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「凪待ち」について書いたいくつか。石巻を訪れて再び。

私と石巻について

先週、Reborn-Art Festival2019を巡るため、石巻市を訪れた。2011年ボランティアで行って以来、何度かボランティアではたまた観光で訪れた場所。それこそボランティアに行ったときはニートだった私。この地で「無職っす。」って他人に言えるようになったこと。そんなものは今は関係ないっていうみんなの態度のおかげで。ある意味私のはじまりの地だったりする。その話はまたにして今日は映画「凪待ち」について。

そうフラッと入ったカフェでこんなものを見つけてしまったのだ。そうだ、撮影は石巻だった、ということを思い出した。

そして泊まったホテルの裏通りがロケで使われたとこだったみたい(ヘッダーの写真)シーン的にあまり覚えはないのだけど笑。

そんな感じで前置きが長かったけど、見た後に書いた凪待ち感想文を。ネタバレ満載で。

凪待ち(感想)


いつだってふれくされたような顔の香取慎吾。僕はただ役者香取慎吾が持つ人間なんてめんどくさい感が好きで仕方ないのだ。
画面の歪みとともに郁男の中でスイッチが入る。悪い方悪い方へ沈み込んでいく。だけどそう、ギャンブルしているときの郁男の顔は生き生きしている、お金を無くせば無くすほど。

郁男の「大丈夫だよ。」に心が痛くなる。病気のお父さんのことも、帰ってこない美波のことも、そして亜弓のこともちゃんと心配してる言葉なんだけど、それは何故だか空虚で、ただ流れに身を任せてるだけのようで。なんて感じていた。あなたに何も出来なかった私のように、なんて思わず自分を重ねて。
カテゴライズするのは好きじゃないのだけど、私のような人たちは、何も決めることが出来ず、誰かの言うままに動いて、何か不満顔で、何かに嵌り(郁男でいえば、ギャンブル)堕ちていくんだ。私にとっての演劇・音楽の趣味たちは郁男のギャンブルと変わらないのかもしれない、とかふっと考えてみる。お仕事の後のお酒が美味しい、とか何故か今はそんなことさえいいとは思えない。酔うことで何かを大事なことから逃げてるようで。そうでもなきゃやってらんない、ような感覚がなんか嫌だったりする。
逃げる、こと。亜弓の死について自分を責める美波に、その日亜弓と喧嘩して車から追い出したことをなかなか言えなかったこと。なんだろう?この感覚、わかる気がするのだ。言わないといけないことをずっと言えずに、後回しに後回しにして、結局最悪な結果を招くこと。こうなることがわかってるのに、なんだろう、きっかけが、とか、何かのせいにして爛れていく。

やめられない何か。郁男も石巻行く前はお酒もギャンブルもやめるはずだったろう?でもそんなの無理なんだ。(ってもう気持ちでどうなるってとこは超えている気がする)
郁男は我慢していたけど、結局何も変わらずに職場の同僚の黒田さん(ここだけ本名笑。相変わらず素敵だなぁ)たちの競輪話に思わず口を出して、賭場に行って我慢できなくなって。そしてまた亜弓のお金に手を出して。あげく黒田さんに利用されて、すべての罪を着せられて。なのにうまく立ち回れない黒田さんも黒田さんで。郁男から逃げてラーメン吐いて。そこになんというか私たちを見た。

いろんな人の好意と悪意が入れ代わり立ち代わる世界。なべさんは悪意に蝕まれて自分を解雇した会社にバットを持って。郁男も賭場をめちゃくちゃに壊し、ヤクザにボッコボコにされるが、勝美さんに救われる。他の誰かがいること。それが本当に大切なのかもしれない。
子どもが生まれてあんなに嬉しそうに泣く音尾さん。それまで嫌な奴でしかなかったDV野郎の音尾さん。それは人は変われるということなのだろうか?

そうここが石巻ということ、勝美さんの船は雄勝から出てること、私も行ったってか屋台を手伝った川開き祭りで郁男が暴れてボコボコにされること、海岸の防波壁沿いを歩く郁男。
津波で奥さんを亡くした勝美さんの「津波が新しくした。」的な言葉。郁男を海に連れ出して。なんだか吐いてしまったり魚に対して不器用な郁男がなんだか悲しくも愛おしかった。(追記、今回網地島へ船で向かったのだけど、完全に酔いました。はじめて船旅がこんなに辛いものだと知りました笑)

リリーさん、亜弓さんへの不自然な態度といい、お葬式の場面であ、お前が殺したな、って感じた。
だけど、あんなにも郁男に対して優しかったのは何故だろう。優越感?捕まるときの亜弓さんが行きたかった島の名前を言うリリーさんのしたり顔。
この好意と悪意はなんだったのだろう?

エンドロールの海底の映像。はじめキャストの名前とかに気がいって気づいてなかった。津波がさらっていった人びとの生活の証が海の底に今も沈んでいるんだ。はっとああ、これは!と気づかせたのはピアノだった。

映画は希望を持たせるような終わり方で精神をやられ続けた私たちに少しの安寧を。(白石監督だから最後まで落とすんじゃないかってどこかで思ってた笑)
最後の慎吾ちゃん(私にとっては香取慎吾を呼ぶときは「慎吾ちゃん」なのだと思う。華原朋美を永遠に朋ちゃんと呼ぶだろうし。)の表情はギャンブル時のギラギラ生き生きではなく、なんだかとても自然に見えた気がした。いろんなものを抱えていてもそれでも。

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