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「金々先生栄花夢」②大人の絵本、江戸の黄表紙はここからはじまった

 恋川春町こいかわはるまち(1744~1789)作画「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775刊)下巻の紹介。現代語に意訳し、挿絵も各部分を模写している。
 大人の絵本なので、当時の吉原の遊女との「あそび」を描いている。 



 金々先生、傾城けいせい「かけの」に首ったけ、今年も早、年も過ぎ、おりふし節分となりぬれば、かの源四郎げんしろうのすすめにて、豆まきは古くさいと、金銀をますに入れ、節分を祝いける。
金々先生「福は内、鬼は外」
五市「これはありがた山のトンビにカラス。この金を元手に出かけよう」
万八「これはたまらん。ありがたやありがたや」 


 金々先生、北国ほっこく(吉原)の遊びもしつくし、これより辰巳たつみの里(深川)と出かけ、あらゆることをつくしける。されどもにわかの洒落者しゃれものなれば、さしたる受けもなく、ただ山吹やまぶき色の小判をまき散らすゆえ、皆、金々先生ともてはやす。
金々先生「ああ、雪が降った降った。こんな日に遊里へ行くのはいきだろう」
万八「この大雪に、駕籠かごにも乗らずみのだけで行くとは色男、イエイイエイ」 


 先生、辰巳たつみの里の「おまづ」という女郎にはまり、毎日足を運び、金銀を多く使ったけれども、おまづはもとより仕事なので、表向きは金々先生に深くほれてる景色に見せかけ、内緒で源四郎げんしろうとできており、金々先生の目を忍んで楽しみける。
 店の女は唐言からごとで合図をして、金々先生を茶にしている。唐言からごとは「カ行」の音をはさんで客にわからないように話すことなり。
女「げコんカしコろうさコんケが、きコなカさカいコと、よしかえ」
おまづ「いキまカにいケくコかクら、まコちケなコといキつキてくコんケな。よく言ってくんねえ」 


 金々先生、今まではおまづがれていると思って、はまっていたが、今夜の様子はさすがに合点がてんがゆかず、いざこざを起こし、おまづとは別れてしまう。
金々先生「どうしようがこうしようが俺の勝手だ。もう帰る帰る」
女「おまづさん、おまえはあっちへ行っておきな。ほんにいきのわからねえお客だ」 


 金々先生、あちこちでだまされ、今はもう金もなくなり、日頃近づいてきた者も、知らぬふりをして近づかず、残念至極ざんねんしごくと思えども、どうしようもなく、今は安い駕籠かごにも乗れず、心細くもただ一人で、夜な夜なちょっと格下の品川の遊郭ゆうかくへ通いける。
金々先生「昨日までは金々先生ともてはやされしが、今はこんな姿。変われば変わる世の中じゃな~♪ ああ、いまいましい」 


十一

 金々先生、日々にぜいたくをつくし、今は身代しんだいも傾きければ、父文ずいぶんずい、おおいに腹を立て、手代の源四郎げんしろうのすすめにまかせ、金々先生の衣服をはぎとり、昔の姿で追い出しける。
 手代の源四郎は、はじめは金々先生をそそのかし、金銀を使わせ、余った金は皆ちょろまかしける。よって、物を盗むことを「源四郎げんしろう」と申すようになったとさ。 


十二

 金々先生、追い出され、今は行くべき場所もなく、いかがはせんと、途方とほうにくれてなげいていると、粟餅あわもちきねの音に驚き、起き上がってみれば、一炊の夢いっすいのゆめにして、注文の粟餅あわもちはまだできあがらず。金兵衛は手を打ち、「我、夢にぶんずいの養子となり、栄華をきわめしもすでに三十年、さすれば人間の一生の楽しみも、わずかに粟餅あわもちうすができるまでのごとし」と初めてさとり、これよりすぐに田舎に引き込みけり。
店の女「もしもし、もちができました」


  

 恋川春町こいかわはるまちは、本名倉橋格くらはしいたる。駿河小島おじま藩という小さな藩の江戸留守居役で、江戸の町外れ春日町に住んでいたので「春町」という。
 作家であり画家でもあった春町は、作家として町人とのつきあいも多かった。
 こうして武士と町人とで黄表紙などの江戸文芸が発展していった。
 


上巻は、こちら


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