6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む

今回は珍しく書評となります。

その題材が表題のものとなりますが、まずタイトルが素晴らしい。
主人公の素朴で実直で不器用な、ルーティンを大切にしながら穏やかな日々を生きている、その息遣いが伝わってくる。

静かに佇むセーヌ川とエッフェル塔を照らす朝焼け、橋の上を進む列車。
帯には「本を愛するすべての人へ」の言葉。
この本を手に取らないのは嘘だ、と思い、奥付も見ず衝動的に購入した。


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主人公は本を断裁する工場(大量殺戮の現場)で働く冴えない中年男性。
彼は朝、電車に乗ると、前日断裁されなかった1ページをブリーフケースから取り出し、朗読する(往生させる)。
彼の友人は詩を愛する守衛、工場の機械によって足を切断された元同僚、すべての悩みを打ち明けられる金魚(ルジェ・ド・リール五号)。

彼らにはそれぞれ目標があって、その形は歪であったり不安定なものだったりする。
主人公は、ある日いつもの電車で見つけたUSBに入っていた日記を書いた人物に恋をしてしまい、彼女を探し求めるというもの。
元同僚は亡くなった足を見つける(少し変わった方法で)ということ。
恐らく金魚にも何か目標があるのだろう。

彼らの日常は、一人でいると悲劇だけれど、周りの人との関わりを通じてその灰色の日々に色がつけられ、そんな姿を見ていると、「なんだ、喜劇じゃないか」と思わせられる。


途中で出会うドゥラコート姉妹(主人公の音読のファン)もいい味を出している。
変わらない日常にため息をつく主人公の中にも、他者は介入してきて、
それは物語であるから、変わっていくのは必然だが、
同時に彼のブレない一面を見ることができる。
不満足を知りながら、その中で何ができるか。
日常を一変させず、自分の歩き方で少しずつ変えていくような、そのやり方が不器用でとても愛らしく感じた。

そもそも電車の中で朗読するなんていうのは、実際にそんな人がいたら無視しそうなものだけれど、これが小説ならそうはいかない。彼の内面を知ると、僕もドゥラコート姉妹のように彼の虜になってしまう。


海外文学らしい言い回しも、翻訳小説を読む時の一つの楽しみだ。
同じ電車で時間を共にするサラリーマンを「害のない変わり者」の評す痛快なセンスが素晴らしい。
毎日眠い目擦って行きたくない職場に行くのは、やっぱり狂ってる子tなんだよな。


ラストのシーンも素晴らしい。
主人公は日記の中の彼女をついに見つけることができた。
彼が「日記を読ませてくれたことへの感謝」や「彼女への気持ち」を語るその姿は、まるで初恋をした青年のようで、初老の男性の姿としてはあまりにみっともない。

不器用ながら、まずは一歩だけ前に進もうとする彼の姿は、日々を生きる僕たちにも刺さるものだった。


「あなたの人生の8分間を僕にくれませんか」という、
彼の初デートの誘いはこれまでの人生の中で積み重ねてきた(他者に積み重ねられた)決して美しいとは言えない感情を少しだけ脱ぎ捨て、自分自身の希望へ手を伸ばす姿があった。


「変わる」というのはそんなに大きなことじゃない。
トイレのタイルを一つ付け加えるようなものだ。

だけどそんな小さな、小さな変化を楽しんで生きてこそ、素晴らしい人生なのだろう。


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書評っていうのが、どこまで書いていいか分からない。
これを読んで一人でも手に取ってくれたら嬉しいですね。



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