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北海道の生みの親「松浦武四郎」

やっぱり、歴史に触れていたくて・・・・

今日はYouTubeで、歴史秘話ヒストリア「アイヌ民族の現実と松浦武四郎 江戸時代編」を見た。

以前、北海道ヌリ路開発に行った時、北海道神宮の中にある開拓神社に祀られている北海道開拓功労者37柱の中に「松浦武四郎」がいたことは、パンフレットを読んで知っていた。

しかし、高齢ながらも蝦夷地に入り日本全国の地図を作った「伊能忠敬」や、厳しい環境の中でも樺太(サハリン)が島であることを確認し「間宮海峡」を発見した「間宮林蔵」の功績の方が、どうしてもクローズアップされて、「松浦武四郎」のことはそれほど知らなかった。

実は、この人こそが、北海道の生みの親だった・・・。


もう少し調べてみたら、NHKの北海道150年記念ドラマ「永遠のニㇱパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」のロケが8月末に始まっていて、2019年春には[総合]で北海道先行放送の後、全国放送するという。

「この男がいなかったならば、北海道は生まれなかった」
幕末の大探検家にして北海道の命名者である松浦武四郎。
北海道が誕生するまでの知られざる格闘の人生を4Kでドラマ化!


そこには「松浦武四郎」について、こう書いてあった。


幕末から明治初期にかけて諸国を歩き200以上の書物を著した探検家にして地理学者、ルポライターなど大きな業績を残した知られざる巨人。なかでも偉業なのは蝦夷地を28歳から41歳にかけて6回にわたり探査して蝦夷地の風土、地理を日誌や地図に記録したことだ。アイヌの人々と深く交流してアイヌの暮らしと文化を広く紹介して守ろうとした。明治維新で政府に登用されて蝦夷地に替わる名称として「北海道」のもととなった「北加伊道」を提案した。(「カイ」はアイヌ語で「この地に生まれたもの」という意味)


そして「ヒストリア」を見て、一番感銘を受けた部分はここだ。

①アイヌの生き方に感動し、アイヌの言語を始め文化を記録し書籍化させ、当時の大衆に異文化に対する関心を持たせた。(アイヌには文字がなかった)

②新政府から開拓使として任命されるが、条件として「アイヌの過酷な労働を廃止すること」や「アイヌを尊重し保護すること」などを提言した。

(結果として商人が開拓使へ賄賂を送り、松前藩と同じようにアイヌを弾圧し続けた。それを知って、松浦は辞任する。)

③地名には、アイヌ語をそのまま生かした。(例:札幌=サッポロ・ぺツ(乾いた大きな川という意味)

④時を経てアイヌ文化復興時、松浦の書籍が重要参考資料となった。

今から200年前に生きた「松浦武四郎」の、ひとつの民族の文化を尊重する姿勢・態度には驚いた!!


また、私の好きなマンガの中に「王道の狗」(安彦良和作)がある。

その中にある、この一節が、やはり心に響く。

西洋の覇道になるのか、東洋の王道になるのか。


西欧列強たちが植民地政策で行ってきた、物質文明の近代化による「均一化」の時代から・・・

これからは、東洋における精神文明を尊重した、尊厳による「多様化」の時代に突入したのではないだろうか。

拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡