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ピザを食べると日本の国語教育はどうなるか

 ピザpizzaではない。ピサの話。
 ピサPISA(国際生徒評価のためのプログラム=Programme for International Student Assessment)とは、経済協力開発機構(OECD)による国際的な生徒の学習到達度調査のことだ。そのテスト結果が日本は良くない。
 2018年の調査では、79ヶ国中、読解力が15位、数学リテラシーは8位、科学リテラシーは5位。
 読解力は、前回2015年調査では8位だった。
 2000年の32ヶ国参加の第1回調査では、日本は、読解力8位、数学リテラシーは1位、科学リテラシーは2位だった。落ち込みが激しい中でも、特に読解力の内容が継続して悪い。なんとかしなければと国民は思う。

 日本人の点数の悪かった読解力テスト問題を見たことがあるだろうか。国語の問題というより、会社の入社試験の問題のようだ。伝統的な文章ではなく、事務的な文章を読む力が試されている。
 当然、そういう文章にも慣れなければならないが、そればかりでは、国語というより専門教育のようだ。事務的な力、企業で役に立つ力だけを調査しているようだ。まるで機械のような、AI的な読解力が必要とされ、日本語独自の歴史を持つ文章読解力は求められていない。
 どこの国でも同じ味がするピザを食べているようだ。


 2022年度より導入される高校の新学習指導要領では、「国語表現、現代文AB、古典AB」となっていた選択科目が、「論理国語、文学国語、国語表現、古典探究」の四つになる。
 現代文が、文学国語と、論理国語という聞いたこともない内容に分かれる。そして、選択授業では、文学国語ではなく論理国語が選択されるだろう。
 なぜなら、2021年度から始まる大学入試の共通テストに小説は出ない可能性があるから。

 2017年に示された共通テストのモデル問題の国語では、生徒会の規約、自治体の広報、駐車場の契約書が問題文として出題された。ピサテストの流れだ。
 大学入試に必要なものを高校では行うし、高校入試に必要なものを中学で行う。

 心を病みそうになった時、小説を読んで救われた。そんな話は企業には必要ない。心を病んだ不良品は、別の物に取り換えればいい。きちんと働くための全世界共通のマニュアルが読めるよう、そういう文章の勉強だけすればよい。そう言われているようだ。

 中高生の読書離れがいわれ、授業の合間に「読書タイム」を設ける学校もある。読書が必要だと教育者は考え、読書の時間をわざわざ作った。読書タイムにマニュアル本を読む人はあまりいないだろう。けれど、授業ではマニュアル文の勉強をさせられる。わざわざ日本語で書き表さなくてもよい文章。文科省は、ピサの低順位を何とかしようとしている。


 なぜ国語を勉強するのか。
 日本で生み育まれた言葉を、歴史と共に学ぶのだ。
 説明的な文章も必要ではあるけれど、それだけでは足りない。いろいろな文章を読むことがAIとは違う力をつける。私生活では、自分好みの本しか読まなくても、学校で強制的に読ませる文章によって新しい日本語の使い方を学ぶ。

国破れて山河在り、城春にして草木深し(「春望」杜甫)
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 (「平家物語」)
 厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、私は帰った。
 もう真冬の候であった。そのうえ、故郷へ近づくにつれて、空模様は怪しくなり、冷たい風がヒューヒュー音をたてて、船の中まで吹き込んできた。(「故郷」魯迅、訳・竹内好)
 親譲りの無鉄砲で子供のときから損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。(「坊っちゃん」夏目漱石)


 こんな文章を、休みの日に誰が読む。好きな人しか読まない(しかも小説だけ)。けれど強制的に全員に読ませる。それぞれの心の中に共通の言語認識が生まれる。

 時々、ふと「国破れて山河在り」「祇園精舎の鐘の声」と口ずさむ。
 中国の詩を、日本語に翻訳して語り継ぐ「春望」などの漢文。琵琶法師の琵琶のメロディーにのせて歌われた平家の文章。マニュアルには載っていなくて、社会の役には立たないけれど、そんな日本語が心を癒してくれることもある。


 文学的文章の学習は、日本語を学ぶ「国語」の基本である。

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