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黄表紙「無益委記」③~次から次へとウソの世界

 恋川春町こいかわはるまち(1744~1789)の作画だといわれる黄表紙きびょうし無益委記むだいき」は、聖徳太子の未来預言書「未来記」(実在不明)をもじって、現実を茶化ちゃかして描かれる大人の絵本。
 全三巻の最終回、下巻の現代語訳。 



下巻
十二

 ニューハーフで売春をする若い男の子を陰馬かげまと呼ぶが、陰馬かげまの時間切りの店ができる。年をとった陰馬かげまははげとよぶ。
陰間「これ、寄っていきなはれ」
坊主「寄ってもよけれども、まだ弘法こうぼう方々ほうぼう)行くところがある」

 弘法大師こうぼうだいしは、恐れ多いながら、ボーイズラブの男色の元祖だという話もあった。男だけの僧侶の世界や、戦場での武士の世界では、男同士の男色が多くあった。江戸時代には、遊郭ゆうかくがあったのと同じように、男色の陰馬かげま茶屋があった。そこでは若い男の子がいた。その客には僧侶が多くいた。こういう風俗が、当たり前に日常生活の会話に出てくる。



十三

 地震は空でれて、雷は地面の底で鳴る。よって、「ばらくわ」「さいまんらく」とおまじないをとなえる。
男「さて、鳴ってる鳴ってる。そこらに落雷らくらいではなく、上雷じょうらいしなければいいが」

 雷が鳴ったときのおまじないが「くわばら桑ばら」。地震のときのおまじないは「万歳楽まんざいらく」と関東方面では言っていた。関西では「世直よなお」と言っていたそうだ。その言葉を逆に言っている。
 江戸の町は関東大震災が定期的に発生しているので、地震に対する防災意識は現代よりもあったのではなかろうか。ちなみに関東大震災は200~300年周期で起きている。日本は地震大国であることは確かだ。 



十四

 道楽どうらく娘は悪原あしはらへ通い、母親の勘当かんどうを受ける。
女「あそこを行くのが女郎じょろうならぬ男郎なんろう鼻大きはなおおきかい。鼻が大きい男はあそこも大きいので、さぞ楽しみでやんす」
 やりてばばあは、もらいてじじいとなり、女郎につく禿かぶろを、ぶかろと呼ぶ。

 植物のあしは、「し」に通じるので、「し」といわた。、植物の「アシ」は「ヨシ」ともいわれ、アシもヨシもおなじもの。スルメの「る」は縁起が悪いのでアタリメ(当たり目)というがごとし。歓楽街の吉原は、アシがたくさんあった場所につくられたのでアシ原だったが、「悪原あしはら」は都合が悪いと「良原よしはら」=「吉原」となった。 



十五

 女郎、客にふられて冷たくされて困ること三百六十五日。
女郎「客にふられて帰られて、九一くいちが苦(九)が増すつらさでありんす」

 当時は、数学の本「塵劫記じんこうき」(1627刊)などもよく読まれていた。現代の我々よりも勉強していたのが江戸時代の庶民のようだ。 



十六

 親父は道楽をつくし、じじいやばばあの芸者が流行はやる。
 店の若いしゅうは、行儀ぎょうぎ正しく、台の上の料理は目録もくろくに書いて披露ひろうする。

 息子が道楽遊びをするのではなく、老人が快楽を求める。んっ、人生百年時代になって、現代も若者よりも老人の方が遊んでいるようだ。ウソの世界が現実になったのか。 



十七

 息子はけっして夜遊びなんぞはせず。仏いじりをしては朝茶を飲んでござるはよけれども、お茶や茶化ちゃかしに酔わないようにご用心と、見徳太子けんとくたいしつつしんで申す。あなかしこ。
息子「なんじゃなんじゃ。子曰しいわく、儒学じゅがくで道徳を学ぶ身でも、迷いやすきは色の道
で、おしまいおしまい。 





 それぞれの場面は、「もしこうだったなら」という異世界が描かれる。それを人々は喜んで見た。
 現実をよく見るからこそ、違った見方ができる。そういうちょっと別の視点から世の中を見て、五七五にまとめたものが「川柳」だろう。
江戸の川柳=古川柳こせんりゅうのまとめは、こちら、

 

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