ZOMBB 56発目 約束
「新垣!どうしたんだ?」
新垣優美の背後から、貫井源一郎の声が飛んできたが、
それは彼女の耳に入っていなかった。
ただ陽射しを照り返す銀色の光を目指して無我夢中で走って行く。
新垣優美は崩れたピラミッドのような瓦礫の小山を、
慎重に登っていった。
辺りにはくの字に歪んだ鉄骨が乱立していて、
いくつもの潰れたタンクの様な物の一部が、剥き出しになっている。
そして引きちぎれたように、
寸断された様々な太さのケーブルが地を這っていた。
それらのケーブルの断面から、時おり息を吹き返しているように、
断続的に火花を散らしている。
足場は不安定で、破片が崩れて下方へ落ちていく。
彼女は四つん這いになりながら、息を弾ませていた。
何度も銀色の光の場所を確認しつつ、確実に近づいていく。
やがてそれが目に入った。
銀色に光る物の正体―――。
それはグロック18Cのシルバースライドだった。
しかもそれは次郎らしき右手に、しっかりと握られていた。
だがそれは、厚さ50センチ、畳にして二畳ほどもある大きな瓦礫に
蓋をされているように隠れていて、右腕しか見えない。
次郎自身は、狭い洞窟の中に潜り込んだようになっていて、
彼の姿は暗い影の中に消えている。
新垣優美は無理だと知りつつも、
次郎に覆いかぶさっている瓦礫を動かそうとしたが、
それはびくともしない。
そんな新垣優美の様子を遠くから見ていた皆藤准陸尉は、
『衛門下痢音』三機に向かって命じた。
「彼女が何か・・・いや次郎君を見つけたのかもしれない。
救出を手伝ってやれ」
「了解しました」
『衛門下痢音』に搭乗している自衛官の一人が答えると、
二機を従えジェット・ホバー走行で、瓦礫の山に向かっていく。
モーニング・フォッグのメンバーたちも互いに顔を見合わせ、うなづく。
負傷している坂原勇と皆藤准陸尉をその場に残して、
『衛門下痢音』の後を追って走った。
三機の『衛門下痢音』は上昇して、新垣優美のいる場所に降下した。
瓦礫の崩壊による無用な危険を避けながら、ゆっくりと慎重に着地する。
貫井源一郎、坂原隆、久保山一郎、丸川信也の4人も、
額に汗の粒を浮かばせながら、瓦礫の丘を登っていった。
間もなくして、モーニング・フォッグの面々も、その場所にたどり着いた。
三機の『衛門下痢音』と貫井たち4人が到着したその時もまだ、
新垣優美は大きな破片を動かそうと試みていた。
「場所を空けてください。我々がやります」
『衛門下痢音』に搭乗している
自衛隊員の一人が、新垣優美に言った。
三機の『衛門下痢音』は金属製と思しき、
瓦礫の端を掴むと慎重に持ち上げた。
パラパラと細かい破片と共に、海を凪いでいる風が、
砂埃を舞い上げる。
三機の『衛門下痢音』はその場所から離れた所に、その瓦礫を降ろした。
蓋になっていた瓦礫を取り除くと、
そこには亀裂のような形に、暗い空間があった。
貫井源一郎をはじめとする、モーニング・フォッグのメンバーらが、
次郎の腕を掴んで引きずり上げる。
次郎の身体は外部から見る限り、大きな損傷は負ってないようだった。
次郎は平たい場所に寝かされた。
彼の両目は閉じられていたが、生きてはいるようだ。
その証拠に、ゆっくりとだが微かに胸が上下していて呼吸している。
ただ、人相がわからないほど、顔も全身も砂埃で真っ白だった。
「次郎、起きて」
新垣優美は次郎の傍にしゃがむと、彼の両肩に手をやった。
彼女の呼びかけに、次郎の瞼が震えた。
そしてもどかしいほどの動きで、ゆっくりと細く開く。
それを見た新垣優美は、歓喜と安堵のない混じった表情を浮かべた。
「よかった。生きてた」
新垣優美の、その声は震えていた。
その様子を見ていた
モーニング・フォッグのメンバーたちの顔にも笑顔が戻った。
「お、おう、ララか?敵は全滅したのか?」
次郎は寝言を言っているかのような、呆けた声音で訊いた。
「やったわよ。あなたのおかげだわ」
「しかし、あの爆撃の中を生き残るとは、
ダンボールの悪運はハンパねえな」
丸川信也は半ば呆れたようにつぶやいた。
「ララ・・・」
次郎は泳ぐ瞳を凝らしながら、
新垣優美の顔をまっすぐに見つめて言った。
「約束、覚えてるよな?」
「約束?」
新垣優美は、静かに問い返した。
「ゾンビどもをやっつけたら、
ほっぺにキスしてくれんだろ?」
弱弱しい笑みを浮かべて、
次郎はそう言いながら、右の頬を向ける。
新垣優美は、そんな次郎の両の頬を両手で包むと、
彼の顔を正面に向けた。
それから優しく、それでいて力強く囁いた。
「キスする場所、間違えてる」
そう言うと、新垣優美は次郎の唇に、自分の唇をそっと重ねた。
それまで薄目だった次郎の両目が、大きく見開かれた。
両手両足が痙攣したように、突っ張って震えた。
「こんな時、オレ達はどうすんだ?」
その様子を見ていた貫井源一郎が、ニヤけた顔で言った。
「やっぱ、これでしょ」
久保山一郎が、片手を高くかかげる。
その場にいたモーニング・フォッグのメンバーたちは勿論、
『衛門下痢音』に搭乗している自衛隊員たちも
互いにハイタッチした。
「おい、次郎。どうしたんだ?」
次郎が微動だにしていないことに
気づいた貫井源一郎が、覗き込みながら言った。
「こいつ、気失ってる」
坂原隆が呆れたようにつぶやいた。
「―――ったく、面倒臭え奴だ」
と丸川信也も呆れている。
白目を剥いて気絶している次郎を見下ろしながら、
みんな笑った。新垣優美も涙を流しながら、笑っていた。
ただそれは嬉し涙だった。
彼らの笑い声を遠くから聞いていた
皆藤准陸尉と坂原勇は、互いに顔を見合わせた。
「どうやら、次郎君は無事だったようだな」
皆藤准陸尉の声音には、安堵の色が滲み出ていた。
遠くから、救命艇と救護ヘリの姿が近づいて来るのが見えた。
気絶している次郎をよそに、皆はその方へ振り仰いだ。
空は青く高く、どこまでも澄みきっていた。
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