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名無しの島 第7章 垂れ込める暗雲

 所沢宗一の漁船『はやぶさ丸は』白波を掻き分けながら、

順調に進んだ。カツオ漁に使われている船とはいえ、

所沢宗一の船は大型ではない。

そのためか、時おり大きく上下に浮き沈みした。

水落圭介と井沢悠斗はリュックを降ろして、

船の後部にあぐらをかいて座っていた。

枕崎漁港は次第に小さくなり、そして視界から消えた。

有田真由美と斐伊川紗枝は、操舵室の側面にいた。

真由美は操舵室にもたれかかるようにして、海を見つめている。

斐伊川紗枝は船のへりにつかまって、海風に長い髪をなびかせている。

 枕崎漁港を発って、まだ2時間もたたないうちに、

小手川浩は船酔いをしたようだ。

時おり、船のへりに手を掛けて海へ嘔吐していた。

水落圭介は見かねて、小手川浩に呼びに持っていた酔い止めの薬を渡す。

有田真由美は、そんな醜態をさらしている小手川浩を冷めた目で見ていた。

確かに、船での半日がかりの道のりだ。

酔い止めの薬くらい、事前に飲んでおくのは当たり前だろう。

水落圭介は立ち上がると、操舵室に向かった。

操舵室では所沢宗一が、相変わらずの不機嫌な顔で、

くわえタバコをふかしている。圭介の方を、一瞥もしない。

「何か用か?」

視線は真正面に見据えたまま、所沢宗一は言った。

「例の島ですが、どうして『名無しの島』って

 呼ばれるようになったんです?」

 圭介は訊いた。しかし、所沢宗一は無言のままだ。

「あの・・・」

 圭介が言いかけた時、

それをさえぎるように所沢宗一が口を開いた。

「その話はしたくねえ・・・」

 とりつくしまも無さそうだ。水落圭介は、

あきらめて操舵室から出ようとした。

そんな彼の背中に、所沢宗一の声が聞こえた。

「オレの爺さんの頃から、そう呼ばれ始めたらしい」

圭介は立ち止まり、振り返った。

「お爺さんの頃・・・?」

 所沢の年齢からして、祖父の時代というと、

70年から80年前くらいか。

小手川浩が言ってた頃とほぼ一致する・・・。

「なんで、急に話す気になったんです?」

 圭介は率直な疑問を口にした。

「わかんねえけどよ。嫌な予感がするんだ。

 あんたらに教えておくことは、

 言っておかねえと後悔するような気が・・・」

 所沢宗一がほんの一瞬、水落圭介と目を合わせた。


言っておかなければ、後悔する?何だ縁起でもない。

「何か意味があるんですか?『名無し』って言葉に・・・」

 圭介はこの時しかないと思い、

できるだけ情報を聞き出そうと思った。

桜井章一郎のファイルやインターネットでは手に入らない、

現地の生の情報が欲しいのだ。

地元の人間なら、本物の情報が得られるに違いない。

「さあな。意味なんて知らねえ。ただ、あの島に好き好んで

 上陸した奴は、こぞって半狂乱になるほどの怖え目に

 あってる。オレが乗せた連中で、生きて帰った奴らはな」

 その時のことを思い出しているのだろうか。

海原を見つめる所沢宗一の両目が、強張ったように細くなる。

その両のまぶたは小刻みに震えていた。

「生き残ったって・・・やはり行方不明者がいるんですね。

 なぜ、地元の警察は動かないんですか?」

「警察もちゃんとした事件じゃねえと、動かねえよ。

 捜索願いも出ているようだが、一回だけ『名無しの島』の

 周囲を巡視船で回って呼びかけただけだったな・・・

 これはオレの勘だけどよ、

 上からの圧力がかかってんじゃねえかと踏んでる」

「上からの?政府からってことですか?なぜ・・・」

「さあ、そこまでわかんねえよ」

所沢宗一は再び、無粋な顔つきに戻った。

だが、彼は再び言葉をつないだ。

「だいたいあの島の周辺は、政府から立ち入り禁止区域に

 指定されてるんだよ。どうしてか理由はわからねえが・・・。

 そんなわけもあって、『名無しの島』に行きたがる船乗りはいないんだ」


 立ち入り禁止区域?ただの無人島が・・・?

水落圭介は『名無しの島』に、

何かしら大きな秘密があるのではないかと感じた。

日本政府が本当に圧力をかけていれば・・・の話だが―――。


所沢宗一は、漁船の操舵を握り締めたまま、それなり黙りこくった。

握り締めた彼の両手には力がこもっているように、

いくつもの血管が浮き彫りになっていた。

もうこれ以上、話すことはないとでも言うかのように。

水落圭介はあきらめて操舵室を出て、船尾に戻った。

数時間後、『はやぶさ丸』の操舵室から、

所沢宗一の大声が聞こえてきた。

「島が見えてきたぞ!」

 水落圭介ら5人は船首の方を見た。

その先には、薄っすらと小さな島影が見える。

その島の姿は松井章一郎の残したファイルにあった

写真と同じだった。豊富な樹木に覆われた島のはずだが、

黒く染められたシルエットのように見える。

いつの間にか、晴天だった空には、暗雲が低く垂れ込めていた。

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