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そこまで言って教育委員会、雑談

 「学校支援スタッフ、大幅増へ 教員負担減、授業に注力」を文科省が目指し、予算をつけるというニュースがあった。事務をする職員、授業の補助をする職員を雇うそうだ。教員の働き方改革のためだそうだが、対応でよけい教員の時間をとられそうな取り組みだ。
 ニュースそのものよりも、コメント欄がおもしろい。いわゆるヤフコメというやつだが、この記事に関しては、自称教職の人の意見が多かった。AIが私好みのコメントから並べているようだが、「こんなことに使う金があるなら、正規教員を増やしてほしい」という意見が並んでいた。教員定数を変えることが先ではないか。そして予算をつける。
 教員の給料も増やせ。そうすれば優秀な人材が集まる。
 文科省は、ピントはずれの対策ばかりやっている。いや、教育ですら人材派遣会社から派遣する布石なのだろうか。


 そんなことを思っていると、「そこまで言って委員会」で教育問題をやっていた。「新学期を控える夏休みの今こそ、日本の教育の実態を考える」と題して、今回は、竹田恒泰・山口真由・田嶋陽子・眞鍋かをり・小島よしお・坪田信貴・溝口紀子・竹中平蔵がパネリストになっていた。
 東京では放送していないようなので、その内容を羅列してみる。

 教員免許更新制は廃止されるが、相変わらず残業手当は出ない。前述の予算があるのなら、少しでも手当を増やしたらどうだ。過労死ラインを越えているのも当たり前。仕事がある。休憩時間なんてあるわけがない。昼食時間は子どもと一緒に食べる。食事中に問題が起きたら、その後何時間も指導に手をとられる。昼休みは巡回しなければ問題が起きる。学校の裏でいじめでもあれば、その後どんな展開が待っているか。そんなことが起きないように、昼食時も昼休みも、教師は子どものそばにいる。そんなことしなくてもいいよと、子どものそばにいない教師も現実にはいる。そして問題が起きたら、子どものそばに常にいる先生が対処する。子どものことを見ていない人に指導をまかせたら、もっとひどいことになる可能性が高い。そんな教師がいるのも現実。


 さて、「委員会」だが、最初に「ペーパーティーチャーの採用」について意見を聞いた。
 教員免許は持っているけど、教職に就いていない人を採用する。免許を持っていない人に特別免許を与えて教壇に立たせる。そういう動きになってきている。
 この番組は、それぞれの事例に賛成か反対かの意見を戦わせるものだ。
 教員免許自体が必要ないという人と、免許は必要だという人にわかれた。優秀な教員にリモート授業をさせて、教員はそれをもとに授業をすすめればいいという意見もある。大学教員でもある溝口紀子は、柔道の「黒帯」も試験を受けて得るものだと言っていた。
 教員であれば、免許の大切さがわかるだろう。免許を持っているプライドもあるだろう。苦労して免許を得て、高い金を払って更新して、そのあげくに、こんなものいらないと言われれば、なんじゃそれと思ってしまう。
 苦労もせずに免許をもらった人もいれば、必死で免許を得た人もいる。教育はAIが行うものではない。教育は「人」だと思う。
 先生の授業内容なんて覚えていないけれど、先生のちょっとした「ことば」は覚えているという意見もあった。教育は、知識を与えるだけでなく、教育は「人」が「人を育てる」ものだ。
 教師はサービス産業になってしまい、子どもはお客様になってしまった。そんな教師にあこがれる人はいなくなったという意見に対して、ブラック企業であるにもかかわらず、それでも教師になろうとする人もいる。そんな意見の違いもあった。


 二つ目の意見は、部活動の外部委託
 公立中学校の部活動を地域に委託しようという動きが活発だ。まずは土日の活動から地域に移行しようとしている。こんな話が起こる前から、部活動の「外部指導員」というものはあった。うまくいっている事例もあるが、外部の人がむちゃくちゃする例も多い。勝利至上主義に走ったり、パワハラをしたり。セクハラもあるかもしれない。教員は、外部の指導員になかなか指導できない。学校のルールを無視する人もいる。その尻拭いにどれだけ時間がかかるか。
 外部指導員にはギャラが発生するので、お金のある家庭と、ない家庭とで二極化が起こるという意見もあった。
 ギャラが継続できるかという問題もあるが、そもそも、これまで教員には手当も出さずに部活動の指導をさせていた。今は雀の涙の土・日の手当がついているけど、ほとんど無給で、無休で自分の家庭を犠牲にして部活動をみているのが教員だ。
 なにせ国は教育に金を使わない。OECD(経済協力開発機構)の調査では、日本の教育予算は加盟国の中で最下位に近い。


 三つ目は、ギフテッド教育
 特定分野に突出した子どもをギフテッド、神から才能を与えられた子というそうだ。そういう天才を育てる教育というよりは、才能があっても普通の学校生活が送りづらい子を個別に教育しようという教育。そういう子を育てることがグローバル人材の育成にもなる。
 これまでの日本の教育は「つなひき」の選手を育てていた。そんな平均的な選手はオリンピックで個人成績をあげられない。


 四つ目は、あだ名禁止について。
 小学校で、あだ名を禁止して、男女ともに「さん」づけで呼ぶようになってきた。あだ名を使うことによっていじめが起こる。いじめ対策としてあだ名禁止となった。ただし、文科省は「さん」づけの指示などは出していないそうだ。各学校で「さん」づけが広がったのだろう。いわゆる「忖度そんたく」もあっただろう。
 教育学部を出て教育系YouTubeもやっている小島よしおが、禁止するのではなく、あだ名で問題が起きたら話し合えばよいと言っていた。自身が小学生の頃、女の子を泣かせたことがあり、そのことで学級会を担任が開き、それによって反省し、自身の学びとなったそうだ。女子柔道家で教育者でもある溝口紀子も、自身の経験からなのか、人は反省することによって育つと言っていた。
 いじめにフタをするのではなく、それによって考えることが大切だとの意見に集約される。子どものいじめだけではなく、大人の社会はいじめばっかりだ。あだ名は、いじめを考えるよい機会だとのまとめ。


 最後は、重たいランドセル
 小学生が「さんぽセル」という、車付きのランドセル運びを考案し、商品化したというニュースについて、どう思うかを聞いた。

 「さんぽセル」に対する意見で、「小学生の気持ちになって考えろ」という意見に、「ぼくたちは小学生です」と反論し、「小学生はランドセルを背負うのが当然だ」という意見には、「大人の人は灯油缶を背負って通えますか。車で運ぶのではないのですか」と応える。何人かの小学生で考えた「さんぽセル」だが、それを販売したことといい、将来が楽しみな新時代の子どもたちだ。未来も捨てたもんじゃない。
 それにしたってランドセルは重い。ICT化でタブレットを持ち運ぶ。感染症対策で個別の水筒も持たねばならないのでそれもある。教科書の重いのはもとより、副教材も山のようにある。ランドセルを持ったことのない人こそ机上の空論をもてあそぶ。
 本気で教育について考えなければ日本は終わる。


 多様な意見があり、番組で何か結論が出るわけではないが、こういう問題があることは知っておいてほしい。


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