一人者 店賃ほどは内にいず 柄井川柳「誹風柳多留」八篇①
江戸の町は、女に比べ男の数が多かった。参勤交代で、地方の男性が江戸にやって来る。一人者の男が多いので男性の欲望を満たすための風俗店も多い。幕府公認の遊里が吉原だが、それ以外の店も多い。吉原の繁栄には、そんな理由もある。吉原を舞台とした文学作品や浮世絵作品はたくさんある。
風俗以外でも、いろいろな職業があったのが江戸の町。それぞれ必要な理由があった。
柄井川柳の「誹風柳多留」八篇は、明和7年(1770)~明和8年(1771)までの川柳作品を集めている。名もなき一般庶民も、それぞれの仕事をしながら、それぞれの思いを持っており、それを表現する「文字」も寺子屋で学んだ。それぞれの思いを五七五の言葉に乗せて表現する。
それが江戸の川柳、「古川柳」だ。
4 おやは子の為に かくして溜めるなり そんの無いことそんの無いこと
親は子のために隠して貯めるなり
親子の句もある。親が子どもに内緒で貯蓄する。今も昔も変わらぬ親心。
50 僧はさし 武士は無腰のおもしろさ もつともな事もつともな事
吉原では、僧侶は医者に変装して脇差しをさす。坊主がこんなところに来ていると言われるのがきまり悪かったのだろう。当時の医者は丸坊主が多いので、坊主が医者に変装した。江戸時代は身分社会ではあるけれども、遊里では身分は関係ないと、武士の帯刀は禁じられているので腰に刀がない。吉原にいる武士は丸腰なので、坊主と逆だというのだ。
68 かし本屋 無筆な人に つき合ず もつともな事もつともな事
貸本屋 無筆な人に付き合わず
江戸時代には、貸本屋という職業もあった。文字を読める人が多いからこそできた職業だ。無筆は、文字が読めない人。町人は寺子屋で文字を習っていた。寺子屋へ行けずに文字が読めない人もいる。
まあ、これは江戸の町の話で、農村に行けば、文字の読めない人はたくさんいた。農民が文字を読めたら困るのだ。江戸時代は農民から米を年貢として集めて社会が成り立っていた。役人はインチキもしていたろうし、文字の読める農民にそれを指摘されたら困る。だから農民に文字を教えなかった。
江戸時代が差別社会であるのはまちがいない。
139 かし本屋 無筆にかすも持て居る そんの無いことそんの無いこと
貸本屋 無筆に貸すも持っている
貸本屋は、文字の読めない無筆の人に貸す本も持っている。損をしないように、文字がなく、絵だけでわかる春本(しゅんぽん=エッチな本)もあった。
90 ちやんころが無いと みゝずを掘て居る もつともな事もつともな事
ちゃんころは、銭、お金のこと。お金がないので、ミミズをさがしている。つまり、自給自足でミミズで魚釣りをしようとするのだ。
174 壱人もの 店ちんほどは内に居ず うかれこそすれうかれこそすれ
一人者店賃ほどは内にいず
一人者は家賃(店賃)分ほど家にいることがなく、外出ばかりしている。
211 銀ぎせる おとした噺三度きゝ (前句不明)
銀ギセル落とした話 三度聞き
高価な銀ギセルを落とした話を何度もしている。
前句が不明な句。
前句は五七五七七の七七。
七七に「うかれこそすれうかれこそすれ」という題材を出し(174の句)、うかれるものを五七五で答える(174のうかれる者は、「一人者」)。
もともとは五七五七七の短歌から、五七五だけを使った誹諧ができ、誹諧が俳句や川柳となった。
236 うつかりと のぞかれもせぬ ごふく店 (前句不明)
うっかりと覗かれもせぬ呉服店
うっかり呉服屋をのぞくと、店員がよってくる。江戸時代には服屋があった。
296 川どめに手にはを直す旅日記 にぎやかな事にぎやかな事
川止めに「てには」を直す旅日記
川の増水で川が渡れない川止めとなった。時間つぶしに旅日記を直している。「手には」は「てにをは」のこと。「てにをは」は助詞「て」「に」「を」「は」から転じて、文章のこと。文章を直している。江戸時代にも、noteを書いている人のように文章を書いている人がたくさんいた。
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