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小沢健二「泣いちゃう」という優しい光


小沢健二がこんなに切実に生々しく今の状況を歌うなんて思ってなかった。
「泣いちゃう」マイクロ魔法的配信のお知らせのときに載せていた歌詞。

「後世の人は笑うだろうか あんとき しばしやばかったね とか」

ああ、これは今を、コロナ禍を歌ってくるぞ。なんて思った。期待しながら、怖くもあった。でもこんなに弱さを吐き出してしまう歌になるなんて。



「気持ちをおさえていても 本当はこれ、むりです と」
昨日の配信、最初に胸をぐっとしめつけたのはこの言葉で。
そう、ずっと私自身が思っていることだったもの。私、この生活にそろそろ限界が近づいてきているって。

今年のお正月開けてすぐこんなことを記した。


2021年がやってきて。

新年を迎えてようやくゆっくりできた今日なのに、朝からアメリカの暴徒が議会突入のニュースにとてもなく絶望的に落ち込む。そしてそれにまつわるフェイクニュースにより落ち込む。Twitterなんて眺めるもんじゃないのかもしれない。そして日本では緊急事態宣言が。私たちはもう無理だ。なんて思う。自粛を要請するという矛盾を楯に私たちの自己責任になるんでしょう?どんな生き方をしたって。外食したから、遊びに行ったから、その罰的にコロナにかかった的な空気が大嫌い。

「2021へ!」年末、小沢健二は歌詞を一部変えてもう希望を人間を信じる最強の「強い気持ち・強い愛」を歌った。そして最後に叫んだ。「来年こそは〜!」
こんな絶望的な時代に力強く。
小沢さんは信じてる。「真実はだんだんと勝利する」と。
一方、星野源は紅白で「僕らずっと独りだと諦め進もう」と歌った。そう彼がずっと言ってきたこと。「ぼくらは一つになれない このままどこかに行こう」
10年前から実は最悪な世界を生きてきたのかもしれない。「みんなに言いたいんだ fuck youって」
でもその世界でだって生きるってこと。「いつかそれぞれの愛を重ねられるように」ひとつになれないからこそ、私たちは。

でもこの分断に今日だって落ち込んでばかり。


これ以上は書けなかった。だからどこにも載せることなくメモに残っていた。
「私たちはもう無理だ。」
同じようなことをあの小沢健二が歌詞にするなんて!!
でも、この「泣いちゃう」には私の言葉に纏うような厭世観は感じない。
どうしたってどうにもならないような私たちにただ寄り添ってくれるような。
何かを(表面的に)批判するわけでもなく、この状況をただ嘆くだけでなく。
「わたしたちは 一人のバスルーム 世のありさまを呪いつつ 踊っちゃいます」
いろんなものが中止になって、何処にも行けなくなった去年の3月、お風呂で「薫る」→「高い塔」→「彗星」と大声で歌って、自暴自棄な精神を持ち直したこととか思い出した。

「友よ 大人たちよ 子どもたちを置いて 逃げよう」
小沢さんはこのあと、「冗談です」と続けるけど、私は最近ずっとすべて投げ出してしまいたいって思いながら生きていて。
でも、そうやって思っていることさえも救いに変わるような。
そのいつか、が来るのかどうかはわからないけれど、そのいつかを思い浮かべることで私は今生きているのかもしれない。なんて考えがふと浮かぶような。
なんだか「でも それを表で言うと なにか危険な人と思われそう」感はあるけれど笑

そして配信の半ば、小沢健二は「カバー歌います。」と言ってある曲を歌い出した。なんだ、聴いたことあるぞ、なんだっけ…って思ってたらサビで気づいた。「あああ!!!カキツバタ!!!!」
この歌を知っているのは確実に宇野維正さんの影響だが、それでもこのコロナ禍に生きる子どもたちを歌った(と勝手に私が思い込んでいた)歌を小沢さんが歌うということ。久しぶりに顔をくしゃくしゃにするほど泣いた。肩を震わせて泣いた魔法的の「フクロウの声が聞こえる」を思い出すように。
「友だちと話すと いつも少し元気になるよ
 でも 離れていることにも気づく
 おかしな世界だと 思うこともあるけど
 今は みんな 一緒にいることを感じてるよ」


今の子どもたちは「彼らもきっと焦るだろうからね 次々と襲う毎日の悪夢に悩む」な感じなはずで。このふざけた世のありさまの中でどうにかして生きているわけで。それでも、私たちが歴史を学ぶ理由があるように、伝えていかなきゃなんて思う。どんなに「ちゃんとやれていないんだよなぁ」であっても。その事実を。どんなにあたふたしたかとかどんなにクソだったかをただシニカルに微笑うだけでなく。

小沢さんの今回のモノローグ。
「世の中は実は脆く危うくギリギリのところで出来ている。
そして変わっていく。しかも思うようには変わらない。」
世の中だけじゃなくあたしだってそうなんだって思った。この一年、こんなに疲弊するとは思わなかった。
そして
「複雑な問題に単純な答えを出す人を見たら疑わなくてはならない。」ということ。
今の状況に疲れ果てた私はもう考えるのが嫌になって単純な答えに乗せられてしまっているかもしれない。でもこうやってなんとかその手前で一踏ん張りできるのなら。
「わからない わかる わかることもふえていく まじめに暮らしていると」

「地球は美しく 秘密の雫が降ってくる
 今それを 歌にするんだよ!
 あなたが聞いていると 知ってるから」
小沢さんは諦めていない。こんなに切実な歌の中にも「真実はだんだんと勝利する」を入れてくる。
「それでも、生きていく。」小沢さんの歌は、厭世観に満ちた私をこんな気持ちにさせてくれる。
「愛すること 愛するならば 世のありさまを呪いつつ ゆくのです」と!
そう、呪いつつだっていいの。こんな世界の中で私は私を生きていくの。


今回の配信、凄まじいので明日、いや今日(27日)までだけどぜひ!!
今回の配信は表参道のオリエンタルバザー前の路上から。東京の路上で奏でられる「アルペジオ」が心に染みて。あのころの日常とか。私にとって「アルペジオ」は大事な歌だし、思い出と重なって切ない歌でもあって。


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