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「街の上で」を観て私の心に残るもの。モヤモヤと素晴らしさと。

はじめに

去年から待ち望んでいた「街の上で」を観に行ってきました。ようやく我が県にもやってきたのです。


予告編を、いや、その報せを知ったときから気になっていた。最近ずっと大好きな今泉力哉監督作品、「愛がなんだ」の仲原青役で私の心をつかんで離さない若葉竜也さん主演、そして「少女邂逅」以来気になってしょうがない穂志もえかさんも出る、そして舞台は下北沢。

下北沢、演劇を好きになってなんだか勝手に憧れの地にしていたこと。ドラマ「下北サンデーズ」を楽しみに見てたこと。「劇場すごろく」をそのドラマで知ったり(今は劇場すごろく的なものはない!って先日配信で見たコンプソンズの舞台で言ってたような)。
私が下北沢に行ったのは唯一1回で、憧れの本多劇場に月刊「根本宗子」の公演を観に行ったときだけで。しかも高速バス(フロントガラスにヒビの入った笑)の大幅な遅れで、1時間遅れで劇場に到着して途中からしか見れなかった。それでも面白かったから、まぁよしとして。時間通りに着いてたら、小沢健二さんの「アルペジオ」にも出てくる珉亭に行こうとか思っていたのだけど、結局行けず。舞台後はその後予約していた「大人計画大博覧会」に行くためすぐ下北沢を出たので、かなり短い下北沢滞在時間だったなぁとか。

そんなことをまず思い出している。その土地に潜むものとか思い浮かべながら。
「俺の魂はいまだに高円寺をさまよっている。」なんてムラジュンが「ここは退屈迎えに来て」で言ってたこととか思い出す。
なんだ、感想書く前にぐだくだ書きすぎだ!
ようやく感想を書く!!毎度の如くネタバレで!!

街の上で(ネタバレあり)

「エンドロールに名前がなかった。」マヒトゥ・ザ・ピーポーが歌っている。なんだかそんな言葉が心を突いた。そしてふっと「ガメラ2」に出てたのにエンドロールに名前がなかった大泉さんを思い出す。でも、まさか青がエンドロールどころか、本編にも出てないだなんてこのときは思ってなかった。

全部カットになったけど、青はあの映画に参加していたということ。
「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」
相変わらず後になってからポスターに書かれたその言葉に気づく私。
其処にあったんだよなぁ、でも見る人は知らないってことは、どうゆうことなんだろうか。このモヤモヤはなんだろう。結果より過程が大事的なクソみたいな言葉とは違うんだ。もっと人間の根源的な何か。

ってかそうなの。この映画を観てじんじんと感じられたのは、「マジか、人間って素晴らしいんじゃないか!」ってこと。
今の状況に絶望と怒りしか抱いていないし、最近の口癖が「クソがっ!」by中堂系(アンナチュラルより)な私です。
そんな最悪の空気の中ひん曲がったように湧いて出る日本らしさとか日本の美しさとか蔓延する反吐が出そうなもの。そんなものたちが消え去ったあとに残るものがある。「あれ?人間って素晴らしいものじゃないのか。」ってなる何か。讃歌的な何か。
筆舌にしがたいけれど、そんな気にさせるものがこの映画からは滲み出している。

何も起きない、取り留めない、なのにどうしてこんなに面白いんだろう。私たちの日常にだってこんな可笑しみがきっと潜んでいるはずなんだって思うの。
「アメリカの友達」ってタイトルを間違えて覚えていること。友達の方は気づいてるのに言えないのか、本当に知らないのか。
漫画の舞台は「だいたい下北沢」なのに聞いたところは新宿ってこと。今日出会った二人がロケ地巡りすること。
風俗のお姉さんに珉亭で出会うこと。微笑んでくれること。
小説家が小説を完成させてるパターンからの現在役者。
恋の一方通行的なカップル、途中男の子1人で現れたけど、結局2人で歩いてた。振られて2人は付き合ったのか、それとも。

「そっちのパターンね。」(うろ覚え)って言いたかったな、なんてことを何故だか思った。「意味のない知識なんてない」(はたまたうろ覚え)的なことも。
青とイハの二人の会話が微笑ましくて。そして思うの。きっと誰もが城定イハに夢中になる。ってか第一声(多分)から持ってかれていた。その関西弁の発声に。
そして、うっかりと思い出す。学生時代、語学研修中の夜、同室の女の子と恋の話をしてた時間。その子が好きな子を知っていたし、彼女も私の好きな子も知っていて。好きな子の話をしているときってあたしでもキラキラしてたのかな。
ちょっと待て。青にキラキラ感は…。でも青のあんなに赤裸々に語っちゃう感じはわかる気がする。

「朝ドラ俳優」の件。ここだけは唯一の今年公開の利点じゃないかしら?おかしいもの。ベテランエキストラさんに「朝ドラ出てた」とかなんとか言われる若葉竜也。だって本当に出てるもの!そしてこの言葉でああ来るんだ!成田凌!ってなる感じ(最初のシーンでこの辺で出てきそうってのはわかる気はするけど。)。

青と雪。お巡りさんへの対応の違い。あんなお巡りさんいたら楽しいとか思うけど、実際に会ったら逃げ出したくなるやつだ。
雪が間宮より青を選ぶこと。なのに「追いかけなきゃ!」(だっけ?)って雪を促す青。もう青が溢れてる。
「ばか、好き。」の破壊力。そして目線で触れられるだけのメンソールのタバコ。うまくいくばかりがラストじゃないの。その後、あれからどんだけたってんの?ケーキを食べるシーンの微笑ましさが際立ちながら、いつか一悶着あるぞ、、、とそわそわ不安になる感じ。

最後、イハがつく嘘に何か意味はあるのか。言葉を濁す町子と違って田辺さんにあんなにもはっきりとその理由を伝えていたのに。
でもそれはやっぱり青が其処にいたってことなんだろうか。
なんだかなんにもなくて、消え去ってしまいそうな私たちこそが居るってことを。
「そして過ぎてゆく日々を 踏みしめて僕らは行く」(いちょう並木のセレナーデ:小沢健二)
そんな感じがした。
私のモヤモヤは消えないけれど、この言葉にできない何かがあるってことが、なんだか嬉しい。そんなことでこんな私でも誰かを愛おしく思えるの。青を、雪を、イハを、かわなべさんを、みんなを。ってか、この映画に出てくる人たちをだいたいふっと思い出せるってすごいことで。全員がほんと愛おしくて。

噛み合わない会話、言えなくてもタイミングとか、流れで言えないこと、なんだか言えなかったこと、思わず言ってしまったこと。それからの後悔。私たちにとっては深刻なこともある、だけど可笑しくて仕方がないのは。でも、ほんとこんな風に生きている人たちがこの街の上にいるって思うだけで、私だって生きていけるような気がするの。

パンフレットの今泉監督の説明に「うまくいかない恋愛模様やめんどくさい人間関係の映画を撮り続けている。」って書いてあって思わず笑ってしまった。


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