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女郎蜘蛛について考える

 先日、女郎蜘蛛の巣の写真を載せた。


 大きな蜘蛛の巣を作る女郎蜘蛛は、クモ目ジョロウグモ科ジョロウグモ属のクモ。メスの体長は17~30㎜で、オスは小さく6~13㎜。
 カマキリのように、交尾時にオスはメスに食べられることもあるそうだ。うまく交尾をしたオスは、他のオスが来ないように、大きなメスが作った蜘蛛の巣に一緒にいることもある。一つの蜘蛛の巣に、大きなメスと小さなオスが一緒にいることもある。

オスとメス


 同じような姿をしたコガネグモという黄色と黒の横縞模様のクモもいる。こちらはコガネグモ科だが、これも「女郎蜘蛛」と呼ぶ地域が多い。四万十市で行われる女郎ぐも相撲大会ではコガネグモを使用している。コガネグモのことを「女郎蜘蛛」と呼んでいるのだから、これはこれで正しい呼び名である。

 「女郎」は、売春婦の古称で、江戸時代の遊女の別称でもある。売春婦自体が現代日本ではあってはいけない職業なので、「女郎」という言葉は差別語とされるだろう。
 差別語は言い換えなければならないので、「金銭で体を売る店に勤める女性」とでもいうのだろうか。
 いくら「女郎」という言葉をなくしても、歴史的な事実は残る。歴史的事実を語るときには「女郎」という言葉が一番ぴったりするし、女郎蜘蛛という言葉を置き換えて「金銭で体を売る店に勤める女性のようなクモ」と言ったら意味がわからない。

 言葉というものは意味を持っている。
 「いただきます」という言葉の、意味を考えながら言っている子どもはいないだろうが、「全ての生きものに感謝しながら命をいただく」という意味がある。言葉を発することにより、そんな思想を自分のものとしながら日本人は生きてきた。


 言葉を発することによって伝わる思いもある。
 同じ状態でも言葉を変えることによって全然違ったものになる。

 「消極的」な人のことを「冷静沈着」と表現することによって、相手への見方も変わる。発する言葉によって違ってくる。言葉を言い換えることをリフレ―ミングという。


 言葉には力があると昔の日本人は思っていた。言葉には魂があると思っていたので、「言霊ことだま」という言葉も生まれた。相手に「死ね」と言ったら、本当に相手に呪いがかかる。「人を呪わば穴二つ」で、呪いをかけるということは、自分自身の命もなくなり、相手と自分の二つの墓穴が作られるという。
 言葉には力がある。


  言葉を使って思いをやりとりし、言葉によって相手にも影響を与える人間。
 そんな人間とは関係なく、言葉なんて関係なく、冬を前に産卵をしようと、女郎蜘蛛は今日も生きるために獲物をねらっている。
 


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