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百人一首むすめふさほせ 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ

山から吹く風
冷たい風は
秋の草木をしおれさす


 百人一首の一字札、「むすめふさほせ」の「ふ」


22 吹くからに秋の草木くさきのしをるればむべ山風やまかぜを嵐といふらむいうらん  文屋康秀ふんやのやすひで


 山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれるので、山風のことを「嵐(荒らし)」というのだ。


 「吹くからに」は、「吹くとすぐに」という意味。「からに」は、「~するとすぐに」。
 「しをるれば」の「しをる」は草木が色あせてしおれる意味。それに原因・理由を表す「ば」がついている。「しおれるので」。
 「むべ」は、「なるほど」という意味。「なるほど、だから山風を嵐というのか」と納得している。
 「山風」は、山から吹く強い風で、晩秋に吹く。
 「嵐といふらむ」の「らむ」で、「嵐というのだろう」という意味になる。「嵐」は「荒らし」との掛詞かけことばで、秋の草木を荒らして枯れさせるので「あらし」というのだろうなあ、という意味。
 漢字の「山」と「風」を組み合わせれば「嵐」。漢字の言葉遊びにもなっている。
 「四六時中しろくじちゅう」は、「四×六=二十四」、つまり24時間、一日中、ずっと、という意味になる。
 日本語は、昔から言葉遊びが使われてきた。言葉遊びがダジャレで終わらずに、文学やことわざとして昇華されてきた。言葉というものを大切にしていたのだ。


 古今集「仮名序かなじょ紀貫之きのつらゆき)にはこうある。


 やまと歌は、人の心をたねとして、よろづのこととぞなれりける。世の中にある人、事業ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴くうぐいす、水にすむかわづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をまざりける。力をも入れずして天地あめつちを動かし、目に見えぬ鬼神おにがみをもあはれあわれと思はせ、男女おとこおんなの仲をもやわらげ、たけ武士もののふの心をもなぐさむるは、歌なり。(以下、略)

(訳)和歌は、人の心をもとにして、いろいろな言葉になったものである。世の中に生きている人は、関わり合ういろいろなことがたくさんあるので、心に思うことを、見るもの聞くものに託して、言葉に表わしているのである。梅の花で鳴くウグイス、水にすむカエルの声を聞くと、この世に生を受けているもの全て、どれが歌を詠まないことがあろうか。みな歌を詠むのである。力を入れないで天地てんちの神々を感動させ、目に見えない鬼神きしんをもしみじみとした思いにさせ、男女の仲を親しくさせ、勇猛ゆうもうな武士の心をやわらげるのは、歌なのである。


 歌には霊的な力がある。その歌を構成するものは言葉。言葉は人の間で使い、遊ばれ、神にも捧げられた。神には、祝詞のりとという言葉が捧げられた。
 言葉遊びを、ただのダジャレというなかれ。「山」と「風」という言葉が文字となり、二つがあわさると「嵐」となる。「あらし」は「荒らし」でもあるのだ。そこに昔の日本人は霊的なものを感じたのだろう。


 作者、文屋康秀ふんやのやすひでは平安時代の歌人、六歌仙の一人。
 六歌仙 ろっかせん は、平安時代の「古今和歌集」の代表的な歌人。 僧正遍昭そうじょうへんじょう在原業平ありわらのなりひら文屋康秀ふんやのやすひで喜撰法師きせんほうし小野小町おののこまち大友黒主おおとものくろぬしの六人。

 鎌倉時代を最後に、すたれていく和歌は、平安時代におおいに栄えた。百人一首には、平安時代の歌もたくさん入っている。



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