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11/3 文化の日の文化っていったい何だ?

 文化の日は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。
 「文化」に「自由と平和」がセットになっている。えっ、なぜ。すすめるべき「文化」って何だ。

 文化って何だろう。


 社会集団によって作られ、伝承されるものが文化だといわれる。

 人間特有のものと思われていたが、日本のサルの研究では、幸島のニホンザルがイモを洗うことが発見された。イモと名付けられたサルがイモを洗い始め、それが周りに伝わっていった。この話をもとに、ケン・キース・ジュニアが1982年に「百番目のサル」(「The Hundredth Monkey」)として出版し、世界的に知られる現象となった(本当は、イモを洗うという事実を元にした創作で、100匹目のサルがイモを洗うと、その文化が全体に広がり、他の地域にも伝わるという話だが、そんな超常現象は幸島では起きていない)。



 宮崎県にある幸島のサルは、京都大学の研究者が長年調べていた。イモ洗いについては三戸サツヱが発見したものを京都大学が継続して観察し、1965年に河合雅雄が英語論文にしてから、世界的に知られるようになった(人と自然の博物館の館長もしていた河合雅雄も2021年5月に亡くなった。ちなみに、弟の心理学者、河合隼雄は2007年に79歳で亡くなっている。河合雅雄は、なんと97歳で亡くなった。以上、尊敬するお二方含め、全て敬称略で表現しています)。
 イモを洗うという文化の芽が、サルでもあることがわかった。その後、1997年には、チンパンジーのシロアリ釣りも発見されている(道具の使用)。それらも文化の芽と思われる。

 サルの文化については、こういう発見の歴史がある。しかし、文化の日の趣旨がうたう「自由と平和」は、あまりぴんとこない。イモを洗うことと「自由と平和」は結びつかない。

 文化の日の11月3日は、もともとは明治天皇の誕生日だった。
 明治天皇の天皇誕生日を、当時は天長節(てんちょうせつ)と呼んでいた。明治天皇の天長節は、1873年から1911年まで続いた。その日を記念して、明治節(めいじせつ)となったのが1927年から1947年まで。今の昭和の日(4月29日)のようなものだ。
 その後、国民の祝日に関する法律(1948年)で文化の日が設定された。文化の日の設立のたてまえとして、日本国憲法が使われたのだ。
 日本国憲法が公布されたのが11月3日。日本国憲法は平和と文化を重視しているから「自由と平和」をうたう「文化の日」となった。これが「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨とする文化の日の設立理由となる。天長節、明治節の日に、それとは関係ない文化の日が設立されたということだ。
 これはどうみてもたてまえの理由だろう。祝日をそのまま継続させるときに、明治天皇の誕生日や明治という時代を考えることをさせないための理由だろう。天皇や明治時代と「文化」を結びつけたくないかのようだ。

 憲法に関しては、憲法が施行された5月3日が憲法記念日となっている。ちゃんと憲法のための祝日が別にある。
 無理矢理つくられた文化の日だが、現実に文化の日があり、その中で我々は生活している。

 その文化について考えてみよう。
 今の新しい文化も知りたいが、明治の古い文化も知りたい。明治をしのぶ明治節の時代を思い出そう。明治天皇は関係なくても、明治の時代に我々の生活が一変したのは事実だ。そこで捨て去られた日本の文化、江戸の文化などがある。新しく生まれた文化もある。文化が激変したのが明治時代だ。そういう歴史についても考える日にしたい。今は消えてしまった江戸の文化についても考えたい。ただの季節の飾り物だった浮世絵が、西洋の人々を驚愕させ、日本の代表的文化となった。日本人は浮世絵を日本を代表する文化とは考えていなかった。外国人に教えられて初めて気がついた日本の文化。
 今も残る江戸の文化もある。なぜ残っているのか。そんなことも考えたい。




 文化の日には、文化について考えよう。


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