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7-③ 小間物屋 男に櫛を売りたがり 「誹風柳多留」七篇③

 それまでは手書きで書き写していた本を、木版印刷で印刷し大量に販売するようになったのは江戸時代だ。出版の事業も始まるし、印刷する職人も生まれる。本屋も貸本屋も生まれる。いろんな商売が生まれた。商品を売るにはどうしたらいいかを考え。うまくいった者は豪商となる。
 今もテレビの通販番組では、あの手この手でいろんな商品を売ろうとしている。

436 おんだされましたと ていしゆ(亭主)だいて来る  おしつけにけりおしつけにけり
 夕食の支度などで、じゃまだと、亭主が家から追い出される。ついでに、「子守もして」と言われ、子どもを抱いている。

493 小間物屋こまものや男にくしを うりたがり  見へわかぬ事見へわかぬ事
 小間物屋は女性向けの櫛やかんざしを売っているが、女性は品定めにうるさい。時間がかかる。男の方はプレゼント用にパッと見てパッとすぐに買ってくれる。

545 村中の嫁入へかす 無事な馬  心得て居る心得て居る
 村の結婚では、花嫁が馬に乗って嫁入りをする。おとなしくて無事な馬がいつも借りられる。
 昔は農家では牛や馬を飼っていた。普段はおとなしくても、一度暴れ出すと、なにしろ体が大きい。おそろしくて、たまったものじゃない。

607 わるものに 成りはじまりは あざを付け  あさい事かなあさい事かな
 「あざ」は入れ墨のこと。うそつきはドロボウの始まりだが、入れ墨は悪者の始まり。入れ墨からはじまって、どんどん悪の道に踏み込んでいく。日本人は、そういう意識が強い。今でもタトゥーに抵抗感がある。外国人ならいいが、日本人のボクサーのタトゥーはダメだという。
 当時の人々は道徳として「孝経」の「身体髪膚しんたいはっぷこれを父母に受く。敢てあえて毀傷きしょうせざるは孝の始め也」を知っていた。それを寺子屋で学んでいた。
 自分の体は父母からいただいたものだ。その体を傷つけないことが「孝」の始まりだ。自分の体を傷つけるのは親不孝だと思っていた。体を傷つける入れ墨は言語道断な行為なのだ。日本の入れ墨は、ヤクザか犯罪者のものだった。

622 狼は さい布さいふばかり喰ひくいのこし  せつせつな事せつせつな事
 昔は日本にも狼がいた(ニホンオオカミ)。山道で狼に襲われ、身体を食いちぎられて財布だけが残されていた、という句だが。いくらなんでもそんなことはない。狼に襲われる人はいても、きれいさっぱり食われることはない。
 死んだ人間は財布(財産)だけが残るが、生きた肉体を持つ人間は財布(金)だけ使う。という対比を、おおげさに表現している。

664 こね取りは さきをぬらして さあといふ  わらひこそすれわらひこそすれ
 餅つきでは、きねを持ってペッタンペッタンする人と、餅をひっくり返したりする「こね取り」がいる。力仕事の杵は男が、こね取りは女がすることが多い。そのこね取りは、くっつかないように餅に水をつける。餅つきの前には杵にも水をつける。男根のような形の杵の先っちょをぬらし(先っちょがぬれて)、「さあどうぞ」と言った。男根を臼の中に挿入するのだ。「さあ(入れてもいいわよ)」という声に周りの人間がどっと笑った。というお下劣な句。

671 おやといふ二字と無筆の親はいひ  しわいことかなしわいことかな
 「親という二字は(親は子のことを思って~)」と説教しても、「親」は漢字一字。文字を知らない無筆な親をバカにしている。差別的な句。親は寺子屋で仮名は習っているので「おや」はひらがな二字で書く。まちがってはいない。

677 りやうり人(料理人) すとんすとんと おしげなし  ひどひひどいことかなひどひことかな
 料理人は、すとんすとんと材料を切り捨てて、良いところだけを使っている。自宅ではできない贅沢な材料の使い方だ。


683 本堂に余つたあまったが 後家じまん也  うわ気なりけりうわ気なりけり
 亭主が亡くなった後家の自慢は、夫の葬式で寺の本堂に入りきらないほどの参列者だったということ。
 葬式は死んだ本人より、残った家族のためにする。コロナ禍で葬儀も簡略化された。行きたくても行けない葬儀もある。人の死は、残った人間が、どう自分の心に決着をつけるのか。そのための儀式でもある。これからはこじんまりとした葬儀が主流になるのだろう。


 柄井川柳が選んだ「誹風柳多留」七篇は、ここまで。


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 見出し画像は、山東京伝作画「天慶和句文」。雷の擬人化。どう見ても、そのへんのオヤジだ。登場人物は、歌舞伎役者などの似顔絵になっていることが多い。当時の人たちには「ああ、あの人」と、わかっていたのかもしれない。



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