1.7人日、七草がゆ、現代人の心にビタミン補給を
君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ (光孝天皇)
あなたにさしあげるため、春の野に出て若菜を摘む私の着物の袖に、雪が降りかかっている。
若き日の光孝天皇が、愛する人のために若菜を摘みに野に出た。
春の野原。春がやってくる立春は、2021年は2月3日(水)。
俳句では、1~3月が春。4~6月が夏。7~9月が秋。10~12月が冬。12ヶ月を4等分して季節を分けている。
しかし、これは旧暦の暦なので、今の新暦に直すと、約1ヶ月のズレがある。新暦では、2~4月が春、5~7月が夏、8~10月が秋、11~1月が冬となる。
2月に立春があるように、暦の上では2月から春になる。2月はまだ寒い。雪も降ることがある。そんな季節に寒い野に、若き日の天皇が出かけたのだ。
暦の上の夏は5~7月だが、夏休み真っ盛りは8月だ。8月は暦の上では秋だ。行事は夏だが、季節は秋になっている。そういえば8月になれば、赤トンボが飛んでいる。海に行けばクラゲが出てくる。昔は8月には海で泳いではいけないといわれた。7月中に必死で海に出かけたものだ。
そんな季節の変化を今の時代で感じることができているだろうか。
季節のない街に生まれた子どもたちは、雪が降れば冬を感じ、水着を買えば夏を感じるが、何気ない自然を見て季節を感じることが少なくなった。
野菜や果物も、季節を感じることがなくなっている。
ブドウは秋の味覚だが、種なしにするためにジベレリン処理をする。ジベレリンは植物の成長ホルモンだから普通より早く成長する。また、ビニールハウス栽培をするので、季節より早く収穫できる。さらにビニールの中でボイラーを焚いて暖かくする。もっと早く収穫するのだ。早ければ早いほど高く売れるのでそうしたのだが、今やブドウは初夏の味になってしまった。
デラウェアやマスカットはそういう本来とは違った季節感があるが、店に行けば年中何らかのブドウがある。季節なんてない。秋の味覚ではなくなった。
野菜も、年中なんでもある。白菜や大根が冬の季語だと言っても、そんな季節感はない。しかも今は、畑ではなくビルの中で栽培する。企業としてビルの中で野菜を作っている。天候に左右されないので季節はますます関係なくなる。
光孝天皇の生きた時代は、冬は寒く暗い季節だった。作物もとれず、野菜なんて何もない。保存用の漬けものだけだ。野菜を食べないからビタミン不足になる。
体調が悪いときに栄養ドリンクを飲むように、冬に弱ったあなたのために、ビタミン補給のための野菜をあげたい。でもまだ野菜は収穫できない。だから野の若菜を食べてもらおうと寒い外へ出かけた。季節とともに生きた、いにしえの人の愛の行動なのだ。
せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞななくさ
平安時代に四辻善成左大臣が詠んだといわれる。
春の七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)をいう。
新春に若菜を食べると邪気を払い病気が退散すると考えられていた。
若菜、若い葉は柔らかくて食べられる。モヤシやアスパラも若いうちは食べられるが、大きくなったら食べられたものではない。ただの茎の硬い草だ。
1月7日は、人日の節句。その日に七草がゆを食べるようになった。ビタミン補給だけでなく、家族の愛を知ることにもなる。
ベジタリアンは、菜食主義のこと。近頃はやりのビーガンは、菜食主義の徹底したもので、タマゴも食べない、牛乳も飲まない人もいる。
東洋では、菜食主義は関係なく、動物も植物も同じ命と考えていた。
だから、食事の前には「いただきます」と言う。あなたの命をいただくのだ。地球上の生き物は、他の命をもらって生きている。
それはともかく、ベジタリアンやビーガンではない一般人は、正月には食生活が乱れがちだ。七草がゆを食べなくても、野菜不足の食事に、野菜を食べてみよう。
サプリやビタミン剤には必要な成分が含まれているが、生物は、必要だと思われるものだけで生きているのではない。ビーガンには、ビタミン12が不足するともいわれる。
必要な栄養だけ与えて育てたビルの野菜と違い、畑の野菜には雑多な成分がある。そんなものは必要ないと思われていても、実は何かの役に立っていることもある。サプリを飲むのではなく、成分表以外のモノも含まれている自然の野菜を食べてみよう。それが身体と心を育ててくれる。
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