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名無しの島 第16章 襲い来る狂気

 確かに、このままこの場に留まっているのは危険だ。

出入り口は、この部屋まで歩いてきた通路ひとつだけだ。

もし、あの化け物たちが入ってきたら、

逃げ場は無い。水落圭介たちは、室内の奥にある扉に向かった。

その扉は鉄製だった。しかも、鍵がかかってない・・・

というか半開きになっていた。

圭介は鉄扉の下を見た。床には扇状に擦れた跡がある。

それも新しいものだ。扉が動いた痕跡に間違いない。

やはり、小手川浩が言うように、この研究所には、

化け物が出入りしているとみていいだろう。


 水落圭介はマグライトの光を差し向けながら、

鉄扉の錆の浮いている、L字型のノブを握り、ゆっくりと手前に開く。

この先には何があるかわからない。

あの化け物の仲間が潜んでいても不思議ではないのだ。

ノブを握る手が無意識に汗ばむ。鉄扉は思った以上に重い。

汗ばむ手のひらがノブの錆で、赤くまだらに汚れる。

できるだけ音がしないように、慎重に開いたつもりだったが、

鉄とコンクリートが擦れる、耳障りな音が部屋中に反響した。


圭介は勿論、4人とも周囲に目を光らせている。

 鉄扉は人ひとりが通れるほどの隙間ができた。

水落圭介は背後の3人に無言でうなづいた。

なぜ、うなづいたのか、自分でもわからない。

安心してくれという意味か、

それとも何かあったらオレを捨ててでも逃げろという意味か―――。

 圭介はその隙間をするりと抜けたつもりだった。

だが、背負っていたリュックが、

鉄扉とコンクリートの壁の間に引っかかった。

圭介は思わず奥歯を噛みしめた。彼のすぐ後ろにいた有田真由美が、

圭介のリュックを押し込んでくれた。

リュックは変形しながら、水落圭介と共に、

なんとかその部屋に身を滑り込ませることに成功した。


水落圭介はマグライトの明かりで、室内全体を隙間無く照らした。

化け物はいなかった。安堵感でどっと汗が噴き出す。

「大丈夫みたいだ」

圭介は小声で、鉄扉の向こうにいる3人に囁いた。

後は斐伊川紗枝、小手川浩と続いた。

小手川浩は小太りのため、先に本人が入り、

その後、有田真由美が彼のリュックをねじ込んだ。

有田真由美はスリムで均整のとれた体型だったので、

リュックを背負ったままでも、十分通れそうだ。


―――が。その時だった。

彼女の背後から、何かが這い寄って来る音がしたのは。

コンクリートの地面に濡れた雑巾を叩きつける様な、

ペタペタという音。その音のする間隔から、

4本足の巨大な両生類が歩いている姿を連想させた。

 有田真由美は、自分のすぐ後ろに、その何かが迫っていることを感じた。

彼女はゆっくりとリュックを降ろし、

水落圭介たちのいる隣室の方へ、鉄扉の隙間からねじ込んだ。

彼女の手には、手製の槍が握られていた。


何者かの気配は、もうすぐそこまで迫っている。

おそらく、3メートルも離れていないだろう。

「シャアアアアアァッ!」

その何者かが、生臭い息と共に、蛇が威嚇する時に出すような、

不気味な異音を発した。   

有田真由美は振り返った。

彼女のヘッドランプに浮かび上がったそれは、井沢悠斗を襲った、

あの化け物だった。4本の長大な腕に2本の足。

その頭部は醜悪そのもで、ただれた皮膚に陥没して腐食した右目、

片方の左目も古い銀貨をはめ込んだように、鈍い光を放っている。

鼻があるはずの場所には、縦長の線が2本あるだけだ。

口は人間にあるそれとは違い、

耳まで(といっても耳とみなされるものはなかった)

裂けて銀色の歯を剥き出しにしている。

その化け物は4本の長い腕を掲げて、

今にも有田真由美に飛び掛ろうとしている。

 有田真由美は手に持った槍を、

振り返りざまフェンシングのように片手で突き出した。

その手製の槍は、化け物の口に吸い込まれるように突き刺さった。

槍の先端が、化け物の後頭部を貫通する。

おびただしい量のどす黒い血がほとばしる。

「ギャアアアアァッ」

 化け物は、地球上のどんな生物でも

挙げないであろう叫び声を発した。

苦痛のためか、後方に倒れてのたうち回る。

「有田さん、早くッ!」

 水落圭介は鉄扉の隙間から、有田真由美に手を差し伸べた。

彼女は一瞬、落雷に打たれたかのように飛び跳ねた。

それから圭介の手を掴み、

鉄扉の開いたわずかな隙間から身を滑り込ませる。

 有田真由美が室内に入る。

直後、水落圭介と小手川浩の二人がかりで、

鉄扉に付いている、L字型のノブを引いて重い扉を閉めた。


扉の向こうでは、有田真由美の槍に口を貫かれた化け物が、

コンクリートの床の上で苦悶している音が響いた。

その化け物は、4本の腕で、自分の口に突き立てられている槍を掴んだ。

それから、ゆっくりと引き抜いていく。大量の黒い血が、口から滴り落ち、

コンクリートにどす黒い血溜まりをつくっていく。

槍は完全に引き抜かれ、床に落とされた。ガランという乾いた音を立てる。

後頭部からは、どす黒い血・・・体液か・・・が滴り落ちている。

 化け物は起き上がり体勢を整えると、

先ほどのダメージを忘れたかのように、鉄扉に突進してきた。

2本の左腕の手を扉の上部にひっかけ、

右の2本の指先は扉の右側面を掴み、強引に開けようとする。

化け物の腕力は強力だった。

水落圭介と小手川浩は、ノブを掴んだまま離せない。

わずかでも力を抜けば、鉄扉は容易く開けられるだろう。

「有田さん!鍵はかけることはできないか!?」

圭介は叫んだ。

 有田真由美はヘッドランプを頼りに、鍵になる場所を探した。

だが、L字型のノブには鍵らしいものは見当たらない。

彼女は鉄扉の上部に、

引き抜き式の鉄板が差し込まれていることに気づいた。


錆付いていて、赤茶けていたが、鍵らしいものはこれしかない。

そして鉄扉の下方も見た。同じような引き抜き式の鉄板がある。

その鉄板は幅3センチ、長さ15センチ、厚みは3ミリ以上ある。

有田真由美は、急いでその両方を押し込んだ。まずは丈夫の留め板。

錆びているせいか、なかなか動いてくれない。

有田真由美は懇親の力で、手のひらで押し込んだ。

留め金は錆を削り落としながらスライドした。

下部の方も、同じようにスライドさせた。

扉はもう微動だにしない。

「もう大丈夫よ!」

 有田真由美は、まだなおL字型のノブを必死で掴んでいる二人に言った。

彼女の声も、恐怖と焦りで弾んでいた。4人は急いで鉄扉から身を離した。

扉が轟音と共に振動している。あの化け物が体当たりをしているのだ。

しかし、鉄扉は頑丈なもので、わずかな土埃を天井から降らせてはいるが、

開けられる様子は無い。

しばらくして、化け物の体当たりは止まった。突然に。

諦めたのか、それともまだそこにいるのかわからない。

水落圭介たちの間に、束の間の安堵が流れた。

 明かりになるものは、圭介が手にしているマグライトと、

有田真由美のヘッドランプだけだった。

二人は非難した部屋を照らしながら調べた。

ほどなくして、ここにも複数のランプが掛けられているのがわかった。

前の部屋と同じ、固形アルコールタイプのものだ。

有田真由美は、その一つ一つにマッチで火を点していった。

彼らのいる部屋の全体が、淡い光で見えるようになった。

広さは25平米ほどの狭い部屋だった。

ただ床は剥き出しのコンクリートではなく、クリーム色のリノリウムだ。

閉めた鉄扉とは対角線上に、扉がある。これも鉄製だ。

それ以外、何も無い。4人はそのリノリウムの床に、座り込んだ。

 斐伊川紗枝以外の3人は、

荒い息を整えようと、水筒の水をがぶ飲みした。

水落圭介は、さっきまで鉄扉のノブを掴んでいた手で水筒を口に傾けたが、

その手は痙攣したように震えている。冷たい汗が背中を伝うのを感じた。


しばらくの間、誰も口をきかなかった・・・。

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