水落圭介。

 さっきの4本腕の化け物は、左目が腐食していた・・・

いや硬化していたのか?

何かの拍子で、海水を浴びたか、

それとも誰かに浴びせかけられたか・・・。

どちらにしろ、海水が苦手だとは・・・。

それで、南海の孤島に閉じ込められているわけだ。


「とにかく今は休みましょうよ。対抗策はまた考えればいいわ」

有田真由美の言葉に、皆、軽くうなづいた。

 水落圭介は、いつの間にか眠っていた。ふと目が覚める。

習慣的に腕時計を見た。午前5時。まだ眠気は消えていない。

周りを見た。有田真由美、小手川浩、斐伊川紗枝も寝息を立てている。

 この2日間余りに、いろんなことが起き過ぎた。

この『名無しの島』への上陸。そして2日目にして、

最も頼りにしていた井沢悠斗が殺された。

そして化け物たちから逃れようと、豪雨の中、

地下研究施設を発見したこと。

この研究所は70年前に旧日本陸軍が建設した、

生物兵器の研究施設だったこと。

生物兵器を研究していたのは、774部隊と呼ばれる

極秘部隊であったこと。

化け物に襲われ、なんとかこの狭い部屋に逃げおおせたこと・・・。


 水落圭介は、ウエストバッグから

マルボロの箱とジッポライターを取り出す。

マルボロの箱は潰れて、ひしゃげていた。その箱から1本を抜き取り、

口にくわえた。タバコはぐにゃりと変形していたが、

水落圭介は気にもせず、

その先端に火をつけた。深々と吸い込む。

思えば、2日間ほど喫煙していない。

それほど目まぐるしかったのだ。久々のニコチンで、少し眩暈がする。

ただそれは、心地いい眩暈だった。今の心情を和らげる刹那の時間だった。


 その時、何気に水落圭介は気づいた。睡眠半ばに目が覚めた原因に。

それは通気ダクトから聞こえる、異音のせいだった。

何か大きな物が、通気ダクトを移動している、ズルッズルッという、

気持ちの悪い音で目が覚めたのだ。

しかも、その音は次第に大きくなってきている気がする。

ということは、この部屋に何かが近づいているということなのか?

しかし、その通気ダクトは縦横40センチほどしかない。

人間サイズのものは通れないはずだった。

 圭介はリノリウムの床で、タバコをもみ消した。

不安定な体勢で眠っていたせいか、体が強張っている。

それでも中腰になって身構えた。

その視線の先には、天井近くにある通気ダクトに注がれている。


 ふいにそれは現れた。人間らしき頭だった。

だが、決定的に違うのは、4本腕の化け物と同様の、

醜悪な外見をしていることだった。ただ奴とは別物だ。

なぜならその両目は揃っており、腐食した跡が見られない。

その頭は銀色の相貌をゆっくりと振りながら、

通気ダクトの中から部屋を見渡した。

その怪物は圭介の姿を認めると、裂け目のような口を開き、

紫色の異様に長い舌をのぞかせた。

「水落さん」

 囁くような、有田真由美の声が背後で聞こえた。

振り向くと、有田真由美はサバイバルナイフを、

床を滑らせるようにして、水落圭介に寄こした。


 圭介のトレッキングシューズの踵部分に当たって止まった。

素早くそのサバイバルナイフを拾う。

水落圭介は手に持ったサバイバルナイフを、通気ダクトから、

頭だけ出している化け物の首に向かって、

下から突き上げた。

首からはおびただしいほどの、どす黒い血が滝のように噴出する。

水落圭介は返り血を浴びながらも、サバイバルナイフを

さらに深く突き刺した。返り血の一部が、圭介の口の中に飛沫となって、

入り込んできた。それは生臭く、苦い。


「シャアアアアッ」

化け物は苦悶の雄たけびを上げて、通気ダクトの中に退散しようとした。

だが、首に刺さったサバイバルナイフが引っかかり、

後にろには戻れないでいる。

水落圭介は思い切って、サバイバルナイフで化け物の首を切断しようと、

ナイフの柄を両手で掴み、さらに腕の力を込めた。

化け物は断末魔の叫びを上げて、

首を切断された。だが、驚いたことに死んではいなかった。

リノリウムの床に、ゴトッという鈍い音を立てて落ちた頭部は、

両目を見開き、裂け目のような口を開け、圭介たちを威嚇している。

なんという生命力だ・・・。首を切り落とされても、なお生きているとは。

圭介はあらためて、この化け物に恐怖した。


その騒ぎに、斐伊川紗枝と小手川浩も立ち上がっていた。

ふたりとも、恐怖に体を震わせている。

「すぐにここから出よう」

 激しく肩で息をしている水落圭介は、つぶやくように言った。

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