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なぜ、中華民国(台湾)と中華人民共和国(中国)があるの?

ここ韓国の公募展で優秀賞を頂いた時の、歴史エッセイのテーマは「朝鮮戦争」でした。そこから興味を持ち始めて、紐解いていくと「第二次世界大戦」に至り、次にあの泥沼の「支那事変(日中戦争)」まで調べることになってしまったのです。

そこに手を付けるのには、躊躇しました。
まるで、底なし沼に自分から入っていくようなことだったからです。

しかし「台湾」を調べていくと、日中戦争中の中国には二つの顔である「国民党」と「共産党」があったことや、その二つの党が争った「国共内戦」と、日本を相手に一つになった「国共合作」を繰り返していたことがわかりました。 

結局「共産党」は、現在の「中華人民共和国(中国)」となり、「国民党」は「中華民国(台湾)」なのです。

(以下、台湾Ⅰの手記からの引用をします。)

数日後あとを追って中華航空(チャイナエアライン)に乗り入国した、韓国で一緒に仕事をする同僚が「中華航空は中国のではなく、台湾の航空会社だった。」と言っていた。私は今まで、「中華」=「中国」だと思っていた。人にとって認識の外(=無知)が、勝手な思い込みを創り、虚像を生むようだ。
しかし今では、この無知であることに気づくことは、爽快さや感動を伴うようになってしまった。何故ならばそれは、新たな出会いの始まりでもあるからである。

学校で教えられてきたとしても、知識のかけらもない頭には、この課題は新鮮でした。

ではなぜ、「中華民国(台湾)」と「中華人民共和国(中国)」があるのだろう。

ちょっと軽く、引用してみます。


中華民国は1912年孫文を臨時大統領とし、中国大陸の南京で成立した共和制国家である。(この時から276年続いた清は、完全に滅亡した。また現在台湾では、この年を元年とする中華民国歴を使っている。)
1917年ソ連は共産主義革命を成功させ、レーニンが1919年に「コミンテルン」という共産主義政党による国際組織を設立し、世界各国の共産主義運動を指導し支配した。
中国で1919年に起きた五四運動(抗日・反帝国主義・反封建主義を掲げる大衆運動)に刺激を受けた孫文は「中国国民党」を結成し、のちコミンテルンの働きを受けて1921年に生まれた「中国共産党」と提携し、1924年中国国民党一全大会を開催して「連ソ・容共・扶助農耕」の三大政策を提起、国民革命を推進した。(第一次国共合作)

孫文は「中国」でも「台湾」でも、国父と言われていますね。



孫文死去後1925年、国民党内に共産党との合作を排除する右派が台頭する。
1927年に孫文の後を継ぐ蒋介石が上海クーデターを起こし、共産党勢力を排除して「南京国民政府」を創設した。蒋介石はその後、欧米の圧力や浙江財閥との関係により反共主義者となり、日中戦争(支那事変)勃発の前は抗日闘争よりも共産党を弾圧する政策を優先し、1930年から共産党に対し5次にわたる大規模な掃共戦を展開する。
一方ソ連の支援のもと、毛沢東が指揮する共産党は農村を中心として支配領域を広げていき、1931年には「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立する。1934年の第五次掃共戦までは、国民党の圧勝だった。 (第一次国共内戦)

蒋介石が「国民党」、毛沢東が「共産党」として中国大陸内で争います。

ポイントは、それぞれの背後に「アメリカ・イギリス」と、「ソ連」が支援していたということです。


1936年反共より抗日を優先しようとした張学良による「西安事件」が起こり、これを契機に壊滅寸前の共産党は、コミンテルンの方針もあって国民党との合作に活路を見つけた。その後、日中戦争の発端となった「盧溝橋事件」が契機になり、国民党と共産党は緊急事態における一時的な統一戦線となった。(第二次国共合作)

面白いことにこの両党は、日本軍との戦いの時に「アメリカ」と「ソ連」からの援助を受けているんですね。


日本と敵対関係にあったソ連は、共産党中国支部の設立を支援し、コミンテルンを通じて中国の共産化政策を強力に押し進めた
また日本の伸張に危機感を持ったアメリカは、蒋介石の妻の宋美齢によるルーズベルト大統領への強い働きかけにより、国民党軍に武器や軍事顧問の派遣などの援助を行ったほか、日本との開戦後には共産党軍にも武器などの軍事支援を行っていた。

そして日本の敗戦後1945年~1949年には、「国民党軍」と「共産党軍」が再び対立した。(第二次国共内戦)

共通の敵である日本の敗戦によって、また両党争います。


共産党軍は、東北に侵入したソ連軍の支援を受け、徐々に南下し国民党軍を圧迫した。日本軍の前面に立って戦力を消耗した「国民党軍」と、後方で力を蓄え巧みな宣伝活動で一般大衆を味方にした「共産党軍」の戦いは、1949年に「共産党軍」の勝利で終わり、大陸では「中華人民共和国」の建国を宣言した。
一方、 敗れた「国民党軍」総統である蒋介石は、200万人の軍人と共に台湾に「中華民国」を撤退させ、台北を首都とする一党独裁政権を成立させた。

日本軍と戦って疲れてしまった「国民党」が敗北して「島(台湾)」へ行き、勝った「共産党」が「大陸」に残ります。


そして、これらを通して一番興味深いところが、ここ・・・

実は終戦前、蒋介石率いる国民党政府は、1943年のカイロ会談(ルーズベルト・チャーチル・蒋介石)における取り決めを根拠として、翌年台湾調査委員会を設立し、接収の準備工作を展開した。

終戦の2年前から既に「カイロ会談」で、アメリカ・イギリスと蒋介石が日本から「台湾」を接収する準備をしていたというのです。


その他にも・・・

1945年2月のヤルタ会談(チャーチル・ルーズベルト・スターリン)では、 米ソ両国は台湾について、カイロ会談で決定していた「中華民国」への返還を改めて確認していた。同時に朝鮮半島は連合国の信託統治とし、第二次世界大戦後北緯38度線を境に南側をアメリカ、北側をソ連へと分割占領にする事を決定していた。


終戦の半年前には、イギリス・アメリカ・ソ連で・・・

①日本の敗戦

②中国・・・共産党=大陸、国民党=島(台湾)

③朝鮮半島・・・38度線で南(韓国)はアメリカ、北(北朝鮮)はソ連が分割占領

と、決めていたというではないですか?!


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結局、大きく分けて「アメリカ」の自由主義・資本主義と、「ソ連」の共産主義の戦いの現場が、この東洋になったということになりますよね。

まさしく、西欧列強たちは内部分裂を誘導して統治する「分割統治」を上手にこなした結果であり、その手法にまんまと引っかかってしまったアジア諸国だといえるのではないでしょうか。


実際にこれらを、日本と韓国の若者たちを中心に共有させて頂きました。

皆さん、とても感慨深く受け止めておられました。


最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました!


拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡