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山東京伝の黄表紙「天慶和句文」②~星や天候を擬人化した大人の絵本

 お日様お月様おとしいれ、自分たちの世界にしようと、かみなり風の神が計画し、まず息子のお月様に遊郭ゆうかく通いをさせる。そのつづきの月月月の大人の絵本、黄表紙きびょうしの現代語訳。 
 「天慶和句文てんけいわくもん」(1784刊)は 山東京伝さんとうきょうでん作、北尾政演きたおまさのぶ画。



下巻

 なよ竹のかぐや姫は、しばらく下界に暮らし、仮に竹取たけとりおきなの娘となりたまいしが、今は月の都へ帰り、夕上王ゆうじょうおうという名で遊女、花魁おいらんとなり、今日が月出しにて、にぎやかなり。
禿かむろ花魁おいらんえ、来月は星祭りで狂言をやるんですとさ」(禿かむろは遊女につかえる子ども) 



 夕上王ゆうじょうおうは、お客のお月様のかお月(顔つき)から、め月(目つき)から、はな月(鼻つき)の良いところにれて、お月様も両思いにて、ちょっと顔を出す三日月様ではなく、二本の木が一つになった連理れんりの枝は天にはないので、男女一体となる比翼ひよくの鳥のようになろうと誓いあう。
 天道てんとうの家来のからすは、お月様の帰りが遅いので、大旦那おおだんな天道てんとう様がお腹立ちと、迎えに来たりしゆえ、「遅い遅い」と言うので、おおおそ鳥とも呼ぶとかや。
 すずめは、長唄ながうたうたう。
村雲「羽衣のない天人もないものだ」
女芸者「羽衣は質屋に出したというわけさ。羽が取れて竜になったようなものさ」



 地上から月はのぼるが、天ではどこへのぼるか知らねども、お月様夕上王ゆうじょうおうのぼりづめ。一晩で帰ろうと思っても、かみなりが雨を降らせ、風の神が風を吹かせければ、十日五日の十五夜の居続いつづけが度重たびかさなり、おりふし、月見の会をするつもりなれども、もはやお金が月てしまい、太鼓たいこ持ちの村雲むらくものすすめで、風の神とかみなりのへそくり金を借りたまう。
 うさぎは耳を長くして、様子を聞く。
うさぎ「はて、心得こころえぬ雲の振る舞いふるまいじゃなぁ」
村雲「『お月様はめくりカルタが好きでなあ♪』という歌の文句もありまする。あなた様も月見をなさったら、早くお金を返しなさい。月をまたいでの借金返済はごめんだよ」 



 お月様は、月末には返す約束で、かみなりの金を借りたまいしが、もはや月末になりけれども、金の工面くめんができず、雷は毎日催促さいそくするけれど金はできず、もとより雷の計画なので、お月様の家へ怒鳴どなみ、わざと大騒おおさわぎするので、これより大きく鳴り響く雷を「鳴る神なるかみ」と言い始める。
お月様「くわばらくわばら」
雷「金が返せなければしばって月出そう(突き出そう)か。それとも返すか。このうそ月(うそつき)め」 



十一

 お月様は、いよいよ工面くめんができないので、しかたなく、旧暦月末は新月で闇夜なので、雲の内へ隠れたまえば、夜もにぎやかな吉原までもが常闇とこやみとなり、親の天道てんとうは訳も知らず、星たちをやとい、かね太鼓たいこをたたき天の中をさがさせても見つからず、これより下界をさがさんと、まず人の多い両国の辺りをさがしける。天道てんとう様にやとわれているので、これを日雇ひやとという。この星たちを見て、花火屋が「星下り」という花火を作りける。
星「迷子の迷子のお月様やーい。ええい、字余りで言いにくい」
 かくしてお月様は、雲隠くもがくれしてもどこにもいられないので、北極星南極星という光り輝く二星に頼み、親の天道てんとう様に借金を払ってもらうつもりにて、使い果たした二分にぶの金を持って、頼みに行きたまう。雲に乗っては目立つので、今度は地球儀に乗って、頼みに行きたまう。これを天文駕籠かごという。今はすべて天文てんもんの世の中なり。
 うさぎも先頭を走る。
 下界では、屋根のない小型船を「天道丸てんとうまる」という。 



十二

 かくして北極星南極星のとりなしにて、天道てんとうのお腹立はらだちもようようなだめて、かみなり風の神を呼び、借金のかたに、黄金こがね日輪にちりんしろがね月輪げつりんを与えけり。
 雷と風の神は、お月様にケチをつけようとしたものの、計画がばれてしまったけれど、日輪と月輪を手に入れることができ、ひとまず望みがかない、これより心を改める。
 お月様は、しばらく日陰者ひかげものなりしが、ようよう親の七光りで日向者ひなたものとなりたまう。
 ばつとして、宝の剣で、したたかに打ちたまう。剣の形は、レンコンのごとし。
 こらしめのため、太陽の足でたまう。
南極星「雲の上の育ちの二世だから、こんなこともありそうな話さ」
うさぎは、村雲むらくもがそそのかした顛末てんまつを申し上げけれども、天道てんとうは、すべてお見通みとおし、何もかもごぞんじなれども、心の中ですませたまうゆえ、「天道てんとう人を殺さず」(神様は人間を見捨てない)とぞもうしあげける。
 「月に村雲むらくも」は、今の世まで嫌われることなり。
うさぎ「そうそう合点がってん月天がってん月天がってん」 



十三

 さて、お月様は、いよいよおとなしくなりたまい、村雲の中より引き上げられたまう日の、旧暦八月十五夜なれば(九月の中秋の名月)、これを満月といい、名月といって、下界では月見をし、詩歌俳句はもとより、狂歌師まで歌を創り、筆や紙を使うこと限りなく、ことに遊郭ゆうかくでは、月見の会をもよおし、客の出費は大変なり。
 うさぎは、若旦那わかだんなの光りたまうを無性むしょうにうれしがり、飛びはねければ、月のうさぎのもちつきならぬ尻餅しりもちをつく。「十五夜お月様見てはねる」とは、このことなり。
 下界のみな様、「月夜にかまかれる」(ことわざ、油断ゆだんすること)ことのないように、ご用心、ご用心。
おしまい 



 1782年(天明2)の大地震は、マグニチュード7程度と予想され、民家が倒壊し、富士山では山崩れがあり、大きな津波もあったと記録がある。1783年(天明3)の浅間山の大噴火では、火砕流かさいりゅうで村がなくなり死者も数百人にのぼる。火山泥流は川を通して太平洋や江戸湾まで達した。約90日間続いた噴火では、噴煙が関東一円を覆い、日光の光をさえぎったことが、天明の大飢饉の原因の一つになったといわれる。天明の大飢饉は、1782年(天明2)から1788年(天明8)にかけて発生した。江戸や大坂では1787年(天明7)に、米屋への打ちこわしが起き、東北地方では、数万人が餓死したと伝えられる。死んだ人間の肉を食べたともいわれ、大きな被害があった。
 そんな時代だったからこそ、現実を描きながらも、現実とは違う夢の世界を描いた作品がもてはやされたのかもわからない。
 



前半はこちら、

「天慶和句文」の原本紹介はこちら、


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