高杉晋作の魅力

高杉晋作の人生は、非常に面白い。
長州藩の身分高めの産まれで、がっつり思春期に不良になり、その中で吉田松陰に会い、
感銘を受けて議論に議論を重ねて、この社会を面白いと感じる。
憧れる東京に出てみたら、みんな口だけのバカばっかで失望し、やる気を無くして遊びを覚え、本質を見失う。
松陰先生がそんな高杉や久坂玄瑞(晋作の友達)を見て、もっと本気で生きろや、と喝を入れたら、逆に引くレベルにやる気がなくなっていたが、吉田松陰が牢獄にいる時にはお世話したりして、恩義を忘れない姿勢はあった。

晋作の親父に、「やる気が無さすぎるから帰ってこい」と言われ、帰ったら、吉田松陰が処刑されたと聞かされ絶望する。

処刑される前に、何度も手紙交換をしていた二人だが、その中で、松陰は晋作に死に時について下記のように伝える。

「死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。」

つまり、生き急いで自殺行為のようなテロ行為や暴走はするな、どうしてもやりたくて、それが後世に意義のあることであればすれば良い。ただ、そうじゃないなら、生きて大きなことができる時まで待て、と伝えた。

めちゃくちゃ痺れる。
これは、個人的に吉田松陰名言ランキングベスト3に入る。
高校時代にこれを読んで、何もなく死ぬと言っている自分がどんだけ恥ずかしい存在かと感じた。でもすぐんは死にたい気持ちが消えたわけではなかったけど。

話を戻せば、高杉晋作は、長州に帰ってきてからは、色々あったが、基本的に何も成さない。色々良い機会をもらうが、それらも飽きてしまう。そしてお酒と女にお金を使う日常を送る。

この聖人じゃない感がこれまたかっこいい。

そして、色々ある中で、上海に留学する機会を貰って、意識が変わる。

「あの中国(めちゃくちゃ日本からしたらすごいと思ってた国)がイギリスの奴隷になってるやん。」という衝撃を持って、日本に帰ってきたら、これまで議論していた奴らが、「イギリスとかまじ気合いでぶっ潰せる」とか言ってて、引きまくる。そして落ち込む。

気を取り直して、これはすぐに武力を強化しなきゃいけないと考えて色々手を出す中で、
かの有名な奇兵隊(身分関係なく戦いたい軍団)を作ることになる。

でもそれも作ったからと言って、何かめちゃくちゃ素晴らしいという訳ではない。
高杉は、身分が高い分、上の言う事も聞かなきゃいけないが、下の不良集団のリーダーでもあり、常に板挟み状態で、いつも悩みなくっていた。
ただ、カリスマ性があったため、要所要所で頼られて官僚になる。
官僚になるが、この後、アメリカやイギリスの列強に喧嘩を売ってボコボコにされる奴がいたり、京都に攻め入って返り討ちになってボコボコになる仲間たちがいる。
それらを止めようとしたら、参戦するつもりだろう言うことで逮捕されて牢獄にぶち込まれる。

本当に何もかも上手くいかないため、一時期本当に理解できない暴挙とかにも出るが、
長州が本当に八方塞がりになったタイミングで、カリスマ性が爆発する。
本当にこの一瞬の輝きだけで、高杉晋作は有名人となる。
(伊藤博文が有名にした説もあるが)

列強からの賠償請求交渉の責任者を任され、全て幕府のせいにして賠償請求を逃れ、
2000人ぐらいで幕府軍が長州征伐(長州藩ぶっ潰し作戦)しにきた時も、全員が絶望して諦めていたタイミングで、一人で決起し、それに刺激された伊藤博文軍団80名が決起し、2000人と戦う。そして、追い返す。
奇兵隊はここで活躍するが、その時のトップの山縣有朋(松下村塾出身)は、絶対負けるから協力したくないと言って最初は決起しなかったが、100人に満たない高杉と伊藤の軍団が強すぎてカッコ良すぎてやっぱり参戦するわとなるほど、かっこいい戦いを見せた。

ここで、高杉が列強と上手く交渉したおかげで、ここで幕府軍を追い返したおかげで、明治維新が起きたし、その後明治政府がなんとか改革を行っていけた。
もし高杉がいなければ、すぐに列強の植民地になっていたかもしれない。

この時の日本の状況は、本当に植民地になるかどうかギリギリのラインだったが、高杉をはじめ、多くの志士が、社会を俯瞰して冷静に、かつ情熱的に日本をなんとかしようと考えた為、その後明治維新が進んでいく。
その先頭に立ったのが、松陰・高杉イズムを一番継承している伊藤博文である。

話を戻すと、高杉が列強に対して、全く引く事なく交渉したことで、列強からの評価が高まり、幕府軍に対しての戦いも素晴らしかった為、多方面から一気に評価が上がるが、結核に倒れ、表舞台からは消えていき、そのまま満27歳で亡くなる。若すぎ。

人生通して、高杉晋作は、上手くいっている期間は非常に短く、基本酒と女でお金を使って、絶望したり暴走したりして生きている。そして、自分の功績の恩恵を受ける事もなく死んでいる。

高杉晋作が幸せだったかどうかは分からないが、
間違いなく、“死して不朽“の存在になっている。
吉田松陰も誇りに思う、素晴らしい人生だったと思う。

150年以上経った21世紀に生きる人にもエネルギーを与え続ける存在。
そのような存在になって死ね、というのが吉田松陰の思いだったのかもしれない。

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