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今も昔の江戸の古川柳「誹風柳多留」二篇①

 江戸庶民の日常は、現代に生きる我々とそんなに違いがない。生活様式は違っても、思いは同じものが多い。
 柄井川柳が選んだ、名もなき江戸の庶民の川柳。初篇に続き二篇から、現代にも通ずる作品をみてみる。


14 母の名は親仁おやじのうでに しなびて  命なりけり命なりけり
 若い頃に、いきがって好きな女の名前を「○○命」と入れ墨した。その惚れた女がうまく女房になったが、年とともにお互い年老いていく。皮膚もたるんでふにゃふにゃになった腕に女の名前がある。しかも、今の女房だ。そういう男と女の関係を、息子が見ているのだろうか。


63 あいさつに女はむだな笑ひあり  近づきにけり近づきにけり
 女だから、男だからと言ってはだめな現代なれど、女はこうだと類型化してしまう江戸の人たちだった。


161 まよい子の親はしやがれて礼を言ひ  祝いこそすれ祝いこそすれ
 迷子を声をからして探し回った親は、しゃがれ声になっている。

165 ほうばい(朋輩)が ていしゆ(亭主)見るとて寄りたがり  はづかしいことはづかしいこと
 奉公に出ていて、そこを寿退社すると、そのときの朋輩(仲間)が家に寄りたがる。どんな男と一緒になったんだろうという好奇心。今も昔も変わらない。


32 わがもので たばこは人に しいられる  たしかなりけりたしかなりけり
 「一服してください」とすすめられるが、一服する煙草は自分のもの。なんで自分のものを他人からすすめられるんだ、という句。
 「一服する」はお茶を飲んで休憩することだが、本来は本当に煙草を吸うことだった。かつては他人から、「どうぞどうぞ」とすすめられた煙草が、今は諸悪の根源のようにされている。


85 改元の日は片言かたことたなへふれ  気さんじなこと気さんじなこと
 幼時の片言のように正しくない言葉が片言。改元は元号が変わること。このときの新しい元号は宝暦(ほうれき)。これは漢音の読み方で、呉音では「ほうりゃく」と読む。「ほうりゃく」をなまって「ほうらく」という人もいた。新しい元号はこれだよと、うそを触れ回る人もいたことだろう。現在は、令和もやっと慣れてきた。

173 本ぶく(本復)の びくに(比丘尼)はつてみたくなり  よいかげんなりよいかげんなり
 比丘尼びくには女のお坊さん、尼さん。本復(ほんぷく、ほんぶく)は病気が治ること。尼さんが長いこと病の床に伏せっていたので髪の毛が伸びてきた。もうこのまま髪を剃るのはやめて、結ってみたいものだ。男も髪がなくなるのはつらいけど、女の人も髪の毛にはいろんな思いがあるのだろう。


193 草のあん 朝寝おこせば さるぐつわ  口おしひこと口おしひこと
 草の庵は草でできたような粗末な庵だが、ちょっと変わった人が住んでいることが多い。その家で、誰も出てこないのでのぞくと、泥棒に入られ、さるぐつわをされていた。悲惨な殺人にならなかっただけ、よしとしようか。

200 役人の ほねつぽいのは猪牙ちょきに乗せ  やわらかなことやわらかなこと
 賄賂わいろをとらない骨っぽい役人には、猪牙舟ちょきぶねに乗せる。猪牙舟は吉原へ行くときに利用する。遊里、吉原へ連れて行って女を抱かせようとする。金と女で役人を籠絡する商売人たち。士農工商の一番下に位置する商人が力を持っていた。

320 突出しつきだしの ひつじほど喰う恥ずかしさ  よごれこそすれよごれこそすれ
 突き出しは、初めて店に出た女郎。客とのエッチに慣れていないので、ティッシュを何枚も使う。ティッシュというのは現代の話。当時は「みす紙」を使っていた。「みす紙」はちょっと高級な紙で、これを膣の中に入れ避妊具としていたらしい。ということを当時の人は思っていた。まだ初めてだから、紙を食べる羊のように紙をたくさん使ってるやん、という句。


古川柳作品は、「誹風柳多留二篇」より。その通し番号を記載。
見出し画像は、葛飾北斎「北斎漫画」の模写。


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