過程か結果か

全ての物事を過程と捉えるか、結果と捉えるかによって世界の見え方がかなり変わる。

エジソンは天才である。
電球を最初に作ったのは他の人だが、持続的にかつ幅広く活用できるようにしたのはエジソンである。
個人としても、白熱電球の実験を6000回以上失敗した後、最も優れている素材は日本の竹だと思った。
素晴らしい発見だし、素晴らしい根性だが、天才のエジソンがそこまでやって出した結果だからそれが一番と思ったらそれで終わりである。

現在では勿論だけ竹は使われてないし、何ならLEDが使われている。
エジソンの功績は無駄ではなく、エジソンの功績を過程と観た時にもっと改善できる、もっと良いものがあるはずと、課題を超えていった事で今がある。

これは全ての分野にも言える。
今ある薬、今ある教育、今ある社会、全てにおいて過程の中にあると思えば、更なる改善があるだろうが、
それがベスト、それ以上はない、天才達が出した答えなのだからと思えば、そこから後退していく。

創業社長のオーナー企業も同じで、一代で築き上げたという結果が強過ぎて、二代目以降の過程が見えない。

この世界を結果だと捉える人と過程だと捉える人には大きな差が生まれてしまう。

ただその差を埋めるのは何かといえば、今を過程と見る為に過去(歴史)知り、今を問い直す事であり、それを持続的に結果として捉えないようにする為には、過程を共にし、諌めてくれる仲間が必要なんだろう。

そのような関係の間にあるまのを友愛という気がする。

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