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まだまだ「誹風柳多留」三篇③ 町の角のんびり一人江戸の夜

 江戸の庶民の日常生活を伝える古川柳。

286 わんとはし持って来やれと壁をぶち  ひびきこそすれひびきこそすれ
 長屋の隣の壁をドンドンたたいて、「おーい、今日は鍋をするから、茶わんと箸を持ってこい」と声をかける。隣近所のつきあいが密な時代。ただし、貧乏長屋の住人はみんな貧しく、余分な腕と箸はない。それだけを持ってこさせた。

284 朝湯には一人か二人 通りもの  しあわせな事しあわせな事
 通り者は、ばくち打ちのこと。徹夜でばくちを打ち、そのまま風呂屋へやってきた。内湯のない家が多い江戸時代の湯屋には、いろんな人がやってくる。湯屋の情景を描いた、式亭三馬の「浮世風呂」という本もある。

299 文枕ふみまくらたわけな夢を見るつもり  まことなりけりまことなりけり
 文枕は恋文を枕にあてて寝ること。すると夢の中で好きな人に逢えるといわれた。たわけは名古屋ではよく使う。「ばか」とか「あほ」の代わりに「たわけ」を使う。神戸では「ぼけ」と言う。

498 からかさを半分かしてまわりみち  ふとひことかなふとひことかな
 傘を半分貸すというのは、相合い傘になること。「ちょいと入っていきませんか」と声をかけ、女の人と一緒に歩くために回り道をした。だから「ふといこと」なのだ。

331 母おやも ともにやつれる物思ひ  まことなりけりまことなりけり
 若い娘が物思いに沈み、食事も喉を通らない。そんな姿を見て母親も心配でやつれていく。親にとっては子が大事。昔も今も同じ親の思い。

305 夜夜中よるよなか二三度くるふ あら世帯ぜたい  ふとゐ事かなふとゐ事かな
 新世帯あらぜたいは、恋愛の末の二人だけの世帯。昔の結婚は、「嫁」という字があるように、「家」に嫁いでいた。嫁と姑の諍いが川柳の題材にもよく使われている。そんな結婚ではなく、家には二人しかいない。気を遣う必要もない。舅や姑がいないので、いくら声を出してもいい。二人だけで夜中に狂うような時間を繰り返す。周りに誰もいない自由な時間。そんな狂うような恋の時代がなつかしい。

489 そいとげて のぞけば こわい 清水寺せいすいじ  あぶなかりけりあぶなかりけり
 清水寺は京都の「きよみずでら」。清水寺には崖に飛び出た舞台がある。いわゆる清水の舞台。清水の舞台から飛び降り怪我をしなかったら願いが叶うといわれ、自殺の名所となった。「清水の舞台から飛び降りる」は、その舞台から飛び降りるほど、必死の覚悟で実行するという意味に使う。清水の舞台から飛び降りる思いで若い二人は結婚したが、実際に清水の舞台から下をのぞけば、ぞーっとする高さだ。ああ、そんな恐ろしいことを自分たちはやってきたんだと、後になって思うこと。

311 女房へ乳だ乳だと追っつける  たづねこそすれたづねこそすれ
 子どもが泣き止まないので困った亭主が、「おーい、おっぱい、おっぱい」と女房をたずねていく。今も昔もかわらぬ若夫婦の日常。


 日常生活の1コマ1コマは、現代と変わらない。封建制度の身分社会で、喫煙も売春も当たり前の時代ではあり、現代と違うこともいっぱいある。それでも、その中に生きる人々は、今と同じような思いを抱いている。
 万葉集の時代の和歌に詠まれた思いも、竹取物語におけるかぐや姫に求婚する男たちの思いも、今と変わらぬものがある。だからこそ今でも古典作品は読まれている。百人一首の歌も、そこにこめられた人々の思いが現代人の胸を打つので読み継がれ、かるたとして遊ばれている。
 古川柳だけでなく、むかし習った古典作品を、もう一度読み返すのもいいんじゃないかな。時代を超えて伝わったものには、やはりそれだけの値打ちがあるのだろう。

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