価値創造請負人#3「アイデアが浮かばない社長」

年商30億円、従業員100名のシューズメーカーの三代目社長は悩んでいた。
 
創業者の祖父は子供靴の製造を始め、二代目の父は靴を作る技術を活かしナースシューズや厨房靴といった業務用シューズを開拓し、事業を伸ばしてきた。
 
三代目社長の彼は、大学卒業後、5年ほどの商社勤めを経て、10年前の27歳で当社に入社した。5年前に父から社長を引き継ぎ、従業員ともコミュニケーションが取れるようになってきた一昨年、コロナ禍の影響をもろに受け、売上は大幅に落ち込んだ。
 
祖父や父が頑張って貯めた内部留保と、銀行からの緊急融資を受け、当面の運営資金は何とか手当てができた。
 
 「このまま指をくわえているわけにはいかない。遠い国では戦争が起き、世界のサプライチェーンが混乱に陥る時代だ。新しいことを始めなければ、またいつ何時経営危機が訪れるかわからない」コロナ禍は、それまで悠々としていた社長の心に危機感を植え付けた。
 
頭の中には、新規顧客開拓や新商品の開発、異業種とのコラボレーションなど、取り組むテーマは色々出てくるが、肝心の「具体的に何をすべきか」が思い浮かばないことが、社長の悩みであった。
 
「祖父や父の時代は、人口は増え、経済は右肩上がりで、モノもまだまだ不足していた。つまり、エンドユーザーのニーズはハッキリしていた。しかし、今は違う。色々な会社が凌ぎを削って、魅力的でユニークな商品を作り、社会課題解決を提案する時代。なのに、自分は何をしたらいいのだろうか?」社長は途方に暮れていた。
 
 彼のキャリアを振り返ると、大学ではバイトに明け暮れ、単位を取るためだけに授業へ出ていた。就職は、当社取引先の一つである商社へ父の口利きで入れてもらった。10年の商社生活では、顧客が欲しいものを国内外から手配する仕事をしていたが、会社で用意されたインフラを使い、ルーティンワークを回していれば給料がもらえた。当社入社後の5年間は、父の仕事を見て、覚え、やって、引き継ぐだけだった。社長就任後は、基本日々の業務に目配せし、社内外で何か問題があった時に出ていけば何とかなった。新しいことを生み出したことも、挑戦したこともなかった。
 
 数日後、大学時代の友人でもある顧問税理士と、月1回の定例ミーティングがあった。社長は友人に悩みを打ち明けた。
 
税理士は、価値創造に挑戦しもがく社長を何人も見てきた。従業員を振り回し、それにより組織が疲弊し、優秀な従業員は会社を去り、最悪の場合は現業の業績にも影響が出る。無手で価値創造にチャレンジするのは危険だ。「そうだ、勝又さんを紹介したらいいかもしれない」税理士は思った。
 
社長は、気心知れた友人の申し出を素直に受け入れた。
 
 後日、勝又は税理士の紹介で社長のオフィスを訪れた。勝又は社長室に入ると部屋を見まわした。賞状が至るところに飾られていた。「ああ、創業者の祖父は地域活性化事業にも力を入れていて、随分と表彰されたようです」社長は勝又に賞状の背景を説明した。
 
「素晴らしいですね」勝又は素直に感じたことを口にした。
 
勝又は税理士との関係を簡潔に説明した後、「社長のお悩みはある程度聞いています。新しいことを始めたいが、なかなか頭がまとまらないと」と切り出した。社長は「ストレートな質問だな…」と一瞬思ったが、自分がモヤモヤしている背景をとめどなく話し始めた。
 
元々事業承継を考えていなかったこと、大学時代はバイトに明け暮れていたこと、当社へ入社していなかったこと、コロナ禍で業績が落ちたことなど…
 
勝又は目を瞑り、右手で顎を触りながら、社長の話に耳を傾けていた。
彼のいつもの癖だ。
 
一通り話を聞き終わると、勝又は「会社を引き継がれて本当に大変だったとお察しします」と、社長の心情に寄り添うような一言を口にした。続けて「私も多くの二代目、三代目社長と仕事をしてきましたが、初めは何をしたらいいのか分からない方が多いです。なぜなら、価値を創造した経験がないからです」
 
勝又は、これまで多くの社長と仕事をした経験から、創業者と二代目、三代目を分かつ点は「価値創造の経験の有無」、言い換えれば「誰かを幸せにしたいという『想い』の有無」であると分析している。
 
 「では、どうすればいいのでしょうか?」社長はその先を聞きたいと思った。勝又は「何をすべきか、を問うのではなく、何をしたいのか。私はまずそこから伺うようにしています」と答えた。
 
 「何をしたいのか…あぁ、今まで考えたことありませんでした。私は敷かれたレールの上を歩いてきただけでした。そうか、社長になるということは、『こうしよう!』という想いを持つことから始めなければならないのですね!」
 
 勝又は、理解の早い社長を見て「この人なら多分大丈夫だ」と心の中で思った。
 
「私の方で、本当に自分が何をしたいのか、少し考えてみても宜しいでしょうか?それがあった方が、勝又さんと有意義な議論ができると思いまして…」社長は晴れ晴れとした表情で勝又に話した。勝又は「もちろんです」と答えた。
 
 1か月後、勝又は自分のオフィスで作業をしていると、ふとあの社長のことが頭をよぎった。「あの後、したいことが見つかっただろうか?」そんなことを考えていると、一通のメールが届いた。社長からだ。
 
 「お世話になります。勝又さんとお会いした後、自問自答の日々でしたが、ようやく自分のやりたいことが朧気ながら見えてきました。改めてお話する時間を頂けませんでしょうか」
 
 勝又は素直に喜んだ。「社長が前向きになれば、組織は変わる。そして、新しい価値が生まれ、幸せになる顧客が増える。それが、自分の仕事だ」そんなことを考えながら、社長への返信メールを書いていた。