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百人一首むすめふさほせ ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

夜の道に私はたった一人
ホトトギスが鳴いている
けれどホトトギスの姿も見えず
ただ有明の月が夜道を照らす


 百人一首の一字札、「むすめふさほせ」の「ほ」

81 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明ありあけの月ぞ残れる  後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじん


 ホトトギスが鳴いている方角を見ると、ホトトギスの姿は見えず、ただ有明の月が照っているだけだ。

 ホトトギスは「テッペンカケタカ」あるいは「トッキョキョカキョク」と激しく鳴く。ウグイスの「ホーホケキョ」のような綺麗な声ではなく、激しい鳴き声を夜にも聞かせる。その声を、昔の人はでていた。そして、春を告げる鳴き声も愛され、ホトトギスの初音を聞くことが人々の興味の対象となっていた。



 百人一首は、鎌倉時代に作られている。時代が下り、江戸時代にも、ホトトギスの有名な俳句が作られている。


目には青葉あおば 山ほととぎす 初鰹はつがつお  山口素堂そどう


 初夏の風物を三つ並べている。若葉が茂る木々。ホトトギスが鳴いている。ホトトギスの鳴き声を合図に田植えの準備をしていたらしい。初夏を知らせるのがホトトギスの鳴き声。初がつおを食べるのを江戸っ子は他の人と競っていた。


 明治の歌人、俳人、正岡子規まさおかしきは、本名、常規つねのりのぼると改名。野球(ベースボール)に興味を持った子規は、自分の名前「のぼる」から、「」の「ボール=球」で「野球」という言葉を作ったといわれている。短歌や俳句のときの名が「子規しき」。「子規」はホトトギスのこと。ホトトギスは「時鳥」「不如帰」とも漢字で書くが、「子規」とも書く。それを自分のペンネームとしている。
 ホトトギスは、血を吐きながら激しく鳴いているといわれる。そこから、肺結核となり、死期を自覚した彼は、吐血をして血を吐いた自分自身をホトトギスにたとえていた。


 ホトトギスは、ずっと日本人に愛されていた。初夏の日、じっと耳をすませば、「テッペンカケタカ」というホトトギスの鳴き声が聞こえるかもわからない。近くに山でもあれば、けっこうホトトギスはいると思う。他の鳥と違って、夜でも鳴くので、「テッペンカケタカ」という声を聞いてみよう。一度聞くと忘れられない。

 「有明ありあけの月」は、明け方に残る月。具体的には、満月の後の月。昔の人はいろいろな月をでては、月に名前をつけてきた。光の少ない時代に、月明かりが夜道を照らしてくれる。月の光は大切なものだった。

 満月の後も、新月までの月の名称はたくさんある。満月は、十五夜、月の光が見えない新月から15日目の晩の月。16日目は、十六夜(いざよい)。17日、立待月(たちまちづき)。18日、居待月(いまちづき)。19日、寝待月(ねまちづき)。20日、更待月(ふけまちづき)と次々月に名前がある。それだけ昔の人にとって月は大切なものだった。

 我々も、月を見ると心に何か感じる。サンゴなどが満月の晩にいっせいに産卵するのも、月の不思議な力をかりているからだろう。


 作者、後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじん(1139~1191)は鎌倉時代の人で、百人一首を選んだ藤原定家のいとこ。ホトトギス、有明の月と、昔の人の興味がどこにあったかわかる。

 我々も、ホトトギスの鳴き声を聞いて、早起きをして有明の月を見てみたら、少しは昔にタイムスリップできるかもわからない。



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