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ウグイスとメジロと小学校英語教育

 noteのタグ「#教育」を見ると、英語に関する記事が多い。英語に興味のある人が多い。本屋に行けば、英語教育の本が目白押しだ。
 目白押しとは、ウグイス色をした、目の周りが白いメジロが、木の枝にピョンピョン何羽も飛び、枝にとまると、ぴったりと並んでいることから、多数が込み合って並ぶことをいう。
 メジロという小鳥は、梅の木にやってきて花の蜜を吸う。すると近くの木にいたウグイスが、ホーホケキョと鳴く。それを見ていた人は、このウグイス色の鳥が鳴いたと思い、これがウグイスだと思う。本当のウグイスは、目立たない色をして、人目につかないように木の虫を食べている。メジロとウグイスの違いを知っている人には当然区別がつくけれど、実物を知らない人は、ウグイス色をした小鳥がウグイスだと思い、花札の絵柄を見ることになる。間違ったことが事実だと思われ何百年もやってきた。

 ウグイスとメジロの間違いでは、実害は少ないが、英語教育の間違いは、実害が多すぎる。
 何が間違いかというと、小学校から英語を学ぶと、英語が話せるようになると思っていることだ。
 小学校に英語が導入され、英語が教科になった。これで日本人は英語がペラペラになる。当然そんなことはないと思っている人もいるが、早ければ早いほど英語が誰でも身につくと思っている人も多数いるのだ。

 英語ではなく、ベトナム語など他の言語が母国語の人で、日本に住んでいる人が、「子どもが母国語を使えない」と嘆いていた。小さい頃に日本に来た子は、すぐに日本語を覚える。それは、日本語を話す友だちと四六時中一緒にいて日本語を使うからだ。日本語がよく話せない両親とは母国語で会話する。けれど、文字を読んだり書いたりすることはほとんどなくなる。使わなければ忘れる。だから使えないという。
 子どもの頃海外に住んでいた帰国子女は、日本に帰り、外国語を使わなくなれば忘れる。覚えていても、それは小さな子どもの頃に覚えた幼児語。幼児が使う英語を覚えている。そんな帰国子女が英語を使うと、大人に対して幼児語で会話していることになる。日本人の使う日本語でも、幼児と話すときは、幼児にわかる易しい日本語を使う。

 いくら小学校から英語を学んだとしても、復習を繰り返さなければ使えない。
 よほどの才能がある人以外、知らない歌を1回2回聞いただけでは覚えられない。好きな歌は、何度も何度も聞いて覚える。何度も歌うから覚える。同じことを学習においてもしているのか。テスト前に英単語を何度も書いて覚える。それと同じことを会話文でしているのか。いくら英語の授業時間を設けても、復習しなければ身につくはずがない。
 諸外国に比べ、現代の日本の学生が、どれだけの時間を学習に使っているのか。塾の時間は多いかもしれないが、そこでどんな勉強をしているのか。塾で会話の勉強はしない。今は、英会話は受験に必要ないと思うからだ。


 先生の方も大変だ。
 小学校では英語が教科化された。誰が教えるのか。ALT(Assistant Language Teacher外国語指導助手)の数回の授業でなにが覚えられるのか。ALTが1時間教室にいても、直接会話するのは数分あればよいほうだ。また、中学校では各学年に英語の先生がいて、ALTと授業の打ち合わせができるが、小学校では学年に英語を話せる先生が誰もいないことも多い。授業をするのは日本人の教師で、ALTはあくまでも授業の補助、アシスタントだ。打ち合わせもできないのに、どんな授業になるのだろう。高い給料を払ってALTを雇い、活用できなければ宝の持ち腐れになる。児童生徒一人に1台パソコンを用意しても、置いてあるだけでは役に立たない。どう使うのかが問題だ。

 先生は、英語の授業だけではない。プログラミング教育もしなければならない。アクティブ・ラーニングについての研修もする。リモート授業やらGIGAスクールの準備も必要だ。道徳だって教えなければならない。今は、コロナの消毒も必要だ。身体がいくつあっても足りない。こういう職場をブラックという。
 中央教育審議会初等中等教育分科会中間まとめで、「学校現場に対して新しい業務を次から次へと付加するという姿勢であってはならない」(「令和の日本型学校教育」の構築を目指して中間まとめP.18)と言われる。言われるけれど仕事は次々やってきて、超過勤務手当もないまま、教師は心も身体も病んでいく。


 メジロをウグイスだと思っていた人と同じことを、英語絶対必要派の人たちから押し付けられ、今日も子どもたちはランドセルを背負って学校に向かう。


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