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黄表紙「従夫以来記」②~江戸の町の未来予想図

 If、もしこんなだったらどうだろう。竹杖為軽たけづえすがる(1756?~1810)作、喜多川歌麿きたがわうたまろ(1753?~1806)画の黄表紙きびょうし従夫以来記それからいらいき」(1784)は、「未来記」のひとつとして現実を茶化して描かれる大人の絵本。その中巻の現代語訳。 



中巻

 ゲタ直しの小屋へ、雪駄せった直しを頼みに行く。「手入れ手入れ、でいでい~」の行商は最近はいっさい来ない。
客「今日は、出かける途中でゲタの鼻緒はなおが切れました。どうぞ、ごらんのうえ、お直しくだされまし。おいそがしければ下っぱのお弟子様でもようござります。ちょっとお頼み申します」
ゲタ屋「おっつけ弟子どもをうかがわせましょう。このごろは特にいそがしいうえに、きのうは宝くじが大当たりで、大とりこみ中でござる」 

 客が文句を言うカスハラどころか、客のほうが下手に出るというさかさまバージョン。現実とは逆の世界を次々に描いていく。 



 呉服屋は、安売りではなく、高売りのチラシを出す。
 店の店員は、「いらっしゃいいらっしゃい」などとは言わず、「寄らずに通り過ぎなされ」と、にらみつける。
店員「なんだ、ふんどしが買いたいだと。無礼ぶれいなやつだな。なまいきだぞ」
客「どうぞ、そうおっしゃらずにお売りくだされ」
店員「おい、お茶なんか出す必要ないぞ」 



 神も仏もひとつになり、神明地蔵大菩神、寺院建立の寄付を集めて仏教、神道、一緒に歩く。 

 仏教の寄付を集める者と神道の寄付を集める者が一緒に歩いている。六、七と、現実とは反対のことがらを述べている。それにつづくので、仏教と神道を進める者も、現実には一緒に歩くこともなく、実際は互いに反発しあっていたのだろうか。 



 移動式の風呂屋が入浴券を売り歩く。これを引きずり風呂という。お客が浄瑠璃じょうるりを語れば三味線しゃみせんで伴奏し、念仏ねんぶつをとなえればかねをたたき、謡曲ようきょくなればつつみ、なんでもかんでもお望みしだい。 

 江戸時代の風呂屋は、式亭三馬しきていさんばの「浮世風呂うきよぶろ」(1809~刊)に描かれるように、社交の場だった。その風呂が移動式だったらどうだろうという場面。 



 女房を奪われた男の妻敵討めがたきうちというものがお芝居でいわれるが、こちらは男敵討かたきうちということ始まり、間男まおとこならぬ女房と果たし合いあり。すりこぎにてたたき合い、切った杓子しゃくしで腹を切るなり。(ことわざ「切匙せっかいで腹を切る」は、不可能なこと)
見物「原因は下半身からでござる」
女「このすりこぎでたたかれたら、たたいたあとが、ぴりりとサンショの木」(山椒さんしょうはたたけばからくなる)
女「どっこいそうは唐辛子とんがらし問屋とんやおろさない=相手の思い通りにはさせない)」 

 現実に敵討ちがそこかしこであったというよりは、芝居での敵討かたきうちをまねる。立会人が見守る中で戦い、助太刀すけだちがわきにひかえる。周りには見物人がいる。 



十一

 幕府公認の盲人の金貸しがいるけど、こちらは盲人が目あきに金を借り、言い訳に来たり、大声で言い訳することはなはだし。
盲人「『待ってやろう』と言われるまでは、金輪際こんりんざいここを動きはしませぬぞ」
貸手「これこれ静かに話しなされ。金を貸して騒がれたら、外聞がいぶんが悪いようで、いいようだ」 

 江戸時代の盲人は、幕府公認の金貸し業(座頭ざとう)を営んでいるものがいた。盲人への優遇措置ゆうぐうそちがあった。取り立ても厳しかったようだ。ここでは現実とは逆の描写。 



 ここまでが、中巻。それぞれのページが川柳の一句のように、「もしこんなだったら」を表現している。


次回につづく、 



江戸の古川柳のまとめは、こちら、

 

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